朝日をダメにした罪深き幹部たち

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1マスコミ板からコピペ:03/02/22 16:27 ID:oAkSCjs0
1 名前: ◆F45Fv/G0RQ [] 投稿日:03/02/21 18:04 ID:mf2L3yOU
正論 平成15年2月号

元朝日常務が痛烈批判!
北朝鮮・中国に媚びて朝日をダメにした罪深き幹部たち

ジャーナリスト 元朝日新聞常務・青山昌史
評論家・片岡正巳

元朝日新聞常務と朝日ウオッチャー第一人者が朝日「戦後の言論報道」を徹
底検証する。「朝日はしばしば金日成ヨイショをしてきた」と片岡氏は指摘
し、「状況は激変、戦後路線見直しが急務」と青山氏は力説する。

続きは>>2以降
2日出づる処の名無し:03/02/22 16:28 ID:oAkSCjs0
2 名前:文責・名無しさん[sage] 投稿日:03/02/21 18:05 ID:mf2L3yOU
 青山  今日は戦後の朝日新聞(以下朝日)の言論報道に関する問題点、
反省点を取り上げるわけですが、私は朝日に長く在籍して常務会メンバーで
もありました。若干の前置きをさせていただきたいと思います。
 朝日の言論報道が何もかも問題というわけではありません。ロッキード事
件やリクルート事件は朝日の特ダネでしたし、政界浄化に貢献してきた。戦
後の民主化や社会経済の繁栄にも、それなりに寄与しているし、充実した企
画事業もやっている。要するにいいことも大いにやっているのを前提とした
うえで問題点、反省点をあえてお話ししたいと思います。
 簡単に私の経歴を申しますと、昭和二十七年(一九五二年)に入社し、地
方在勤のあと、政治部員として時を過ごしました。三木内閣の時に政治部長
をやり、大阪本社編集局次長、西部本社編集局長を経て広報担当取締役を務
めました。そのときに片岡さんとあいまみえたわけです(笑い)。
 その後、東京本社代表常務取締役になりました。終戦直後あるいは平社員
のころはともかく、幹部だった一定の期間については私も直接間接に責任が
あると思っています。今日はその反省もこめてお話ししたいと思います。
3日出づる処の名無し:03/02/22 16:28 ID:/LFyOJSb
いよっ!
4日出づる処の名無し:03/02/22 16:29 ID:oAkSCjs0
4 名前:文責・名無しさん[sage] 投稿日:03/02/21 18:06 ID:mf2L3yOU
 青山  朝日が拉致問題に冷たかったのは事実ですが、全く報道しなかっ
たと言えば、そうでもないんです。朝日は昭和六十年(一九八五年)八月十
九日付で警察担当の伊波新之介編集委員が「相次ぐ日本人拉致事件」「北朝
鮮工作員が暗躍か」という記事を書いています。
 片岡  産経新聞は昭和五十五年(一九八〇年)1月7日付で「アベック
3人組謎の蒸発」をスクープし、平成九年(一九九七年)二月三日付で横田
めぐみさんが北朝鮮に拉致されたことをいち早く報道しました。産経のめぐ
