日本人が、地球市民の洗脳に気付かない限り、
無理かも?
スリランカ・・・その言葉の意味は、美しく光り輝く島という事だそうです。
年配の方には、セイロン島といった方が分かりやすいかもしれません。
インドの南に位置し、熱帯性気候ゆえ一年中蒸し暑いのですが、高地では、
夜間防寒着が必要な程冷え込む所もあります。
紅茶(セイロンティー)と宝石の産地として有名で風光明媚なこの国も、
長年打ち続く民族紛争により経済は疲弊し、国民の生活は惨さんたるものがあります。
元々はインドのタミール地方から移ってきて、北部に住むタミール人が、
人口の多数を占めるシンハラ人より分離独立を求めての紛争なのですが、
その闘争手段が自分の体に爆弾を巻きつけて、自分もろとも相手を吹き飛ばす
自爆テロの為、未然に防ぐ事が困難で、これまでに多くの要人が犠牲になってきました。
自爆テロといえばイスラエルに対するパレスチナ人のテロが有名ですが、
元々はタミール人ゲリラ(タミールイーラム開放の虎)が始めたテロです。
かってスリランカの民族紛争に介入した為に、インドのラジブ・ガンジー首相も
このテロで命を落としました。
さて、昨年四月、私の空手道の恩師であるNPO法人日本空手松涛会大阪府本部の
香川政義師範が、スリランカに空手指導の目的で、
奥様と二人で日本を後にされました。
香川先生は、スリランカに骨をうずめる覚悟で自宅まで処分されての旅立ちでした。
それ以前に一ヶ月間滞在して空手を教えていた時、一人の生徒から
「来年先生が来られる時には、もう私は生きていないかもしれない。
しかし、今この時に、日本の伝統武道である空手道を少しでも学びたい。」
と言われて感 動したそうです。
長年続く内戦の為、経済状態の悪化しているスリランカでは
内戦で殉職した軍人や警察官の遺族に十分な補償もされず、
残された子供がストリートチルドレンになっている事も多いそうです。
香川先生は、将来スリランカの為に力添えが出来る立派な青年を育てる為に、
空手道を通じて自分の持っている全てを伝えたいと言われています。
そのスリランカと日本には、あるエピソードがあります。
それは戦後6年経った1951年9月に行なわれたサンフランシスコ対日講和会議での事です。
その会議では、ソビエト政府より日本に対する制裁と、今後再び戦争を起こさせないという目的で、
連合国による日本の分割統治が提案されていました。
戦勝国の一員として登壇したスリランカ(旧セイロン)の全権代表
J・R・ジャヤワルダナ(当時大蔵大臣、後大統領)は、こう演説しました。
「アジアの諸国民は、なぜ日本が自由になる事を切望している
のか。それはアジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきゆ
えであり、又、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民
が日本に抱いている深い尊敬のゆえである。往時、アジアの中
で日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守
護者かつ友邦として仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来
事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガン(大東亜共
栄圏の事)は従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、イ
ンド、インドネシアの指導者の中には最愛の祖国が開放される
事を希望して、日本に協力した者がいたのである。」
そして「我々アジアの将来にとって、完全に独立した自由な日本こそが必要である。」
と強調し、ソビエトが主張した日本分割案に真向から反対してこれを退け、
「憎しみは憎しみによっては止まず、愛によってのみ止む」という仏陀の教えを引いて、
対日賠償請求の一切を放棄する事を表明し、各国にそれに続く様呼びかけました。
そして、その呼びかけに答えて、インド、ラオス、カンボジアが
自発的に対日賠償請求権を放棄してくれたそうです。
この話はスリランカの人の殆どが知っていて、日本人に聞いて「知らない」と返事が返ってくるとがっかりするそうです。
しかし、あの時もしこのジャヤワルダナの演説がなければ、
