●◎武士道・The soul of Japan◎●
どうも『誇り』というものに対する認識が、俺と船虫とでは違うようだ。
俺は『誇り』を「義務の生じる思考」だと考えている。
『誇る』ということは、敬意の対象に己も所属するということであり、
その対象に己を近づけるために、自らを鍛えねばならない。
なぜなら、己の怠惰は、自ら所属するものを汚すのと道義だからだ。
船虫の認識するところの『誇り』は、それは『驕り』というものではないか?
『己をどうするか』という思想に、他者の存在は関係ない。
まあ、船虫の場合、己の思考をなにか「不変の真理」か何かと勘違いしているから
誰からも無視されるんじゃないかな。
具体例を挙げるとこのへんな、
>誇りを持つというのはだいたいにおいて非合理なもの不正と言ってもいいようなものを容認している
>誇りを持つこと自体はその誇りの対象を選ばないからだ
>信長の残虐な面も、新渡戸の一般的日本人を卑下した思想も
>倫理
>重要なのは倫理であり、その妥当性が良い誇りか悪い誇りかが決定される
「だから〜〜〜」と言うようなときに、自分にしか通用しない理由を持ち出しても、
誰も納得しないぞ>蛆虫