韓国を酷評したイザベラ・バード

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1日出づる処の名無し
では日本の事はどう語られたのだろうか。
2  :02/05/03 07:56 ID:geXlp/kJ
イザベラ・バード がまずなんなのか分からん俺はトンチンカン
3日出づる処の名無し:02/05/03 08:42 ID:+oXixgVp
秋刀魚!
4ソルジャー陸介:02/05/03 08:46 ID:8Dn/FmBL
ガリガリに貧しい筈だった当時の東北の山形県置賜地方を、「東洋のアルカディア」だと激賞していたな。
世界レベルでは、決して東北は貧しくなかったということか。
5折れも知らん:02/05/03 08:46 ID:wG0ZZJdt
6日出づる処の名無し:02/05/03 08:50 ID:GmSUjEAb
>>4
サヨクに脳内を犯されすぎです。
サヨクの精液で脳内はドロドロ。
7日出づる処の名無し:02/05/03 12:13 ID:DBan4vnY
「日本奥地紀行」マンセー!!

しかし同時代の日本と朝鮮がこれほど対比したように描かれると
朝鮮ちょっとあはれなり。
8韓国:02/05/03 14:45 ID:IbdQtyQQ
読者は朝鮮人の無気力、怠惰、居候根性、貧しさをつぶさに観察されたこと
になるが、このため朝鮮の独立はきわめて困難で、将来を望むことが難しい。
朝鮮の事々物々はことごとく低級である。貧弱である。劣等である。

「彼らはいつも借金で首が回らず、何かちょっとした官職の一つでも回って
こないかと首を長くしており、それを得るためにあらゆる卑劣な行為をつくし、
それでもなお望みがかなえられない場合には飢えて死んでしまう」

「北京を見るまで私はソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、
紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだと考えていた。
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。
礼節上2階建ての家は建てられず…」

「こういった溝に隣接する家屋は一般に軒の深い藁葺きのあばら屋で、
通りからは泥壁にしか見えず、ときおり屋根のすぐ下に紙をはった小さな窓があって人間の住まいだと言うことが分かる。
又溝から2,3フィートの高さに黒ずんだ煙穴がきまってあり、
これは家の中を暖めるとと言う役目を果たした煙と熱風の吐き出し口である。」

「瓦屋根の反り返った上流階級の家屋でも、通りから見た体裁の悪さと言う点ではなんら変わりがない。」

「このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、
これは困難きわまりなかった。
名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。
公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が
二つしかなかった。
盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。
搾取と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、
どの職位も売買の対象となっていた。」


9  :02/05/03 15:05 ID:uwgj6ImB
あげ
10日出づる処の名無し:02/05/03 15:12 ID:dvyaINKB
別に「酷評」ではなくて、客観的に見た事実を言っただけでしょう。
11朱雀 ◆OtUfBSUc :02/05/03 15:14 ID:cAKOSx2f

● 第39信 (第34信) 蝦夷、函館にて 日付なし 

・ 刑務所 

そのことは、私がその後でユースデン氏夫妻と訪ねた刑務所にもごく当然のように当ては
まっている。街から少し離れた広々した庭園に建っている楽しい、おそらく楽しすぎる刑
務所である!私はこの感想を警察署長と我々を接待してくれた主任に対して述べたが、署
長は、犯人の中には戻って来ることを大変好んでいる者もいる、と笑いながら答えた(原
註)。

[原註]情状酌量のない野蛮で残忍な行為、容赦のない略奪というものが囚人の扱いを規
定しているカントン(広東か)の大きな刑務所であるナアムホイ治安判事の刑務所を訪問
して以来、私はその時、自分の前に現れた、函館の刑務所の制度の過度な寛大さを大目に
見る気分になっていた。

換気のよい寮舎、作業舎、食堂、扱いにくい犯人の監禁用の熊の檻のような独房をふくめ
て別々に数棟の建物がある。170人の囚人が服役中で、10人が殺人犯、19人が終身
懲役刑に処せられている。女囚は4人だけである。全員は17人の看守の管理下にある。
かなりの自由は容認されている。重労働は道路工事と荷車曳きで、軽労働は工場での作業
である。

なめし工場があり、高級家具、木蝋のろうそく、石鹸、アルコール、香水を作っている。
また、その他にも銅版や木版を行っている。普通は自分の本業だった仕事に従事すること
が許されるが、農民の場合は手仕事を持たないので刑務所内で何か手仕事を教わることに
なる。同じ部屋で8人以上が働くということは決してないが、驚いたことに彼らは会話が
許されているのである。

170人の中で品がなく犯罪的な顔として見分けられるのは2人だけだった。大部分のも
のは感じのよい聡明な職人のように見え、読み書きのできないものは7パーセントしかい
ない。彼らは赤い着物を着ているが、身体的には何らの規制も受けていない。監禁房を除
いては独房らしいものはない。彼らは看守とお互い同士の間では番号で知られるだけである。

12朱雀 ◆OtUfBSUc :02/05/03 15:14 ID:cAKOSx2f

100日以上の判決を受けている者は全員写真を撮られ保存される。彼らは出来高払いの
仕事として作業に対して賃金を受け取る。食費は差し引かれ、残額は積み立てられて刑期
の終了時に手渡される。それが彼らに事業を始めさせるのに十分な額に達することもしば
しばある。囚人の身元を隠すために十分な注意が払われている。

