>>232 江戸末期明治初期に苗字を公称した人口は120万人で、総人口3300万人の
3.6%である。
商人にしても、日常は屋号を公称していたが、先祖代々の苗字を伏せ通称の中に
出自を忍ばせており、明治になり晴れて名乗ったのが実情である。田畑を耕しその
土地を守る為に武装化した農民が初期の侍だがその後帰農した者達はそのまま苗字を
名乗った。苗字が残っていない物は(荘園主や荘園から由来する)地名から取った。
その影響から田舎では極端な場合、一村同姓などのケースもあり、現在でも
屋号が機能している土地は多い。
珍姓の宝庫と言われる新湊市のように、事物の名の苗字が多い地域も中にはあるが、
そのような例は稀である。
僧職者のように、元々苗字の無い人々は、仏典や仏具などより新姓を創出している。