嫌韓厨どもええかげんにせんかい!

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506日出づる処の名無し
>■英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず
http://www.sankei.co.jp/paper/today/itimen/27iti003.htm (リンク切れ)
 【ソウル26日=黒田勝弘】日韓の歴史認識問題で大きな争点になっている
日韓併合条約(一九一〇年)について合法だったか不法だったかの問題をめ
ぐり、このほど米ハーバード大で開かれた国際学術会議で第三者の英国の
学者などから合法論が強く出され、国際舞台で不法論を確定させようとした
韓国側のもくろみは失敗に終わったという。

 会議参加者によると、合法論は国際法専門のJ・クロフォード英ケンブリッジ
大教授らから出され「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩
序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合
条約は国際法上は不法なものではなかった」と述べた。

 また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても「強
制されたから不法という議論は第一次世界大戦(一九一四−一八年)以降の
もので当時としては問題になるものではない」と主張した。


507日出づる処の名無し:03/07/07 08:00 ID:bAALZD7m
「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面
 をもつことはできない。亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。
 そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思って
 いるが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは
 気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、
 日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者
 である。それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福
 が受けられる道はない。
 日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を
 基に考察したのだ。」
           朝鮮全権大使 李成玉 「李完用侯の心事と日韓和合」


朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、、頑迷な朋党は、人民の財を略奪して
いる.その上、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、
進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。
伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。

            アメリカ人の朝鮮外交顧問  ドーハム・スティーブンソン

1910年、日本が韓国を併合したのは(韓国の)新皇帝が「請願」したからであっ
た。パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本が欧米列強から教
わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめ
るのだ。トリート教授によれば、日本は「一つ一つの手続きを外交的に正しく積み上
げていた。そして、・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである。」
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手段を踏んで
でいなかった。

                   ーアメリカの鏡・日本ー ヘレン・ミアーズ
508日出づる処の名無し:03/07/07 08:01 ID:bAALZD7m
韓国人の安寧と幸福、その生活の向上を図るため、母国日本の財政負担は三年間
に三千万円に達している。日本及び日本人を益することを少しもやらないで、
韓国及び韓国人のために図りてあまりにも忠実である。飽くまで韓国の主権を
尊重するため、中央の各部大臣や地方長官はすべて韓国人を任用し、日本人は
その下働きになっているに過ぎない。利権は韓国人のみに与えて、日本人には
荒蕪地開発の第一号を与えただけではないか。なおその上、韓国通の大陸浪人を
追放するなど、日本及び日本人から孤立した政策を採ってきた伊藤総監の心事那辺
にあるやを疑わしめるものがある。

                       韓国発行 「邦字新聞」より

韓国は多年、その自主独立の政治ができなくて、過去数世紀の間、支那の
宗主権を承認していた。日本がこれを、その境遇から救った後は、日露の係争
の地であった。次いで、日本は又々、これをロシアの圧迫から脱けさせるや、
財政に行政に日本の忠言指導を受けることになり、外交の事は、挙げてこれを
日本に委せた。それ以来韓国は少なくとも、露、仏、英諸国が、その付属国民
に対すると同様の恩恵に浴するにいたった。けれども近来、韓国は徒らに名を
無実の独立国に借りて、陰謀、奸計を弄し、隣国の激怒を招き、威圧、否戦火
を蒙った。これが実に日清・日露の二大戦役を実現したゆえんである。
 ここでこそ韓国の地位に、根本的な改革を加え、それによって禍根を除去
するより以外ない。ゆえに我々は、日本保護下における韓国に対し、そのいわゆる
韓国の独立に永遠の離別を告ぐるものである。

          アメリカ・ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙

509日出づる処の名無し:03/07/07 08:04 ID:bAALZD7m
日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシア
と戦った。第二次世界大戦後の日本は、自分達は何のために戦ったか忘れて
しまったかもしれないが、日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、
それに促されて行動したのだ。日本外務省が韓国の「対外関係と対外問題」
を「管理統括」し、日本人の総督が韓国の首都で行政権限を与えられていた
のはすべて、韓国政府と締結した条約にもとずくものである。

           「アメリカの鏡・日本」 ヘレン・ミアーズ 著

朝鮮人にとって、日本統治時代が、伝統と独立時代に対する純然たる侵害として、
大きく映っているが一方別の面においては、南北朝鮮の国家経済を著しく飛躍させ
るための基盤は、この時代に築かれたのであり、その成果もまた大きかったといえる。
日本は約四十年ほどの間に厳しいやり方で自然の脅威にさらされ、大きな工業
設備を持たず、貧しかったこの農業国家を科学的な農業と様様な工業、そして活発
な貿易を誇る経済の調和のとれた国へ変身させた。

           フランス人文地理学者 ジャーク・ブズー・マサビュオー

日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を
中国からの呪縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と
繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国韓国を安定し
た独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国知識層で
ある官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異存はないと思われる。

          1894年7月29日 韓国駐在 アメリカ シル代表
510日出づる処の名無し:03/07/07 08:06 ID:bAALZD7m
日本は、統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった
状況から一足飛びに近代化したことは、どうしても否定できない事実である。
日韓併合後、日本人は鉄道、道路、架橋、用水路、植林、河川整備、堤防、
港湾、学校施設の建設をはじめとする、大規模な公共事業を始めた。このため
に、それまで韓国には、食うや食わずの失業者がひしめいていたが、一般の
民衆に仕事が与えられて大いに潤った。
日本は乱脈だった李氏末期の韓国社会を正した。
韓国に法治社会をもたらした。
日本が韓国を統治した間に、一方的な収奪を行ったというのは、大きく事実に反する。
今日、日本統治時代を体験した韓国の知識人は、それが事実である
ことを知っていながら、客観的事実を認めることを拒んでいる。
韓国は日本の力によって短期間のうちに、日本人が咀嚼した西洋の実用主義を定着させ、
近代世界に入ることができたのだ。
日本統治時代になって、はじめてまじめに働く多くの者が報いられるようになった。
また、韓国人の福祉が大きく増大したのだ。
                                  「醜い韓国人」朴泰赫