みさん報道を読売も毎日も、その日の夕刊ないしは翌朝刊で取り上げました。
しかし朝日はまともに取り上げなかった。朝日はどういう取り上げ方をした
かというと、産経の記事によって国会で問題になるわけですが、国会でこう
いう質問があったと間接的な記事を出したにすぎません。
 その後、拉致被害者の救出運動が起こっても、傍観しているだけで記事に
しない。なにかと言えば、過去の清算とか、日本人は人道的立場に立って北
朝鮮に食料援助をしないといけないといった論調を繰り返すだけでした。
 青山  伊波編集委員が、「北朝鮮工作員による拉致事件に遭った疑いが
強まっている」とちゃんと書いているのに、それを無視して社の幹部は北朝
鮮礼賛に突っ走った。
5日出づる処の名無し:03/02/22 16:29 ID:oAkSCjs0
5 名前: ◆F45Fv/G0RQ [sage] 投稿日:03/02/21 18:06 ID:mf2L3yOU
 片岡  もとへ戻りまして、日朝首脳会談の翌日の朝日社説(九月一八日
付)ですが、八人が無くなったのは痛ましいと社説は述べています。しかし、
やっぱり結論としては、国交正常化の窓口を閉じてはいけない、どうしても
これを成功する方に導いていかなければいけない。「正常化交渉に入るとい
う首相の決断を、植民地支配に対する謝罪表明とともに支持する」と従来の
姿勢と変わっていない。
 当日の一面に木村伊量政治部長の一文が載っていますね。「痛ましい。や
りきれない。我が子が、孫が、兄弟姉妹が、どこかで生きてくれていると信
じて、拉致被害家族は長くつらい歳月を耐え忍んできた。そのかすかな望み
は打ち砕かれた。無残な結末に言葉を失う」と書きながら。
 青山  後半で「けれども」となる(笑い)。植民地支配の問題は、韓国
に対すると同様、経済協力で処理すべきで、今の拉致問題とは時代も次元も
違う。
 片岡  「けれども」と反転して、「冷静さを失っては歴史は後戻りする
だけである」「日朝の不正常な関係は、北朝鮮ができる前、戦前、戦中の3
5年間にわたる日本による朝鮮半島の植民地支配に始まる」「戦後処理問題
を解決し、大局的見地に立って関係を正常化する」ことが日本の国益になる
という。要するに全然、変わらない。
 同じ日の「天声人語」にも驚きました。「拉致は朝鮮民主主義人民共和国
(北朝鮮)の特殊機関つまり国家機関の仕業であることを金正日総書記は公
式に認めた。そうした特殊機関による『犯罪』は珍しいことではない。米国
CIAに対する数々の告発を始め歴史上枚挙にいとまないし、かつての我が
国の特殊機関も例外ではない」と書くんですね。北朝鮮に対する国民の悲憤
が渦巻いているときにですよ。
6日出づる処の名無し:03/02/22 16:29 ID:oAkSCjs0
6 名前: ◆F45Fv/G0RQ [sage] 投稿日:03/02/21 18:07 ID:mf2L3yOU
 青山  テレビで家族会の増元照明さんが「朝日は非常に冷たかった」と
