◆■●朝鮮コピペ集8●■◆

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1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲い、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、
娘を中国人の密航業者に一人当たり米一升で売るものもいた。北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮人は、
惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。 しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王、
国や日本からの食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。[1,p64]

         「朝鮮事情」フランス人宣教師シャルル・ダレ


韓国は多年、その自主独立の政治ができなくて、過去数世紀の間、支那の宗主権を承認していた。
日本がこれを、その境遇から救った後は、日露の係争の地であった。次いで、日本は又々、これをロシアの圧迫から脱けさせるや、
財政に行政に日本の忠言指導を受けることになり、外交の事は、挙げてこれを日本に委せた。それ以来韓国は少なくとも、露、仏、英諸国が、
その付属国民に対すると同様の恩恵に浴するにいたった。けれども近来、韓国は徒らに名を実の独立国に借りて、陰謀、奸計を弄し、
隣国の激怒を招き、威圧、否戦火を蒙った。これが実に日清・日露の二大戦役を実現したゆえんである。ここでこそ韓国の地位に、
根本的な改革を加え、それによって禍根を除去するより以外ない。ゆえに我々は、日本保護下における韓国に対し、
そのいわゆる韓国の独立に永遠の離別を告ぐるものである。
      アメリカ・ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