囚人のうち誰もが私の言うことが聞こえる(注:理解できる)ことはありえないと思って、
私は領事の通訳に1人の秀でて見える人物がいかなる犯罪でそこにいるのかを尋ねた時の
ことだった。署長は、我々がその男の仲間が我々の話が聞こえないところに来るまで質問
を延期してくれと私に懇願するのであった。刑務所に付属した花壇があり、囚人たちはそ
れを大いに楽しんでいる。現在何人かの囚人が菊を栽培している。悪くなった卵や鳥の死
骸が根元に埋められ、1本に花を1つだけつけるように仕立てられている。この刑務所の
刑罰の唯一の効果的な特徴は、家庭生活の取り消しと自由に動き回ることができないこと
であるように私には思える。あまりにも思いやりがあり、囚人たちは実に幸せそうである。
この寛容な制度が矯正の成果を生み出すものかどうか私には確かめるすべがない。

13朱雀 ◆OtUfBSUc :02/05/03 15:25 ID:MdKgRGs7
イザベラ・バードではないけれど

地上に縛り付けられている3人の男がそこにいた。彼らの首と足は台柱にくくりつけられ、
手は縛り合わされていた。部屋には明かりもなく通風窓もなかった。ただ僅かに壁に開けられた小さな穴があるだけであった。彼らの背には笞打ちで裂かれた恐ろしい傷跡があり、
その手はきつく縛り付けた縄の為、所々骨が見えるほどに肉が裂けていた。そしてそれら
の傷跡は、全く膿み放題になっていた。手足の上部は腫れ上がり、笞跡と水ぶくれができ
ていた。

1人の男の目はふさがっていて、視力を失っており、まぶたからはたくさんの膿がたれ出
ていた。多分両眼を笞でひっぱたかれたのであろう。男たちは終日動くこともなしに、こ
うして監禁されたままなのである。私は彼らを日の当たる場所に連れ出した。それは難しい作業であった。彼らのうちの1人は四肢が萎えてしまっていて、既に殆ど身体を動かす
ことが出来なくなっていた。彼らはみんな飢え衰えて、なにかを嘆願したり抗議したり
する気力も失ってしまっていた。そこは私のこれまでに見た限りでの地獄への一歩手前で
あった。
F・A・マッケンジー『朝鮮の悲劇』
14参考資料:02/05/03 15:31 ID:lPw5uoTi
1880年頃の南大門路
tp://foreign.korail.go.kr/japan/centennial/photo/img/photo-100/p-1-1.jpg
15ゆうちゃん ◆loLi/YPI :02/05/03 15:40 ID:nZGxzwqE
確か東洋のアルカディアといってたらしい

1年前のハン版の記憶だけど

長岡のほうにいったんだっけか
16朱雀 ◆OtUfBSUc :02/05/03 16:07 ID:2y3H0dLC

冬に雪深いのでスキーを好きな人は天元台などが近くにあり別天地と思うでしょうし、そ
の他の時期に訪れた人は一見米国カリフォルニアのサンフランシスコ南部あるいは北部の
太陽がサンサンと照る地域を思い出すでしょう。明治時代に米沢から赤湯温泉まで訪れた
イギリスの女性旅行家イザベラ・バードが「東洋のアルカディア」(アルカディアはギリ
シャのペロポネソス半島の真ん中にある牧歌的理想郷)といったというのも、うなずけます。
http://www.threeweb.ad.jp/logos/is/language.html

南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったくエデン
の園である。「鋤で耕したというより、鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、とうもろ
こし、煙草、麻、藍、大豆、抑子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽
培している。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカデヤ(桃源郷)である。自力
で栄えるこの豊沃な大地は、すべて、それを耕作している人びとの所有するところのもの
である。・・・・・・美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な地域である。山に囲まれ、明るく
輝く松川に灌漑されている。どこを見渡しても豊かで美しい農村である。(「日本奥地紀
行」平凡社東洋文庫、1973)
http://member.nifty.ne.jp/shomenif/uesugi.html

17朱雀 ◆OtUfBSUc :02/05/03 16:23 ID:oxF6gL7H

このイギリス婦人は西南戦争が終結した翌年日本にきて、その旅行記をまとめたのが『日本
奥地紀行』だが、彼女はけっして頑健な人ではなかった。むしろ病弱な人で、健康のために
外国旅行を志したという。しかし日本に来たのが47歳で、翌年にはマレー半島を旅、58
歳から59歳にかけてはチベットからペルシャを2年がかりで回り、63歳から65歳にか
けては朝鮮と中国を何度も訪問し、70歳ではモロッコを旅行するというタフぶりから驚く。
体よりも精神がタフなのだ。
18朱雀 ◆OtUfBSUc :02/05/03 16:24 ID:oxF6gL7H

上中野は非常に美しい。秋になって、星の形の葉をつけた無数の紅葉が深紅の色をつけ、暗
い杉の森を背景として美しく映えるとき、森の中の大きな滝は雪の降るように白く輝きなが
ら下の暗い滝壺に飛び散り、遠く旅をしてやって来る価値が充分にあるにちがいない。これ
ほど私を喜ばせてくれたものを今まで見たことがない。

谷間には稲が栽培されているが、耕作地はあまりない。この地方は荒涼として非常に寒そう
に見える。農業を営む部落の様子はますますひどくなってきた。家屋は粗末な土の家で、横
に穴を開けて光を入れたり、煙を出したりしている。壁はただ大きな樹皮や藁束を縄で柱に
結びつけているだけのものもあった。(略)人びとの姿もたいそう汚かったが、特に貧困であ
るという様子はなかった。北海道から魚を運んできたり米を運んで行くための馬や馬子の代
金として多額の金を得ているにちがいない。

