中国、朝鮮、日本では砂鉄から鉄を作っていました。
通常、1トンの鋼を得ようとすると、砂鉄は12トン、木炭14トンが必要と計算されます。
昔は「たたら」と呼ばれる製法で鉄を作っていましたが、
一回で得られる大塊が2トンとすれば、砂鉄は24トン、木炭は28トンが必要になります。
木炭24トンを作るのに薪は100トンを必要とします。
たたらで1回の製法を一代といいますが、一年にだいたい60代くらいやっていたそうです。
一つのたたらの組織が1年製鉄をしたら、なんと6000トンの薪が必要になる計算になります。
まさに、山が丸裸になってしまう消費量です。
乾燥地帯である中国や朝鮮では、
一度森林を伐採してしまうと復元力が乏しいため森は消滅していきます。
(殷・周〜秦末までの時代、華北は60%近くが)
(森林地帯だったことが最近の学術調査で解ってきております。)
こういった大陸と比べ、日本は高温多湿の環境で水も豊富であり
森を伐採しても30年くらいで元に戻ります。
大陸で華をひらかせた製鉄も3世紀くらいになりますと急速にしぼんでいきます。
製鉄に携わる人々は、森を求めて移動し、
やがて朝鮮半島の地にも森がなくなると日本に眼をつけるようになります。
日本の地は、古代から製鉄や米作の適地として注目されていたと感じます。
森の復元力が強く、良質の砂鉄を産する山河はまさに製鉄に携わる人々にとっては、
理想の地とも思えたのではないでしょうか。
少し歴史の流れを見ると、大陸の製鉄はどんどん下火になっていき、
12世紀ころになると殆どなくなります。
これに共鳴するように、中国では宋という帝国が起こり、
朝鮮では李氏朝鮮という王国が誕生します。
鉄の生産がなくなったこの国は、急に反動的な儒教の思想によって
後退と退嬰の、所謂アジア的停滞の国に変貌していきます。
それとは逆に日本では、どんどん鉄の生産が飛躍的に伸びていき、社会は発展を続け、
かつては文明の華であった中国や朝鮮が停滞期にはいる室町期には空前の生産量を誇り、
逆に輸出の主品目に日本刀(中国では刀剣として使うのではなく純粋な鋼としての利用)をあげる程になったのです。
(亨徳2年、1453年、足利将軍義政の時代に日本刀の輸出は9千5百振という記録があります。)
室町時代は、政治は乱れ戦乱の様相ですが、民力は過去最高の水準に達し、
今所謂和風と呼ばれる文化の原型はこの時代に成立するのです。
鉄という金属は、人の競争力を刺激して文明を一気に押し上げ、
人の世を広域社会に組み上げる魔力をもった金属だったのですね。
(゚∀゚)ノ <ヨッテ鉄ハニホソノ文化ピョ〜!