日本は、解放戦争をしました!! 2   

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182abc
>>175 日本が政変の発展にためらう必要がありませんよ

貴方、タイムマネージメントは大丈夫か。打ち上げ花火を見ているのではない。
日々の活動の中に実績を積み重ねていく努力が必要です。
日韓合併以前も日本は年々2000万円もの血税を朝鮮の近代化に投資してきました。
しかし、自助努力をせず単に騒がしいだけの朝鮮をどうするかで日本の政界は
割れました。結局は何ともだらしない鮮人は日本がまず識字率を高めること。
人間らしく健康な生活が営めるようになること、など人間としての尊厳を取り戻すこと
から始めなければならないと考えました。「開化派政権」そんなものは一握りの文人の
机上の論理です。具体性が全然ありません。小学生の夢の方が余程ましです。
 残念なことはこの人間化プロジェクトが36年で頓挫したことです。せめて後14年続
いていたら朝鮮は世界に冠たる大韓帝国を今日築きあげていたかもしれません。
何たって世界に冠たる工業地帯を有していましたからね。満州帝国・大韓帝国・日本帝国
の三帝国は東洋文明の輝かしい時代を気づいていたと思いますよ。

>>175は冷静に世界の歴史の移り変わりを見つめ、時系列的に整理した方が良いですよ。


最後に「神は見津から助ける者を助ける」をよくかみしめてください。
183abc(コピペ):03/06/14 21:29 ID:ttq1oXUD
>>182 続き

語られざる「善政」
今お話したように、統治時代のことについては戦後誇張されているウソがい
っぱいあるわけですが、実際には「一視同仁」を実現するために、朝鮮総督
府は本当によくやったと思います。
例えば、併合直後に朝鮮に渡った私の大叔父の話によると、釜山港に上陸し
たら道らしい道がないことに驚いたそうです。なかには、道の真ん中に家が
建っているところもあった。なぜかと言ったら、とにかく千三百年間支那の
属国でしたから、道路を作ったら侵略されるということで、道らしい道がな
かったのだそうです。
 それから、家にトイレもなかったから、臭いもすごかったすごかったそう
です。朝鮮人は部屋の中で用を足し、その大小便を朝、窓から外へ捨てるか
ら、もう臭くてプンプンしていた。伊藤博文が仁川で上陸してソウルの王宮
まで行くのに、臭くてとてもかなわんということを書いてますけれども、当
時の朝鮮の人に言わせるとそれがいいと言うんだ。
 異民族が侵入してこないためにもこれがいいんだと。そういう非衛生的な
状態が蔓延していたから、コレラ、チフスがすぐ出る。それに、病院がない
から人がばたばた倒れて、その辺にごろごろしていた。大叔父はそのような
話をしていました。

続く
184abc(コピペ):03/06/14 21:30 ID:ttq1oXUD
>>183 続き

 日本人はそういうところに行って、街路をきれいに整備した。そのお陰で
朝鮮は三十六年間で近代都市に生まれ変わったんです。また、病院をどんど
ん作って衛生思想を普及した結果、コレラ、チフスといった伝染病が根絶さ
れ、餓死者が一人も出なくなった。餓死者というのは、栄養失調だけでなく
て病気もありますからね。この功績はいくら強調してもしすぎることはない
と思います。そういう朝鮮総督府の善政は、朝鮮の民衆が一番よく知ってい
たはずなんですよ。
 また、併合以前は身分差別がひどかったんです。特に人口の四割を占めて
いた奴隷(奴婢)階級の人は、それまでは戸籍もなければ、姓も許されなか
った。それが、日韓併合によって戸籍ができて姓を持つことを許された。当
時、朝鮮の奴隷は家畜同然で、売買の対象でもあり、結婚もできなければ、
一般の人と同席することさえ許されなかったほどです。
 身分は上から、両班、中人、常民(良人)、奴婢という序列になるわけで
すが、奴婢の中にさえ階級が五つくらいあるほど厳しく度し難い階級差別が
あった。これが朝鮮総督府の「四民平等」「門閥廃止」という政策によって、
全く身分差別がなくなった。ものすごい大福音です。だから、戦後、日本人
は日帝三十六年の間、朝鮮人を奴隷のように扱い徹底的に差別をしたとまこ
としやかに言われるけれども、もしかしたらそれを言っているのは身分差別
の撤廃によって威張れなくなった7パーセントの両班階級の人たちが恨んで
言っているのかもしれません。