私は、りっぱな新道を通って水田と低い丘のある広い谷間を登った。すると砂利の多い高い
丘に囲まれた小さな平野が眼前に開けてきた。丘の傾斜地に上ノ山の町が心地良く横たわる。
人口3000を越す温泉場である。今はお祭りの最中、どの家にも提灯や旗が出してある。群衆
は神社の境内にあふれている。神社はいくつかの丘の上にある。上ノ山は清潔で空気がから
りとしたところである。美しい宿屋が高いところにあり、楽しげな家々には庭園があり、丘
を越える散歩道がたくさんある。ここは日本でもっとも空気がからりとしているところの一
つだといわれる。もしここが外国人の容易に来られる場所であったら、美しい景色を味わい
ながら各方面にここから遠足もできるから、健康的な保養地になるであろう。温泉場を訪れ
て、彼らの風習や娯楽、そして、ヨーロッパから何も取り入れていないのにまったく完璧な
文化を観察するのは興味深い事だ。

19 :02/05/04 12:37 ID:mtNlB/f0
あげ
20名無しさん:02/05/04 13:04 ID:1fWcPJ5l
>>4
そのアルカディアに去年行ったが、どうしてここがアルカディア?と首を捻らざるを得なかった・・・
21名無しさん:02/05/04 13:07 ID:1fWcPJ5l
バードは日本のことをふけつだとか色々負の印象も持っているよ。
本にちゃんと出ているので読んでくれ。
いい所鳥だけはだめよ。
22日出づる処の名無し:02/05/04 13:15 ID:zrteSeoV
負の印象についても記しているということは、褒めている箇所についての
記述の信憑性が増すことになる。

19世紀末の山形を、本当にアルカディアのようだと感じたのだろう。
23日出づる処の名無し:02/05/04 13:39 ID:bQPDvTN9
>>8
>読者は朝鮮人の無気力、怠惰、居候根性、貧しさを

これって今の日本の若者のことじゃないですか。
日本は朝鮮化され続けてきたのだろうか?
それだと辻褄があうんだよなあ(鬱
24朱雀 ◆OtUfBSUc :02/05/04 15:15 ID:KruTr3G4
>>21
>バードは日本のことをふけつだとか色々負の印象も持っているよ。
>本にちゃんと出ているので読んでくれ。
>いいとこどり(所鳥)だけはだめよ。

>>18 の記述はいいとこ取りではない。

この地方は荒涼として非常に寒そうに見える。農業を営む部落の様子はますますひどく
なってきた。家屋は粗末な土の家で、横に穴を開けて光を入れたり、煙を出したりして
いる。壁はただ大きな樹皮や藁束を縄で柱に結びつけているだけのものもあった。(略)
人びとの姿もたいそう汚かった

25日出づる処の名無し:02/05/04 16:09 ID:XK8Jph/p
今の日本は汚いからねえ
ちょっと前までは、ほんとに美しかったよ
林もブナ林が多く、暖かな林が多かった
その後急速に暗くて冷たい感じになった
26日出づる処の名無し:02/05/04 20:05 ID:LO+7MN88
>>23
天才のレベルは昔の若者より現在の若者の方が格段に高い
27日出づる処の名無し:02/05/04 20:13 ID:b18mHutZ
>>26
才能のことじゃない。人間としての生き方を言っているのだよ。
28日出づる処の名無し:02/05/04 23:55 ID:g5w1qPL/
日本紀行と韓国紀行買ってもうた アマゾンで
29日出づる処の名無し:02/05/05 00:13 ID:egc0cmI0
>>27
いや、意外とちゃんと考えてる。
テレビはアホを映しすぎ。
30日出づる処の名無し:02/05/05 03:11 ID:8/diODJK
日本に来たばかりのバードは日本人の体系について結構
きついことを書いているけど、滞在が長くなるにつれて
そんな印象が薄くなっていく。
第三信(東京)
日本人は、西洋の服装をすると、とても小さく見える。
どの服も合わない。日本人のみじめな体格、凹んだ胸部、
がにまた足という国民的欠陥をいっそうひどくさせる
だけである。顔に色つやがなく髭をはやしていないので、
男の年齢を判断することはほとんど不可能である。
第三十信(黒石)
私は、三人の「クリスチャン学生」が弘前からやって来て
面会したいと聞いて驚いた。三人ともすばらしく知性的な
顔をしていて、きれいな身なりの青年であって全部少しばかりの
英語を話せた。その中の一人は私が今まで見た日本人のうちで
最も明るく最も知性的な顔をしていた。
31日出づる処の名無し:02/05/05 03:14 ID:MCKBmSUx
この本はとても面白いよ。
ただ、2ちゃんで引用される部分は朝鮮の貧しさ、不潔さを描いたところばかりなのは少し問題あり。
著者は決して朝鮮のすべてを嫌っているわけではない。
自然の美しさと住んでいる人々の善良さ(両班以外)に関してはかなりの評価をしている。

「朝鮮の運命をめぐってロシアと日本が対峙したままの状態で本稿を閉じるのはじつに残念な思いである。
わたしが朝鮮に対して最初にいだいた嫌悪の気持は、ほとんど愛情に近い関心へと変わってしまった。
また今回ほど親切でやさしい友人たちとめぐり合った旅はなく、今回ほど友人たちに対して名残おしさを覚えた旅もなかった。」