述べてました。増元さんの発言にOBの一人として本当に慄然としました。
 片岡  朝日が拉致被害者や家族に冷淡で、北朝鮮に甘かったのは事実で
すからね。
 青山  朝日の姿勢は、さかのぼれば戦後の朝日の社論の基調を作った笠
信太郎論説主幹、そして長期政権の広岡知男社長らに行き着く。
 広岡さんは社の最大株主の村山家との抗争期間を通じ、十数年にわたって
社長、会長を務め、その前の専務時代を含め朝日の言論報道をリードします。
その間、特に中国に入れ込むわけです。その後も編集担当の秦正流さんは新
ソ派ですから、親社会主義の方針は変わりませんでした。
 上が批米・親中ソ北ですから、下は上の姿勢を見てものを書き、しゃべる
わけですね。へつらいというか、出世志向というか、宮仕えの身としてそう
なってしまう。北朝鮮について言えば、編集幹部が訪朝する。訪問団を仕立
てて北朝鮮が設営したコースを見て回る。それで立派だと褒め称える。
 片岡  日本のプレスで最初に金日成に会ったのは朝日です。
 青山  編集局長の後藤基夫さんが北朝鮮へ行きました。
 片岡  あのときは金日成が朝鮮総連を通じて朝日へ声をかけてくるんで
す。昭和四十六年(一九七一年)九月に東京本社編集局長の後藤氏が北朝鮮
へすっ飛んで行く。それで九月二十七日付で一面から社会面まで使って金日
成会見記を載せる。北朝鮮はすばらしいと金日成ヨイショをやる。
 そして昭和五十五年(一九八〇年)にも再び後藤氏が訪朝団長になって行
く。この時は後藤氏は常務だったと思いますが、それでまた北朝鮮、金日成
ヨイショをやる。そのときに外報部の猪狩章次長が歯の浮くような、読むに
堪えないチョウチン記事、ルポルタージュを書きます。
7日出づる処の名無し:03/02/22 16:30 ID:oAkSCjs0
7 名前: ◆F45Fv/G0RQ [sage] 投稿日:03/02/21 18:08 ID:mf2L3yOU
 青山  亡くなった松下宗之君(前社長)も編集局長のときに金日成に会
っています。
 片岡  平成四年(一九九二年)、金日成の八十歳の誕生日の祝いに訪朝
し、これまた歯の浮くような金日成賛美を書いた(笑い)。
 青山  松下君は政治部の後輩ですが、残念ながら、「『男はつらいよ』
はいいです」といった映画談議などで一面をつぶした(笑い)。
 核についても、すでに問題となっていた拉致についても何も質していない。
そこが一番問題なんです。
 片岡  拉致のラの字も、問題になっていた日本人妻のニの字も聞かない。
金日成のいうことをひたすら聞いて紙面で大々的に持ち上げる。一番最初に
声がかかったのは、朝日が一番利用できると北朝鮮が白羽の矢を立てたから
でしょう。
 青山  向こうは友好人士を選んで招待するんですから。
 片岡  朝日は相手の期待に十分応える紙面づくりをした。
8日出づる処の名無し:03/02/22 16:31 ID:oAkSCjs0
8 名前: ◆F45Fv/G0RQ [sage] 投稿日:03/02/21 18:08 ID:v3WHUA3I