「韓国は絶対日本のものである。確かに、条約は韓国が独立を保つべきである
 と厳粛に誓約している。しかし、韓国自身は条約を実行するには無力である。
 そして、韓国が自分自身のために全くできないことを、どこか他の国が韓国の
 ためにしようと試みるなどと想定するのは問題外のことである」

                アメリカ大統領 セオドア・ルーズベルト 
511日出づる処の名無し:03/07/07 08:07 ID:bAALZD7m
日本が朝鮮人に押し付けた改革は、一般に知らされた限りでは、
朝鮮人の信頼ではなく、朝鮮の繁栄に関心を持つ部外者の信頼を確かにかき立てた。
日本が援助しようとしている土地の人たちは、頑固で恩知らずな国民であることを示した。
(1895年1月20日 ニューヨークタイムズ紙)


日本は朝鮮の刷新など信じていない。
良い鉄で釘を作らないように良い人間は兵士にならないと一般に言い習わしている国、
しかも国家意識などない国では不可能と思っている。
(1895年9月6日 ル・タン紙)

清国はアロー戦争でフランスに敗れ、ロシアは満州を征服して日一日と南下政策
を続けた。もし日本が北進に努力しなければ、ロシアは必ずや朝鮮を侵略したであろう。
腐敗せる朝鮮王室と両斑ががどうして露国を一掃し得たであろうか。故に日本の北進は
やむを得なかったのである。日清・日露の両大戦は、日本にとって民族の興亡、国家の
存亡を賭した戦いであった。中国とロシアはともに世界の大国である。小をもって大を
抗す、しかも十倍の大に抗するのである。日本人が気狂いでない限り、一歩退いて考え
ざるを得なかっただろう。<前進は生路であり、後退は絶路である>ということを彼ら
はよく承知していたのである。

                        1928年 「日本論」 戴天仇(中国人)

512日出づる処の名無し:03/07/07 08:08 ID:bAALZD7m
伊藤博文公は世界周知の如く日本の最も偉大かつ、有名な政治家である。
彼の韓国赴任は、たいへんな自己犠牲であった。
伊藤公が、その韓国改善のプランを打ち明けたとき、私の心は躍った。
そこには改革、公正、斡旋があった。
(李朝朝鮮)が犯したあらゆる誤りがそこでは救済されるはずであった。
「私は、自分が韓国国民と日本国民との間に立って、
両者の間に正義がおこなわれる ようにすべき立場に立っていると思う」
と公はそう言明したのである。

          カナダ人ジャーナリスト フレデリック・アーサー・マッケンジー
                         1906年 ロンドン・ディリーメール紙


私の見るところをもってすれば、伊藤侯の統治は最大なる賞賛に値する
べきものであり、大変満足しております。韓国国民は今やようやく、彼を
もって自分達の友人であると知って、これを事実の上に現し始めました。
過去三年の間における韓国の進歩の大きいことは、実に私をして統監政治
の最も熱心な支持者であることを告白せしめます。私は伊藤侯の必ず成功
すべきことを信じて疑わないものであり、また、すべての宣教師及びその他
の韓国における文明開発の義務を知る者は、等しく伊藤侯の統治を支持しな
ければならないと思います。

                      宣教師 ハリス博士 
513日出づる処の名無し:03/07/07 08:09 ID:bAALZD7m
最近語られる朝・日間の「共通の歴史認識」でも必ず確認しておくべき重要な
問題の一つは、加害者がいて被害者がいる、ということである。
これは価値判断以前の問題である。
日本での壬辰戦争認識は、特に事実認識が十分であるとは言い難い。
また朝鮮が日本の植民地であった約50年の関係についても同じである。
つまり壬辰戦争の関係史的認識から教訓を得、植民地支配についてもその
認識を深めるということの不可欠性こそが、史実と向い合い、歴史から学ぶ
ということとなるに違いあるまい。
戦いの初め、朝鮮は日本の鳥銃(火縄銃)に手古摺りはしたが、やがて
それを改良した銃を作り、また榴弾の一種である飛撃震天雷を始めとする
各種火器や亀甲船などを制作・使用することによって侵略に有効に対応した。
しかし、戦後、これらの発展はさておくとしても、継承すら十分にはなされず、
亀甲船に至っては保存さえまともになされなかった。

      「海峡を越えて」―前近代の朝・日関係史―朴鐘鳴 壬辰・丁酉戦争
         http://www.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj2002/2/0220/52.htm


一部の外国人や朝鮮人は日本は保護統治を迫っていると非難するが、
日本は開戦以来保護統治を行ってきたのだ。
朝鮮の災いの元は日本ではなく、無知と迷信と残酷がまかり通る宮廷にある。
戦争は朝鮮人に関係あるのに何の苦労もしなかった。
そこに気付いて初めて『保護統治と日本人の横暴』に反対の論陣も張ることができよう

  『ノース・チャイナ・ヘラルド』(一九○五年八月十八日)エッソン・サード記者