もしかして日本は旧東西ドイツ、また朝鮮半島の様に一つの民族が分断されていたかもしれないと思う時、
敗戦に打ちひしがれていた日本に手を差し伸べてくれたアジアの友人の友情に、
日本人として感謝の気持ちを持ち、この話は語り継がれるべきだと感じています。
余談ですが、J・R・ジャヤワルダナは96年に亡くなられましたが、
日本の国鉄が民営化されて社名を「JR」としたと聞いて、
これはてっきり日本人が自分への感謝を込めて命名してくれたに違いないと喜ばれて、
親族同伴で来日されて、グリーン車で東海道を往復されたという、ちょっと笑ってしまう話もあります。
さてアメリカで発生した同時多発テロにより、世界中でテロを封じ込む気運が盛り上がった事もあり、
スリランカの民族紛争にもようやく和平への兆しが芽生え、ノルウェー政府、日本政府の働きかけで、
何とか両者を交渉のテーブルにつかせる事に成功しました。
この先まだ予断は許しませんが、長年の民族紛争が解決して、
スリランカがその名前の意味の様に、美しく光り輝く島に戻れる事を祈らずにはおられません。
(「月刊・空手道」より転載)
456 :
455:03/08/25 13:01 ID:obYv8Qvo
最後の、「笑ってしまう話」を私は笑うことが出来ません。
日本は、エルトゥールル号のことを教科書で教えているトルコのように
外国から日本が受けた恩をきちんと教えるべきです。
457 :
日出づる処の名無し:03/08/25 16:34 ID:5wgqNNN8
>>452-456 終戦のちにこれらの国には経済援助などで日本から恩返しをしたし、その心を
忘れていなかったのだけど、昨今の外務省のばら撒きODAについては疑問ばかりですね。
外務省に入省したら(もしくは外相をされる人は)最初に必ず日本との歴史関係を
よく勉強して事に当たって欲しいですね。
また海外に広く展開している企業の人たちも。
そうすれば少しは一本筋の通った日本人の姿を見てもらえる。だらしが無い姿を晒しちゃダメダメ。
>>456 最も大切な事だよな。
いらんことばかり教えよって・・
恩義を忘れ去るようでは大和民族に非ず。
459 :
日出づる処の名無し:03/08/25 16:43 ID:fatHDsuV
>>455 >往時、アジアの中 で日本のみが強力かつ自由であって、
>アジア諸民族は日本を守 護者かつ友邦として仰ぎ見た。
この事実を隠したい連中が、ジャヤワルダナ氏の演説を意図的に広めなかったのかもね。
モルディブが好きでまた行きたいと思うけど、今度もスリランカ航空を利用するよ。
460 :
日出づる処の名無し:03/08/25 16:45 ID:uTWILxw6
>>430 早く話を聴きに行けよ!!そして、看病しる!!
461 :
日出づる処の名無し:03/08/25 16:47 ID:uTWILxw6
大叔母は、夢と現(うつつ)の狭間で行きつ戻りつを繰り返していて、
現にいる時間は日に日に短くなっているようです。
私自身 病院が多少遠方にある為なかなか見舞いに行けませんが、実家の母の話によると、
毎日通う母の顔すらわからず 大叔母との会話は最早成り立たぬとのこと。
つい先日には、「お母さん(曾祖母。もちろん故人)が来てくれた」と童女のように
喜び話していたそうです。ナキワラ
スリランカの話だが、初めて聞いた。
もしスリランカの代表が反論してくんなかったら・・・
まあアメリカが赦しゃしないだろうが、考えただけでぞっとするわな。
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
>>462 大叔母様、頑張ってよぉ。(ノД`)。。
>>463 いや、そもそも蒋介石からして日本分割には反対していたし。
どーでもいいが、以前左翼系のサークルに取材に行った折、
四国をユダヤ人の入植地にしようとする動きもあった
なんて話を聞いた。
だからイスラエルで紛争が絶えない…なんて話だったが、
日本人とユダヤ人がいい具合で混ざれば世界最強の民族が誕生するような気がする。
つーか、ホントにソ連っちゅー国は許せんな。
>>465 北を滅ぼしてそこにイスラエルを作ればいいさ
>>467 南を残したままだと、イスラエルは嫌がるだろうな。
あほか?ユダヤ人はエルサレムにこだわってるんだよ。土地があればどこでもいいという
わけじゃない。っていうかさ、ユダヤ人は世界の癌だと思うが。純粋に。
暴論だなー?