この本のほとんど最後の文章だが、著者の朝鮮への愛情が伝わってくる。
そして、それだけにかえって悪口の部分に信憑性が感じられる。
ソウルの町の不潔さ、政治や商業の貧困に関してはぼろくそ。
「日帝支配」以前から人々が反日的だったこともわかる。
本全体読んだ印象では「自力で近代化なんて絶対無理!」というしかない。
32日出づる処の名無し:02/05/05 03:19 ID:LHq83POu
>>31
所詮昔から他人に恨み言しか言えない駄目民族。
33日出づる処の名無し:02/05/05 03:20 ID:8/diODJK
>>30は「日本奥地紀行」の方ね。
「朝鮮紀行」は未読。
東洋文庫って高くってさ。
34 :02/05/05 03:52 ID:l+jzEbU1
>>33 講談社学術文庫でも出てる。それでも1500円だけど。
35日出づる処の名無し:02/05/05 09:20 ID:UAySZJg0
バード女史は朝鮮人について、ロシア領内の朝鮮族を見て、勤勉で
豊かな生活をしており、朝鮮人の潜在力を示していると評価している。

日本の朝鮮経営については、誠実であり、朝鮮の一般民衆に利益をも
たらすものであり、朝鮮の近代化の動きは日本の敷いた路線に従って
いると好意的に述べている一方、方法に計画性が無く、また柔軟性にも
欠けるので朝鮮人の恨みを買いやすいと言ってるね。また警官と創設
朝鮮軍は明らかに過剰だと酷評しているし、閔妃事件やその後の動き
では日本の介入を非難もしている。
それから、秀吉の朝鮮出兵のことで、朝鮮人は日本人が嫌いだと言うこ
とも紹介している。日本人経営の会社とは取引をしたがらないなど。でも
日本製の製品は喜んで買うんだと(笑)。

日本の『誠実だが柔軟性が無く現地人の恨みを買う』という評価は、満州
でも、ベトナムでも言われていることなのだよなあ。
36くしなだ神社@神主:02/05/05 10:42 ID:XhYUEOog
>>35
>日本の『誠実だが柔軟性が無く現地人の恨みを買う』という評価は、満州
>でも、ベトナムでも言われていることなのだよなあ。

反省しなくちゃね・・・。
37日出づる処の名無し:02/05/05 11:14 ID:Al1GdWF4
朝鮮紀行はそこそこ読めたなあ・・・・
ダレってフランス人の本、あれは酷かった
当時の半島のレポは、大体バードと似通ってるんだけど
それが悲惨だ何だって・・・
何故かって? 悪い事が全部日本の責任になってんの  (苦笑
日本がどれほど嫌々併合して、やったからにはやり通すの
気概で金と物と人を注ぎ込んだかが全然分かってませんこの人。

流石ナチシンパの癖にちゃっかり戦勝国顔してるフランス人
ヨーロッパの朝鮮ですな


38くしなだ神社@神主:02/05/05 11:27 ID:XhYUEOog
>>37
>ヨーロッパの朝鮮ですな

それほど長くないとはいえ、輝かしい歴史と文化・思想を持つフランスを
朝鮮呼ばわりしてはいけません。
39くしなだ神社@神主:02/05/05 11:40 ID:XhYUEOog
ちょっと言い過ぎた。ごめんなさい。m(_ _)m
40日出づる処の名無し:02/05/05 11:59 ID:Al1GdWF4
いえいえ、ちょっと煽ってみました   (笑
とは言えああ言うアピールの旨さは羨ましいんですよね
ヨーロッパ人にアジアの国として比べられるのは良いですね
理不尽も有るけど、ちょっと背筋が伸びる気がする

ドイツ人が来たらフランス人を貶し、イラン人が来たらイラク人を貶し
日本人を見つけたら朝鮮人を貶しながら物を売るのがインド流だそうです
何と言うかまあ・・・
インドだけは地球の終りまで無くならないな
41日出づる処の名無し:02/05/05 21:46 ID:SoDHoEZo
>37

おいおい、朝鮮ゴキブリにあんな立派な文化があるはず無かろう。
謝罪と賠償を(以下略)
42日清戦争後の情況:02/05/05 23:52 ID:iPOvnKJx
「その前年の冬の不況は終わっていた。日本は支配的立場にあった。この首都に大守備隊を置き、
内閣の要人数名が国の名代として派遣され、日本の将校が朝鮮軍を訓練していた。
改革といって語弊があるなら変化はそこかしこにあり、さらに変化が起きるといううわさがしきりにささやかれていた。
表向き王権を取りもどした国王はそのような情況を容認し、王妃は日本人に対して陰謀をいだいているとうわさされたが、
井上[馨]伯爵が日本公使を務めており、伯爵の断固とした態度と臨機応変の才のおかげで表面上は万事円滑に運んでいた。
 1895年1月8日、わたしは朝鮮の歴史に広く影響を及ぼしかねない、異例の式典を目撃した。
朝鮮に独立というプレゼントを贈った日本は、清への従属関係を正式かつ公に破棄せよと朝鮮国王に迫っていた。
官僚腐敗という積年の弊害を一掃した彼らは国王に対し、《土地の神の祭壇》[社稷壇]前において
その破棄宣言を準正式に執り行って朝鮮の独立を宣言し、さらに提案された国政改革を行うと宗廟前において誓えと要求されたのである。
小事を誇張して考える傾向のある国王は自分にとってきわめて嫌悪を感じさせるこの誓告をしばらく延期しており、
式典の前夜ですら、代々守ってきた道を外すことはならぬと祖先の霊から厳命される夢を見て、式典執行におびえていた。
しかし井上伯爵の気迫は先祖の霊を凌駕し、北漢山のふもとの鬱蒼とした松林にある、朝鮮でもっとも聖なる祭壇において、
王族と政府高官列席のもとに誓告式は執り行われた。事態を由々しく受け止めた老年の人々はその前々日から食を絶って嘆いた。
(略)
政治的な見地からは朝鮮国王がつぎのような宣誓を行ったことは、このたびの戦争という冗長なドラマにおける最も意義深い場面であった。」

