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日出づる処の名無し:
(従軍慰安婦に)謝罪、補償の必要はない
古野直也 文武新聞 平成4年3月10日
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私は日韓条約成立時の朴正熈大統領と陸士同期で、天皇親臨下の卒業式をともにし、同日に
日本陸軍の陸軍少尉に任官した。彼は満州軍官出身であるが卒業三ヶ月は陸士で一緒に訓練を
していたのだ。
彼は条約交渉で慰安婦については全くふれなかった。民族の恥辱を現金に替えることを避け
たのだ。やはり彼は士というべき男であった。三十年後に日本側も歴史を知らぬ政治家の時代
となり、韓国側も同じことであろう。ことに現在韓国は経済が悪化し金を欲しがっているのだ。
昭和四十年の冬にソウルを訪れたことがある。凍った残雪の上に半裸になって転げ回って
「哀号」と泣いて小銭を乞う六歳くらいの男の子(複数)をホテルの玄関の外で見て私は唖
然として立ち尽くしたことがある。哀れな演出をして恥部を出して、これをお金に替える―六
歳の小児でもこの技術を持つ民族であることを忘れてはいけない。
怨の国恨の民族である。哀号と泣く一人一人は弱い人々だと考えている。但し集まって数が
多くなると暴行するのは、昔からの癖であった。
先日、水産業の方から聞いたが、戦前のこと、底引き網漁船に朝鮮人の船員を乗せる場合は
必ず一、二名が原則。三名乗り組ませると反抗して被害を受けるとのこと。
日本陸軍でも朝鮮兵一名の両側に日本兵二名を配置して戦闘するように指導していたことを
思い出した。
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