「頭をまるめて詫びるべきではないか」(青山)
「あの頃の社説は何とも凄まじかった」(片岡)

 青山  昭和三十四年(一九五九年)八月から日本赤十字社と北朝鮮赤十
字会の協定で北朝鮮への帰還運動が始まりました。その年の暮れから二十数
年にわたって約九万三千人の在日朝鮮人と日本人妻約六千人が北朝鮮へ渡る
わけです。「北朝鮮は労働者の天国」「地上の楽園」という朝鮮総連系の宣
伝が大きかった。朝日もこれに追随している。それらを信じて、多数の人々
が新潟から船に乗り込んだ。
 ところが、そのうちに帰国者のほとんどが消息不明になってしまうんです。
在日でテナーの永田絃次郎は昭和三十五年(一九六〇年)に日本人妻と実家
を連れて北朝鮮へ帰ったが、「オーソレミオ」をイタリア語で歌ったのを「米
帝の歌を歌うとは」ととがめられ、結局、家族ともども消されてしまった。
聞くと見るとは大違い。貧困と厳しい締めつけが待っていたわけだ。
 片岡  朝日の記事だからと、信じてしまったんですね。なにせ、北朝鮮
礼賛記事が続々と朝日に出てきましたからね。
 青山  昭和四十六年(一九七一年)十一月、朝日は十二回にわたって夕
刊で「チュチェの国」という特派員の北朝鮮ルポを連載しています。女性の
地位は向上してるとか、児童教育がすばらしいとか、医療は進歩していると
か、とにかく北朝鮮を持ち上げた。
 昭和五十三年(一九七一年)十一月に掲載された北朝鮮訪問記も、金日成
主席を頂点に一糸乱れずという印象を受けたとか、衣食住になんの心配もな
いとか、例によってバラ色のルポですよ。もっとも、この頃、読売も高木健
夫さんが、朝日以上の北朝鮮賛美記事を掲載している。朝日と同類だ。
9日出づる処の名無し:03/02/22 16:31 ID:oAkSCjs0
9 名前: ◆F45Fv/G0RQ [sage] 投稿日:03/02/21 18:09 ID:v3WHUA3I
 昭和五十四年(一九七九年)五月には、北朝鮮は韓国のラジオを聞くのは
自由だが、韓国は北のラジオを聞くとスパイ容疑で捕まりかねないと書いて
いる。本当は逆だと思うんだけれど(笑い)。
 庶民の生活を見ても、北は住宅費、教育費、医療費はタダ同然。必需品の
物価は安いと。「偉大な首領様」というようなことを恥ずかしげもなく書い
ている。大体、朝日は、世襲制は認めないはずなのに偉大な首領様のお陰だ
と向こうの人は言っていると手放しで紹介しているわけですよ。
 片岡  臆面もなく北朝鮮に媚びている。
 青山  戦時中、満州映画にいた李香蘭こと山口淑子という女優がいたで
しょう。戦後、彼女は自民党の参議院議員になって北朝鮮を訪問しています。
朝日は昭和五十四年(一九七九年)五月二十四日付で山口淑子の北朝鮮訪問
記を載せていますが、彼女は金日成のおしきせコースを案内され、「明るい
日本人妻」など礼賛のオンパレードです。書きも書いたり、載せも載せたり。
 片岡  平成十四年十月十七日に核の問題が浮上しました。そこで朝日が
様変わりしているんですよ。「言語道断である」と。産経や読売と論調がほ
とんど変わらない。
 青山  核開発問題が浮上して朝日はがっかりしたんでしょう。あれほど
礼賛してきたから。
 片岡  「これまで北朝鮮は核疑惑の指摘に対して、国際条約を遵守して
おり核開発はしていない、と主張してきた。それはやはり、国際社会を欺く
ウソだった」と、朝日社説は書くんですね。そして、「否定してきた疑惑を
一転して認める。厳しい対決姿勢をとった後に、相手から譲歩を引き出す。
こんな北朝鮮の瀬戸際外交の交渉戦術は珍しくない」と続ける。
 日朝首脳会談直後の論調とは様変わりしている。北朝鮮の汚い戦術がわか
っていたなら、今まで親北朝鮮の報道をなぜしてきたのかと言いたい。
10日出づる処の名無し:03/02/22 16:31 ID:oAkSCjs0
10 名前: ◆F45Fv/G0RQ [sage] 投稿日:03/02/21 18:09 ID:v3WHUA3I