[国王の宗廟宣誓文]
…卑しき末裔たる朕は、ここに14ヵ条の洪範を定め、わが祖先の御霊の前において、代々伝わった功徳を信じ、
この洪範を成功裏におさめることを不退転の決意で誓う。輝かしき御霊よ、朕を見守りたまえ。

[国政改革のための洪範14ヵ条]
1、清国に依存する考えをことごとく断ち、独立のための確固たる基礎を築く。
2、(以下略)              

「現在朝鮮の改革は日本の保護下では行われていないとはいえ、
進行中のものはほとんどどの段階においても日本が定めた方針に則っていることを念頭に置かなければならない。
 日日新聞は井上伯が朝鮮に関し「王室と国しか私の眼中になかった」と述べたと報じている。
1895年当時はこのような結論が正当だったのであり、おなじ結論に達したわたしは井上伯のように申し分のない権威に擁護されていることをうれしく思う。」
(322−328p)
43日本主導の改革:02/05/05 23:55 ID:iPOvnKJx
「1895年1月、ソウルは奇妙な状態にあった。「旧秩序」が変わりつつあるのに、新しい秩序は生まれていなかった。
陸海戦ともに勝利を得た日本は、戦前清に協力を要請していた国政改革を強要する体制にあった。1894年7月に日本軍が王宮を占拠して以来、
国王は「俸給をもらうロボット」にすぎず、またかつて権勢を誇った閔一族は官職から追放されていた。
日本は全官庁の監督責務を引き受け、腐敗した行政官に公正を強いる構えでいた。
(略)
日本が優位にあることは、毎日のように行われる新しい人事、規則の改正を見れば明らかだった。
日本人はかつてイギリスがエジプトに対して行ったように、朝鮮の国政を改革するのが自分たちの目的であると主張した。
たしかに自由裁量が許されていたなら、彼らはそれをなし遂げたはずだとわたしは思う。
とはいえ、改革事業は予想をはるかに越えて難航し、井上伯がほぼにっちもさっちも行かない状態にあるのは明らかだった。
(略)
朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心のある少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革の一つ一つが憤りの対象となった。
一般大衆は、ほんとうの意味での愛国心を欠いているとはいえ、国王を聖なる存在と考えており、国王の尊厳が損なわれていることに腹を立てていた。
官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、
全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。
政治腐敗はソウルが本拠であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはいえ、首都と同質の不正がはびこっており、
勤勉実直な階層をしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈していた。
 このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。
名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。
日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。
「搾取」と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。」
(342-344p)
44日出づる処の名無し:02/05/05 23:57 ID:iPOvnKJx
「臨機応変の才に欠けたのは日本の重大な手落ちであった。1894年7月に王宮を包囲して国王の身柄を拘束した事件は、
たとえ政治上必要だった−真意ははかりかねるが−としても、君主の尊厳を損ねたことに弁解の余地はない。
かつて陰謀を働いたものを高官の地位に無理やり就けたのは重大な過ちであり、長ギセルの廃止や宮廷服その他の衣装の改変、
社会風俗への干渉、そして瑣末でわずらわしい制約や規則といった柔軟性のないやり方は、新しい体制に反対する人々の敵意をつのらせたのである。
(略)
かくして「旧秩序」は日本人顧問の圧力下で日々変化を見せており、概してその変化はよい方向をめざしたものであったとはいえ、
制定ずみもしくは検討中の改革の数があまりにも多いため、何もかもが暫定的で混沌としていた。
朝鮮は清と日本の間で「迷って」いた。清が勢いを盛り返したら「憎まれる」のではないかと思えば、日本の提案する改革に心から同意することもできず、
また日本の天下がいつまでもつづくのではないかと思えば、改革に積極的な反対もできなかったのである。
(略)
私が朝鮮を発った時点での情況はつぎのようにまとめられよう。
日本は朝鮮人を通して朝鮮の国政を改革することに対し徹底徹尾誠実であり、実に多くの改革が制定されたり検討されたりしていた。
また一方では悪弊や悪習がすでにに排除されていた。国王はその絶対君主権を奪われ、実質的には俸給をもらう法令の登録官となっていた。
井上伯が「駐在公使」の地位にあり、政治は国王の名において10省庁の長官でなる内閣に司られていたが、その中には「駐在公使」の指名する者が数人含まれていた。」
(345-350p)

