◆日本は政治的に大虐殺を否定すべし
中国は政治的に南京事件をとらえている。しかし、日本人は研究対象として科学的に検証し、それだけで中国と対決しようとしている。南京虐殺を政治的に肯定している中国人に、南京事件の科学的な検証や論理だけでは通用しない。
日本人はこのことに気がつくべきである。日本は科学的論理的な否定とともに、今後は政治的にも否定する必要がある。科学的にいくら否定しても、中国人は絶対に納得しない。ますます政治的になるか感情的に反発するだけで不毛の論争になるだけである。
中国が政治的に南京大虐殺を肯定するならば、日本は政治的に否定しなければならない。政治の舞台での論争ならば、政治的に否定しなければならない。これは原爆投下について、被害をいくら言いつのっても、アメリカは政治的に否定していることと同じである。
「太平洋戦争の終結を早めるためにやむをえざるものであった」というアメリカの主張はきわめて政治的な結論である。被害者数や残虐性をいいつのる土俵にはのぼってこない。
南京事件についても同じである。日本は政治的発言をしなければならない。もし、それで一時的に国交が断絶しようとも、未来永劫の日本の国益を考えたならば、政治的に否定するのが国益にかなう。これが戦略的判断である。
我々は、北京詣でをして中国人に謝罪する日本の政治家のリップサービスの犠牲になってはならない。まして、子々孫々を知能指数の低い政治家の犠牲にするなど一言語道断である。政治家は、過去の歴史ではなく、日本の未来の歴史にこそ責任をもたなければならない。
過去の歴史への無貢任なリップサービスは、日本の未来の歴史に取り返しのつかない害毒をもたらす。戦略的思考のかけらもない知能指数の低い日本の政治家たち、臆病で腰抜けな政治家たち、彼らには総退場してもらうほかはない。
南京大虐殺を一言いつのり、記念館を建てて日本を非難する中国へ、断固たる抗議ができない連中が政治を語る資格などまったくない。南京攻略戦で戦死した勇敢な日本兵に対して顔向けができるのか。(P142-P143)