■脱法産業★パチンコ店を摘発せよ!★鮮人産業■

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131日出づる処の名無し
「コリアン世界の旅」 野村進 1996年 講談社
いま全国に約一万八千軒あるパチンコ店のうち、在日および帰化者二世
・三世を含む)が経営する店の割合は、六割とも七割とも言われる。三軒
に二軒は、オーナーが韓国・朝鮮系ということなのである。パチンコ台の
製造メーカーにも、最大手の「平和」を筆頭に、韓国・朝鮮系の経営者が
名を連ねている。(中略)
パチンコが全国に広まり大衆的な人気を博するのは、明らかに日本の敗
戦直後からである。身近に安価な娯楽がなかったためという理由ばかり
ではない。焼け跡闇市の時代の庶民を何よりも魅了したのは、景品に出
されるタバコだった。配給制で常に不足がちなタバコが、強力な呼び水と
なって、戦後最初のパチンコ・ブームを巻き起こしたのである。
かくしてパチンコ店は雨後の筍のように増えていくのだが、当時、開店資
金をどのようにして工面したのか、その経緯が在日自身の口からおおや
けにされることも、私の知るかぎり絶無と言ってよかった。
『こんなことを話す人間は、ほかにおらんだろうね』 と前置きして、キムが語る。
『闇市で儲けて、それからパチンコ(店経営)に走った人が多いんですよ。
じゃあ闇市で何をして儲けたかというと、結局、ヒロポンと贓物故買(ぞうぶ
つこばい)だよね』 密造した覚醒剤を売りさばいたり、盗品の横流しをした
りして、短期間のうちに大金を作り、それをパチンコ店開業に振り向けたと
いうのである。

『そういううしろ暗い過去がなかったら、カネなんていうものはそんなに貯ま
らんですよ。うしろ暗い過去があるから、人にも言われんわけでね』

(贓物故買=窃盗、詐欺などの犯罪行為によって不正に得た物品を売買すること)

戦争直後、韓国・朝鮮人がいくらかの元手ができるとすぐパチンコ店経営に乗り
出したのは、日銭が確実に入り、その額がほかの廃品回収や焼肉といった職
業よりも格段によかったからである。一日の売り上げだけを見ても、数字のゼロ
が一つかニつ多かったのだ。