「朝鮮国内は全土が官僚主義に色濃く染まっている。官僚主義の悪弊がおびただしくはびこっているばかりではなく、政府の機構全体が悪習そのもの、
底もなければ汀もない腐敗の海、略奪の機関で、あらゆる勤勉の芽という芽をつぶしてしまう。
職位や賞罰は商品同様に売買され、政府が急速に衰退しても、被支配者を食いものにする権利だけは存続するのである。
 日本人が「改革」と呼ぶ新しい秩序は1894年7月23日に日本兵が景福宮を武力で占拠した時点から始まった。
相次いで発布された(必ずしも施行はされなかったが)改革法令は日本公使が主導したもので、まもなく到着した日本人「顧問」が仔細に調整した。
日本は朝鮮式機構の複雑多岐にわたる悪弊と取り組み、是正しようとした。現在行われている改革の基本路線は日本が朝鮮に与えたのである。
日本人が朝鮮の政治形態を日本のそれに同化させることを念頭に置いていたのは当然であり、それはとがめられるべきことではない。」
(474p)
45日本の目的:02/05/05 23:59 ID:iPOvnKJx
「日本は数度にわたって外交的勝利をおさめ、財政と商業の支配的立場を得ることに成功したのち、
朝鮮における利権を平等に要求する権利があると巧みに主張し、最終的に日清戦争でライバルを打倒することによって政治における支配的立場をつかんだ。
そしてその間朝鮮にとっては不幸な局面となった、二帝国の長きに渡る衝突は終焉を迎えたのである。
 戦争を起こした表向きの理由は、日本政府は慎重を期してそれに固執しているが、
日本にとって一衣帯水の国が失政と破滅の深みへと年々沈んでいくのを黙って見過ごすわけには行かない、国政の改革が絶対に必要であるというものだった。
日本がこの例外的な責務を引き受けたその最終目的はどこにあるか、それを憶測する必要はない。
日本が大変なエネルギーをもって改革事業に取りかかったこと、そして新体制を導入すべく日本が主張した提案は
特権と大権の核心に切り込んで身分社会に大変革を起こし、国王の地位を「給料をもらうロボット」に落ちぶれさせたものの、
日本がなみなみならぬ能力を発揮して編み出した要求は、簡単で自然な行政改革の体裁を示していたことを指摘すればこと足りる。
わたしは日本が徹頭徹尾誠意を持って奮闘したと信じる。経験が未熟で、往々にして荒っぽく、
臨機応変の才に欠けたため買わなくてもいい反感を買ってしまったとはいえ、日本には朝鮮を隷属させる意図はさらさらなく、
朝鮮の保護者としての、自立の保証人としての立場を果たそうとしたのだと信じる。
 一年有余、失敗はままあったにもかかわらず日本は前進を続け、有益かつ重要な改正を何件かなしとげ、またその他の改革を始動させた。
日本にとってみれば、現在行われている改革は自分たちが敷いた路線の上にあるものではないかと念を押していいのである。
そこへ三浦子爵の残忍なクーデターが起き、日本は文明諸国に対して国家と外交能力への信用を失ってしまった。
つづいて日本は駐屯隊を引き上げさせ、多数いた顧問官、検査官、軍事教官を帰国させた。そして積極的な専制から外見上自由放任主義的な方針にかわったのである。
「外見上」とわたしは書いたが、それはこの賢明で野心的な帝国が朝鮮での不運な情況をいっさいの終わりと認識し、
絶望のうちに身を引いた(!)とはとうてい考えられないからである。」
(564-565p)
46日出づる処の名無し:02/05/06 00:01 ID:ivZZTuCA
ああ疲れた。
打ち間違いがあったらごめんなさい。
47日出づる処の名無し:02/05/06 00:09 ID:NibyfMTN
こういう本って、やっぱ迫力あるよね
欧米人ってギリシャからの叙述のスタイルがあるから、日本人の
日記より全体の構図を追っていて情報量が多いし
日本人の日記は自分の内面を語るから駄目ね(事実は結構正直で
正確だけれども、全体の構図を捉える視点がないんだよね)
48 :02/05/06 00:19 ID:OCkfOqqV
>>31
今の韓国人はほとんどが両班の子孫だから
両班以外に良い印象があってもしょうがない。
49朱雀:02/05/06 00:25 ID:cg3kG9Yk

>>42-45 ご苦労様でした。
時岡敬子訳『朝鮮紀行』講談社文庫版ですね。

50九弐八:02/05/06 00:38 ID:L298ZCuu
>>48
今の韓国人はほとんどが両班の子孫だから ×
今の韓国人はほとんどが自称両班の子孫だから 〇

5146:02/05/06 00:43 ID:ivZZTuCA
>>47
ほんとうにこの本は当時の朝鮮の様子が詳しく書かれていて面白いです。
で、一番笑ったのが以下の部分。

「手工業は不振である。最上の生産物はコウゾでつくる数種の紙で、そのうち油紙はぺラム革のような見かけをしており、
人をその上に載せて四すみを持ち上げられるほどじょうぶである。そのほか上質のござ、竹製のすだれがある。
 美術工芸は何もない。
朝鮮を現在支配している王朝は1392年に創業された。王権は世襲制で、…(以下略)」(29p)

美術工芸について「何もない」の一言だけで片付けられてしまう半万年の文化大国って一体…?
5235:02/05/06 00:52 ID:A0G+xZfQ
ご苦労様。>>42-45
やはり、あらためて読むと、日本は朝鮮を絶対君主制から、近代的
立憲君主制にしようと考えていたといえそうですね。しかし、どこか
のスレで誰かが『羅生門の時代』と表現していましたが、やはり政治
体制の変革を急ぎすぎたのかも知れないです。しかし、のんびりし
ている時間が無かったのもそうなのでしょう。
日本の一時撤退後、ロシアが入ってくると、王宮は直ちに旧習を
復活させて、勅令が幅を利かすようになったとやや不満げに書いて
あるところもありましたね。
5346:02/05/06 01:11 ID:ivZZTuCA
イザベラ・バードってイギリス人だよね。
彼女の文章は客観的で公正だと思えるけど、あえて邪推してみると
日英同盟を結んだ縁で日本を持ち上げてる可能性もあるんじゃないかな。