472 :
日出づる処の名無し:03/08/26 16:10 ID:hLgtrdS/
>>435 今も小学3年生の国語の教科書に載ってます。 by東京
>>469 おまえ知らないんだろ、
朝鮮は、ユダヤ教の発祥の地なんだぞ。
しかも最初の人類は朝鮮からなんだぞ。
ユダヤと南を争わせる
これ最強
475 :
435:03/08/27 00:12 ID:cxyBp5I2
正しくは「ちいちゃんの影送り」でしたか、、、
ちなみに俺は神奈川に住んでます。
最近教科書の内容が変わりまくってるから少し心配な今日この頃。
「凧になったかっちゃん(お母さんじゃなかったか?)」は厨房の時、
教科書の巻末に載ってて、読んでいて虚しくなっちまいました。
>>475 あー、それ厨房時代の俺が使った教科書に載ってた。(神奈川で)
それ両方とも飛んでいきます。親はミイラに、子供は飢餓で死んで風で吹っ飛んだ。アニメにもなってた。正直イラネ。
既に冷めてた俺は「ふーん。で、何」で止まった。何が言いたいのかよくわからない作品だったなぁ・・・。
479 :
日出づる処の名無し:03/08/28 13:58 ID:Jg4Yl0KH
480 :
日出づる処の名無し:03/08/28 17:46 ID:eRXOng8N
アクセス制限が、、、
481 :
476:03/08/28 17:56 ID:eRXOng8N
解除された、と。
>>477 調べが足りず、疑惑が起ってることは
知らなかった。驚き。
真偽の議論は他の板で激しいから、
殺気立ってる極東板まで持ち込みたくはないから
もうこの件については書き込みませんが、
まぁ俺的には作り話だろうが実話だろうが、
多くの人を感動させた事実がある。
つまり、そんな事は関係ないんじゃないのかと。
真実は全て闇の中。
匿名性が非常に高いネット社会の長所短所がモロに出た件だな。
と、言うのが俺の見解。
でも感動したのは確かなことです。ホントに。
おっと、ageてしまった。
失礼。
>>475 9:35〜10:35 ABCテレビ「特別アニメ・伝えたい語り継ぎたい戦争童話集・凧になったお母さん」
9:35〜10:35 DEFテレビ「特別アニメ・伝えたい語り継ぎたい悲壮寓話集・風船になったおじさん」
485 :
浮上:03/08/29 12:42 ID:SWgsjqQA
僕のチン子に今だ皮が被って泣けそうです!!!
