★保存版★ 泣ける話@極東板 Part2

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413同期の桜@極東 ◆ZGj9q8XQ7A

素子 素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。
私の腕の中で眠りもしたし又御風呂に一緒に入った事もありました。
素子が大きくなって私のことが知りたいときは、
お前のお母さんか佳世子叔母様に私のことをよく聞きなさい。
私の写真帳もお前の為に家に残して在ります。 素子と言う名前は私が付けたのです。
素直な心の優しい思いやりの深い人になるようにと思って、御父様が考えたのです。(中略)

私はお前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、幸せになるまで見届けたいのですが、
もしお前に私を見知らぬままにしてしまっても決して悲しんではなりません。
お前が大きくなって父に会いたい時は九段へいらっしゃい。

そして、心に深く念ずれば必ず御父様の顔がお前の心の中に浮かびますよ。
父はお前は幸せ者と思います。 生まれながら父に生き写しだし、
他の人も素子ちゃんを見ると眞久さんに会っているような気がすると良く申されて居た。
又御前の御祖父様御祖母様は御前を唯一の希望にして御前を御可愛がり下さるし、
御姉さまも又御自分の全生涯をかけてただただ素子の幸せをのみ念じて生き抜いて下さるのです。
必ず私に万一の事あるも親無児などと思ってはなりません。父は常にもとこの身辺を守っております。
先に言った如く素直な人に可愛がられるやさしい人になって下さい。
御前が大きくなって私の事を考へ始めた時に、此の便りを読んでもらひなさい。
昭和19年○月吉日             父

植村素子へ
追伸 素子が生まれた時オモチャにしていた人形は御父様が頂いて自分の飛行機に御守り様として乗せて居ます。 
だから素子は御父様と一緒に居たわけです。 素子が知らずに居ると困りますから教えて上げます。 父

植村眞久命 東京都出身 海軍第十三期飛行科予備学生 
昭和19年10月26日没(満25歳) 海軍大尉
昭和19年10月26日、「第一神風特別攻撃隊大和隊」隊員として「爆装零戦」に搭乗、
比島セブ基地を出撃、スリガオ海峡周辺洋上にて戦死。