…と思ったら、この本が書かれたのは1897年、日英同盟は1902年でした。

全体を通して読むと著者が朝鮮人に同情的であり、国王の人柄に好意を持っていることが判るけど、
それでいて李朝社会の腐敗ぶりについて筆を曲げていないのは立派。
どこかの国の腐れ(自称)ジャーナリストに爪の垢でも飲ませてやりたい。
54日出づる処の名無し:02/05/06 01:14 ID:wcE3yPJQ
>>36
日本人は相変わらず。
従軍慰安婦問題なんて、わざわざ謝罪して買わなくていいうらみを買ってる。
多分、近い将来、従軍慰安婦の恨みだといって、日本女性が、大量強姦されるのは確実だな。
チャンスさえあれば間違いなくやるだろうな、同じことを。
もちろん捏造された強制連行と同じことを事実としてね。
55日出づる処の名無し:02/05/06 01:24 ID:uiOpJSOT
韓国人は、こういう叙述から歴史を組み立てないんだろうかね?
日本でも幕末には外国人が結構きていて紀行・日記・旅行記残して
いて面白いんだけど、韓国人にはそういう趣味の人はいないのかね?
日本は古文書も多いから年寄りの老後の暇つぶしにはもってこいな
んだけどね?(結構新発見あったりして血圧上げたりしてね)
5646:02/05/06 01:30 ID:ivZZTuCA
>>54
そこまで言うと煽りに近いな。
いたずらに他国に対する憎しみをあおるような言葉はやめようよ。

極東板でもハン板でも「日韓併合」がなかったら朝鮮人はずっと悲惨な目にあっていただろうというのが
共通した見解のようだけど、この本を読むと必ずしもそうとは言い切れないような気がしてきた。
帝政ロシア領の朝鮮人たちはそれなりに豊かで、人間らしい暮らしをしているんだよね。
もし日露戦争で日本が敗戦、ロシア革命が起こらなかったとしたら(かなり無理がある仮定だが)
帝政ロシア支配下の朝鮮はそんなにひどい目にあわずにすんだかもしれない。

まあ、仮に日本が負けていたとしてもロシア革命は不可避だったと思うし、
スターリンに支配されていたら「日帝支配」とは比べ物にならないほどひどいことになっていただろうから、
所詮ありえない可能性だけど。
57ifのない国・韓国:02/05/06 01:52 ID:XbKorjOT
>>56  実際・・・・・

スターリンが、沿海州の朝鮮族(三十万人以上在住)を中央アジア
へ強制移住させ、移住の過程で十二万人死亡

カザフ科学アカデミー朝鮮民族センター


58age:02/05/06 02:06 ID:kPcPaSxg
>>56
もし日本が併合せず、中国もロシアも手を出さなかったとしたら、朝鮮はいずれ共産主義革命を起こしていただろうね。
59 :02/05/06 02:19 ID:W/l1ccoB
>多分、近い将来、従軍慰安婦の恨みだといって、日本女性が、大量強姦されるのは確実だな。

もう既にされています。
60日出づる処の名無し:02/05/06 02:22 ID:uiOpJSOT
チョンも嫌だが露助もやだなあ
碌でもない国ばっかり
61日出づる処の名無し:02/05/06 02:23 ID:k9mU/aY7
>>56
だが宋治悦や金允植のやる事見てると、ただの犯罪者の行動心理だけとは思えない。
(少なくとも日本人の理解の外)
ああした事件が、今後増える事はあっても減るとは思えん。
6246:02/05/06 02:38 ID:ivZZTuCA
>61
そういう話題はほかにもっと適したスレがあると思うが。

この本を読むと100年前の朝鮮にはあちこちに虎がいて非常に恐れられていたようだ。
現在はほとんど絶滅してしまったようだが、原因は皆さんご想像の通り「日帝の蛮行」ということにされている。
虎の絶滅は当時のほとんどの朝鮮人の望みだったんじゃないか?
63日出づる処の名無し:02/05/06 02:51 ID:k9mU/aY7
61は飽く迄も>>54の内容に対する>>56へのレス。

本の話題には未見なのでこれ以降はレスしない。
64日出づる処の名無し:02/05/06 03:13 ID:A0G+xZfQ
>>57
バード女史が、朝鮮人の未来を見た人々は、結局悲惨な結末を迎えた
ということですなあ。歴史の皮肉と言うものでしょうか。
65日出づる処の名無し:02/05/06 03:29 ID:eSIIEbsD
アジアに日本がなかったら、今でも白人に搾取されてたんだろうな。
なのになんで日本はボロ糞に言われるカイ?
66日出づる処の名無し:02/05/06 03:59 ID:olWPrZgH
>>56
日露戦争でロシアが勝っていたら革命は起きなかったよ。
朝鮮は外モンゴルみたいにずっとロシアの衛星国だっただろう。
それでも日本支配よりはよかったかもしれない。
白人の支配者だから同化されてアイデンティティを失う心配もないし、
いくら朝鮮人でも「ショスタコーヴィッチは在露同胞だ」とか言わないだろう。
日本人への嫉妬に苦しむよりも朝鮮人の精神衛生はずっと健全だったと
思われ。
67 :02/05/06 04:04 ID:gTgdIEfB
 それは朝鮮人を甘く見すぎだと思うぞ。
 彼らは自分たちの血が少しでも入っていれば(と妄想できれば)、平気で同胞認定する。
 それが朝鮮人だよ。
68日出づる処の名無し:02/05/06 04:13 ID:1oPeI7GH
だったら半分くらいの日本人は在日朝鮮人同胞だろうなww
アイヌを縄文人とするなら外国人以外の全ての日本人は
アイヌ同胞でもあるわなww
69 :02/05/06 04:15 ID:gTgdIEfB
 朝鮮では、日本人はもともと朝鮮民族だという民間学者もいますよ。
70日出づる処の名無し:02/05/06 04:29 ID:MQdruybp
>67
とかいいつつ、在日には厳しい差別の目が...
71日出づる処の名無し:02/05/06 04:31 ID:ivZZTuCA
>66
>日露戦争でロシアが勝っていたら革命は起きなかったよ。