 青山  宮仕えの身でだらしがないんですよ。わかっているなら、松下君
がなぜ聞かなかったのか。もっと早くはっきりと主張すればいい。
 北朝鮮では、金正日が独裁権を行使して、軍事力だけで国民を押さえつけ
ている。核や生物化学兵器を開発して近隣を脅かしている。農業はもうめち
ゃくちゃで国民は食うや食わず。餓死者が続出している。脱北者が続々中国
へ逃げ込んでいる。国連や日本などからコメをもらってやっと食いつないで
いる。まるで地獄絵ですよ。北朝鮮を楽園なんて宣伝し、拉致を黙認した人
間は万死に値する。それこそ頭を丸めて詫びるべきではないか。私も全く非
力で、勇気もなく、抗しえなかったことを深く反省しています。
 片岡  十月二十九日、三十日とクアラルンプールで日朝国交正常化の交
渉が行われた。何の成果もなく終わったんですが、拉致被害者家族は拉致問
題で一歩も引かない攻めの交渉をしたと、日本の交渉団を大層高く評価しま
した。
 翌十月三十一日付で各紙いっせいに日朝交渉の社説を掲げるんですが、ど
の社説も日本の交渉団を高く評価した。朝日も同じなんです。従来は、日朝
国交正常化交渉となると、日本の過去を問うて植民地支配の加害者としての
立場をもって交渉を成立させなければいけないと必ず言ってきたのに、それ
に一言も言及しない。
 十月十八日の核に関する社説と、この十月三十一日のクアラルンプール交
渉の結果に対する二つの社説が、それまでとあまりにも変わっているのに私
は驚きを禁じ得なかったです。
11日出づる処の名無し:03/02/22 16:32 ID:oAkSCjs0
11 名前: ◆F45Fv/G0RQ [sage] 投稿日:03/02/21 18:09 ID:v3WHUA3I
 青山  私もおやっと思いました。社論の転換を図っていると私は見てい
るんです。私はOBですから干渉がましく直接社内の人間に確認したわけで
はなく、これは直感です。
 ただ、はっきりしているのは、九月一日付で論説主幹が代わったことです。
それまでの佐柄木俊郎君は社会部出身。護憲論者で、中国や北朝鮮に親近感
を持つ。土井たか子氏のようなもんです。新任の若宮啓文君は私が部長のと
きに長野支局から政治部に採った記者です。同和問題に通じ、判断力も確か
で、なかなか書ける記者でしたよ。佐柄木君を若宮君に代えたのは、社の首
脳部に社論を転換しなければいけないという考えがあってのことでしょう。
若宮君や東京編集局長の秋山耿太郎君、この辺が社論転換を担わなきゃいけ
ない。
 片岡  若宮氏は論説副主幹でしたね。副主幹が主幹に昇格するのはどの
社でもあることですが、佐柄木主幹が他の部署に移るのではなく、ヒラの論
説委員に留まるというのは外から見れば降格と映ります。そうまでして佐柄
木氏を論説委員として残すのは、やはり意味があるでしょうね。
 佐柄木氏が主幹であった頃の社説は何とも凄まじかった。一例を挙げれば、
平成十三年(二〇〇一年)、小泉純一郎首相の靖国神社参拝をめぐって、朝
日の社説は中国、韓国の抗議に沿うような論調を展開しました。その社説は
回数だけでも他紙を圧して突出していましたが、「戦前の靖国神社は、軍国
日本が国民を動員する装置の一つだった。若者を戦場へと送り出す宣伝に使
われた」とまで唱えています。これはもう、エキセントリックとしか言いよ
うがありませんよ。
 そして同年八月十五日付の社説は「昭和天皇の戦争責任」は「免れない」
と言い放ちました。いかな朝日でも、ここまで明言したのは初めてではない
でしょうか。こういう社説を掲げていたら、社会の支持を得られなくなる、
部数にも影響すると判断して論説主幹を交代させて、社論の転換を図るとい
うことになったのでしょうか。とすれば佐柄木前主幹が論説委員として留ま
るのが気になります。
12日出づる処の名無し:03/02/22 16:33 ID:oAkSCjs0
12 名前: ◆F45Fv/G0RQ [sage] 投稿日:03/02/21 18:10 ID:v3WHUA3I

