718 :
日出づる処の名無し:
719 :
日出づる処の名無し:03/08/24 02:33 ID:qfiPF3V5
ところが、「abc」がコピペした赤堀光雄は、これに反することを言う。
>>161 日本軍の軍紀は世界一厳正だった
http://www.senyu-ren.jp/SEN-YU/00104.HTM >日本軍は日清戦争(1904〜1905)以来大東亜戦争(1941〜
>1945)に至るまで、変わることなく軍紀厳正であった。
赤堀はこの前段で黄文雄を引用しているが、引用の切れ目が不明瞭
なので、上記の文が黄文雄の言か、赤堀による地の文か、はっきり
しない。もっとも、黄文雄の言であるにせよ、赤堀が肯定的に引用
しているのは明らかである。
まず、日清戦争は1894年(明治27)7月〜95年4月である。これを間
違える赤堀(または黄文雄)も、それをそのままコピーするabcも、
頭がおかしい。日露戦争は1904年(明治37)2月〜05年9月であった。
720 :
日出づる処の名無し:03/08/24 02:35 ID:qfiPF3V5
昭和天皇の言うことと、赤堀光雄(または黄文雄)の言うことと、
どちらが正しいのか? 赤堀の文章を検証してみよう。
日本軍の軍紀は世界一厳正だった
http://www.senyu-ren.jp/SEN-YU/00104.HTM 赤堀は、「フォーシーユ」の文章を改竄した。なお、ここでは
「フォーシーユ」の記述内容自体は問わないことにする。
日清戦争で日本軍は、(改竄前)
↓
日中戦争で日本軍は、(改竄後)
赤堀は、日清戦争と日中戦争(1937年7月〜)の区別もつかないのか?
否、意図的に改竄したのだ。改竄後の文章と、その直前の段落とを
読み合わせると、デマの効果が生まれる。
>日本軍は日清戦争(1904〜1905)以来大東亜戦争(1941〜
>1945)に至るまで、変わることなく軍紀厳正であった。
721 :
日出づる処の名無し:03/08/24 02:37 ID:qfiPF3V5
カレスコート・イリュスト、ラロ両記者の『日本軍戦闘観戦記』
は、明治28年2月22日付の『報知新聞』に掲載された。これも、
内容自体の信憑性はひとまず問わないことにすると、記事から
分かるのは、「日本軍は『日清戦争で』軍紀厳正であった」と
いうことである。ところが、赤堀光雄は次の改竄を行った。
ひるがえって清軍を見よ。(原文)
↓
ひるがえって中国軍を見よ。(改竄後)
清も中国には変わりない。しかし、改竄後の文章と、前出の文
(次に再掲)とを読み合わせると、デマの効果が生まれる。
>日本軍は日清戦争(1904〜1905)以来大東亜戦争(1941〜
>1945)に至るまで、変わることなく軍紀厳正であった。
つまり、赤堀は「日本軍は『日中戦争で』軍紀厳正であった」
と言いたくて堪らないのである。
722 :
日出づる処の名無し:03/08/24 02:38 ID:qfiPF3V5
以上、赤堀光雄はフランス人3名の文章を改竄した。その目的は、
「日本軍は『日清戦争で』軍紀厳正であった」の主旨をすり替えて、
「日本軍は日清戦争以来大東亜戦争に至るまで、変わることなく
軍紀厳正であった」(赤堀(または黄文雄)による)
の補強に悪用するためである。
やはり、昭和天皇はウソつきではなく、赤堀光雄(または黄文雄)
がウソつきであった。
そして、御苦労にもこの改竄後のデマをコピペして回るのが、abc
である。当スレッドだけでなく、他のスレッドにもコピペして
回っている様子だ。愚劣極まりない。
723 :
日出づる処の名無し:03/08/24 02:39 ID:qfiPF3V5
国際法の遵守に関して、日本軍は日清・日露と日中・太平洋戦争
の間で、進歩するどころか退歩した。
日本における国際法の受容と適用
http://www.suzugamine.ac.jp/kouhou/No40/kenkyu.html >「日本人は人道を重んじまた国際法を尊重することは決して欧米
>諸国に譲らない」ことを示そうとしたのでした。(中略)
>一応文明国として認められはしたものの、それでもまだ西欧諸国
>の間では、日本が果たしてこれらの条約を履行する能力があるか
>否か疑問視されていました。(中略)
>しかしこの疑念を一掃したのが日清・日露の両戦争だったのです。
>この戦争における日本の正当性を主張すべく、有賀は仏文で
>『国際法の見地から見たる日清戦争』(1896年)を、高橋は
>『日清戦争中の国際法事例』(1903年)を海外において出版した
>のでした。(中略)
724 :
日出づる処の名無し:03/08/24 02:42 ID:qfiPF3V5