>>475 確か中3の教科書にはまだ乗ってるから安心しる
保守
母方の祖父の十三回忌があり、久々に田舎に帰りました。
祖父の遺品はもうそれぞれの手元に渡っているのですが、祖父の読んでいた本が
まだ本棚に残っていました。その中に、軍に所属された方の名簿録──広辞苑のよ
うに分厚いです──がありました。
なんとなく引き出したところ、中から写真が落ちました。
写真そのものを紹介するのははばかれますが、この飛行機の前に立って微笑んで
いる祖父とその仲間のものでした。
これ →
http://www103.sakura.ne.jp/~key/ac/sally.htm 私はこの手の知識はゼロに等しいので、よくわかりません。ただ、祖父が存命中に
「大陸でな」という話しをしていたので、どうやら支那大陸で戦っていたようです。
「爆撃機乗りは、戦闘機乗りにバカにされてなぁー」と、そういえば言っていた記憶
があります。爆撃機は鈍重で、ひらひら舞う戦闘機はやはり好きだったとか、なんと
か。訓練では実際に戦闘機も乗ったそうですが、戦場では爆撃機ばかりだったそうで
す。
それも祖父に言わせると、「爆撃したより、食料落とした方が多かったな」とか。
当時の私の知識として「日本軍=飢え」だったのですが、少なくとも支那において
はほとんどそれはなく、ずいぶん潤沢な物資供給をしていたそうです(詳しい方、
間違えていたらフォローください)。
(続く)
>>488 続き
大東亜戦争が始まると、部隊のいくつかが南方に転属となり、祖父にしてみれば
「うらやましい」ことだったと言っていました。報道などでも主戦場はそちらであり、
支那については降着状態にあったためマスコミの数も減っていたとか。騒々しいとこ
ろに群がる体質は、今のマスコミと大差ないかもしれません。
祖父は幸か不幸か、大戦末期まで支那に残りました。
そして、終戦の前年に日本に転属となりました。場所は千倉です。ベテラン飛行機
乗りがさせられたことは、若い青年たちに飛行機の乗り方を教えることでした。
祖父が仲間たちと写っている写真は、実に「凛々しい」姿をしています。精悍で
あり、今の自分には真似の出来ない清潔さがあります。何か、誇りを背負っている
ような。
祖父は詳しいことは語ってくれませんでしたが、亡くなるまで本当に飛行機が
好きな人でした。
490 :
日出づる処の名無し:03/09/01 22:37 ID:mdhzJiWT
>>488 その辺の考証については軍事板住人に聞いた方が正確だよ。あそこで思想的な事を語るとウザがられるけどね。
491 :
日出づる処の名無し:03/09/04 23:03 ID:/zSUpSSu
あげ
492 :
日出づる処の名無し:03/09/05 17:08 ID:mU9OD9F2
(勇壮なファンファーレと共にハイテンションな予告始まる)
情け容赦のないモンゴルの攻撃に、南宋軍の本陣は遂に破れた!
「もはやこれまで!」と幼帝・趙柄を背負った陸秀夫が身を投げる!
南宋滅亡の報に接した文天祥は自ら死を選び!
張世傑の船が嵐の中に消えてゆく!
『十八史略』最終回!
「ああ南宋! 涯山に滅ぶ!」
君は今、伝説の中にいる!!!
何故世界史の予告編のレスがコピペされてくるのだ?
パート1で出ていた気がする。
9月7日、軍旗奉焼、残兵50名が突撃玉砕
この守備隊には20名の慰安婦いたが、金光隊長は民間人を犠牲にしてはならないとして彼女らに投降を命じ、
5名の朝鮮人慰安婦が投降し助かった。しかし日本人慰安婦はみな残り、炊事・看護・弾薬運びを手伝い、一心
同体の働きをした後、全員が戦死した。このうちの一人は金光隊長の許可を得て、一兵士と結婚したと伝えられている。
9月8日、拉孟を攻略した中国栄誉第1師団・李密師長の訓示
「私は軍人としてこのような勇敢な相手と戦うことができて幸福であった。この地を守った日本軍将兵は精魂を尽くした。
恐らく世界のどこにもこれだけ雄々しく、美しく戦った軍隊はないだろう。(中略)この将兵たちの祖父や父は、国父孫文先生
を励まし、民国の革命達成に力を貸してくれた。その恩人と戦い、血を流すことは、何と愚かなことであろうか。(中略)拉孟
における日本軍将兵の最後の姿を私は蒋総統に伝える。我々はこれから、日本軍戦死者を丁寧に葬らねばならない」
9月9日、蒋介石の騰越攻撃部隊への訓令
「(前略)騰越は9月18日の国恥記念日までに奪回せよ。(中略)我が軍将校以下は、日本軍拉孟守備隊、あるいはミートキーナ
守備隊が孤軍奮闘、最後の一兵に至るまで、命令を全うしあるを範とせよ。」
当時の中国人はまだ武人の魂を持ち合わせていたのですね・・・・
今の駆け引きの材料に靖国を貶める中共の連中はクソだな
まともな中国人は文化大革命で
大量にアボーンされてしまったからね
残念だよ