「社論の転換は歓迎すべきこと」(青山)
「転換を容易に信用はできない」(片岡)

 青山  佐柄木支持の声も無視できないのでしょう。論調が変わったとい
うのは北朝鮮問題だけでなくPKO問題もそうです。これまで朝日は一貫し
て自衛隊のPKO派遣に反対していました。そもそも朝日は自衛隊を認知し
ていなかったのです。
 ところが九月十七日付の社説は自衛隊の中にPKOを専門とする待機部隊
のようなものを設置してはどうかと提案している。この段階で自衛隊をなし
くずしに認知したわけです。
 その理由として、自衛隊のPKOは国際的にも認知されている。世論も支
持していると。それを推し進めていくと憲法改正につながるのではないかと
いう見方が社内からも出ているようですね。
 片岡  その前の同年三月二日付社説は、「新生東ティモールの船出にで
きる限り支援の手をさしのべたい。それはアジアの一員としての責務でもあ
る。派遣される自衛隊員は任務の重さを自覚して国際社会の期待にこたえて
ほしい」と述べています。
 私はこの社説を見てわが目を疑いました。ほんとにこれは朝日だろうかと、
もう一回読み返しました(笑い)。
 青山  驚いた人が多かったと思いますよ。
13日出づる処の名無し:03/02/22 16:34 ID:oAkSCjs0
13 名前: ◆F45Fv/G0RQ [sage] 投稿日:03/02/21 18:11 ID:v3WHUA3I
 片岡  青山さんがおっしゃるように朝日はPKO法に絶対反対でした。
PKO法が国会で成立したとき、社説は「政治に対する不信感も広がるだろ
う。憂慮すべき事態だ」とまで公言しました。
 その朝日が東ティモールPKOへの自衛隊派遣を後押ししたのですから、
たまげましたよ。
 青山  社論の転換は歓迎すべきことです。しかし、社会面その他の紙面
のほうはときどき妙な先祖返りみたいなのが出るので当惑しているんです
よ。
 片岡  昭和五十八年(一九八三年)頃だったでしょうか、もう亡くなり
ましたが、朝日出身の佐々克明さん、この方は佐々淳行氏(初代内閣安全保
障室長)のお兄さんですが、私はラジオ日本で対談したことがあります。私
は朝日の左翼偏向を俎上に乗せましたが、佐々さんもこれに同調しました。
 同時に佐々さんはこうおっしゃった。入社したときに、「朝日の紙面は体
制四、反体制六のシブロクが編集上、販売上、経営上最も安定すると教えら
れた。そのバランスが崩れると、内部浄化というか自己復元作用が起こるん
です」と。その繰り返しだとおっしゃるんですね。大層興味深い話で、私は、
今はニッパチ(二対八)ですなと受け応えたことでした。
 論調のドンデン返しがしばしば見られるのは、佐々説の表れかもしれませ
ん。でも、しばらくするとまた先祖返りする。現在、社論の転換を図ってい
るといっても、容易に信用はできません。
 青山  ソビエト連邦が崩壊して十年以上経っている。中国も私企業の経
営者を党員にする。国営企業や人民公社の農業なんてどっかへ行ってしまっ
た。いまや市場経済万能で、共産党独裁もどこまで続くのか。北朝鮮の正体
もはっきりしてきた。これで社論の転換をしない法はないですよ。おそまき
ながら当然やるべきことをやっているのではないかと私は解釈しているんで
す。
 大いに転換してほしいですね。昔のことを反省して。でなければ、社の将
来は暗い。
14日出づる処の名無し:03/02/22 16:35 ID:oAkSCjs0
3が抜けてました

3 名前:文責・名無しさん[sage] 投稿日:03/02/21 18:06 ID:mf2L3yOU
「朝日は拉致問題にいたって冷淡だった」(片岡)
「社の主要幹部が北朝鮮礼賛へと走った」(青山)
 片岡  青山さんと初めてお会いしたときは、それまでの広報担当とはず
いぶん違うな、という印象をもちました。
 さて、いま国民の関心事になっている北朝鮮報道から始めましょう。素直
に言って、私は北朝鮮に関して朝日の論調はかなりぐらついていると思いま
す。
 拉致被害者五人が帰国して以来、朝日を始め各紙は盛大な報道を展開して
いますが、それ以前の朝日は拉致問題に対していたって冷淡でした。一例を
挙げますと、大韓航空機爆破事件が起こって、実行犯である金賢姫の日本人
化教育をした李恩恵、田口八重子さんですが、大変問題になりました。この
ときも朝日は冷たかった。
 その直後の日朝国交正常化交渉で日本側が李恩恵問題をテーブルに載せよ
うとしたのに対して、北朝鮮は烈火のごとく怒って席を立つ。交渉決裂で次
回の開催日も決まらない。そのときの朝日社説は、植民地支配をした加害者
としての立場で交渉を成功させなくてはいけないと主張したが、李恩恵つい
ては一切言及しなかった。当時、私は、「拉致された悲劇の同胞を朝日は見
捨てた」と論評しました。
15日出づる処の名無し:03/02/22 16:36 ID:oAkSCjs0
続きは

【元常務が批判】朝日をダメにした罪深き幹部たち
http://society.2ch.net/test/read.cgi/mass/1045818272/


ちょっとコピペしすぎたかも・・


あと、正論買いましょう!
16ななし:03/02/22 16:45 ID:2AUgiUDM
宅間守を育てたのも朝日。
17日出づる処の名無し
もう今更何しても遅い。過去は消えない。信用できない。
以上!