そうなのかな?
自分は全く詳しくないのだが、
・貧富の差が大きすぎる
・デカブリスト以来革命運動が絶えない
・日露戦争で勝ってもどうせ第一次大戦で負けただろう
ということで、やはりロシア革命は必至だったような気がする。

話を朝鮮に戻すと。
万が一帝政ロシア支配がつづいていたら、ずっと農業国だったろうと想像する。
72日出づる処の名無し:02/05/06 04:34 ID:1oPeI7GH
かの国は歴史や文化の捏造やパクリだけじゃないからな。
人種、遺伝子DNA、民族、言語、皇族、もう何でもござれだw
73日出づる処の名無し:02/05/06 04:37 ID:OAZM7mHW
>>71
革命は明石元次郎の所作
74日出づる処の名無し:02/05/06 04:44 ID:akh0uGBn
>>65
ボロクソに言ってるのは「馬鹿の枢軸」3国だけです。
75日出づる処の名無し:02/05/06 04:46 ID:akh0uGBn
>>73
それはどうかと。
76日出づる処の名無し:02/05/06 18:58 ID:NibyfMTN
正論で紹介されてる韓国人はええわ ホントに
こいつ2chねらーだろ
話題が まんまだもの
77sss:02/05/06 19:12 ID:UBidXz0R
>「彼らはいつも借金で首が回らず、何かちょっとした官職の一つでも回って
>こないかと首を長くしており、それを得るためにあらゆる卑劣な行為をつくし、

ここんとこ、今の韓国と同じような気がする。
78日出づる処の名無し:02/05/07 01:26 ID:j8s0XnSS
79日出づる処の名無し:02/05/07 04:10 ID:ZGaVnNBI
>>65
もし、日本が何もせず今でも白人の意のままにされれても
なぜ日本は立ち上がらなかったのだ?と言われます。
チョンは日本人に恨み言を言うのが仕事ですw
80日出づる処の名無し:02/05/07 04:16 ID:EoIGsUcv
ちなみにその姿勢は、次の朝鮮戦争の時にも発揮されます

・日本が韓国軍に応戦→日本は再び侵略する気か!
・日本が傍観→なぜ日本は助けないのだ!
81鬱氏:02/05/07 04:17 ID:EoIGsUcv
×応戦
○援軍
82    :02/05/07 07:21 ID:CVKGmI/q
ユネスコのHPだけどウソばかり書いてある。

http://www.unesco.or.jp/teacher/kyozai_f/nikkan/jp/3-11-2.htm

83名無しさん:02/05/07 12:31 ID:1E+eEGPO
>>82
黄文雄の本一冊でことごとく論破できそうだね。
こういう嘘も根気よく文句言わないとなくせないんだろうな。
おれは面倒くさいからやらないけど・・・
84朱雀 ◆OtUfBSUc :02/05/10 13:04 ID:cFKoRgDT

ロシアは大別すると、西方から西ロシア、中央アジア、西シベリア、東シベリア、極東に
分けられる。そのうち極東と呼ばれる地域には、アムール州、サハ共和国、沿海州、ハバ
ロフスク州、ユダヤ自治州、サハリン州、マガダン州が含まれるが、沿海州を中心とする
地域に朝鮮人が移住したのはいつ頃からか。

朝鮮人の移住はロシア側の資料によれば1860年代からとされていたが、実際は19世
紀初頭に端を発する。当時、朝鮮半島の北端に位置する咸鏡道は中央政権から見放された
極貧地帯だったため、1812年に「洪景来の乱」が発生した。李朝政府は討伐隊を派遣
して激しい弾圧を加えた。追われた農民達は豆満江を越え、まだ無国籍地帯だった沿海州
へ逃れていった。その後、彼らを頼り、飢えた農民達が次々と沿海州に入っていった。ロ
シアと清国は1858年に愛琿条約、1860年に北京条約を結び、ウスリー川(中国名
「黒龍江」)の東側をロシア、西側を清国の領土とさだめた。ロシアは極東およびシベリ
アの開拓に乗り出した。1861年に制定されたムラビヨフ移民法は土地の払い下げ、税
金の免除など、ロシア人移民にきわめて有利な条件を提供するものだったため、多数のロ
シア人が流入してきた。高麗人は未開地を開拓するためのかっこうの低賃金労働力だった。
小作人となった高麗人は強靱な忍耐力で土地を開墾した。味をしめたロシア政府は、高麗
人を定着させるため、巧みに帰化政策を利用した。

85朱雀 ◆OtUfBSUc :02/05/10 13:06 ID:cFKoRgDT

スターリンの強制移住

1991年に刊行された『在ソ朝鮮人のペレストロイカ』(凱風社)は、カザフスタンの
朝鮮語新聞「高麗日報」の主要記事を翻訳したものだが、高麗人がロシアの極東地域に移
住しはじめたのは1860年代以降のことであり、1917年のロシア革命当時には約
20万人が居住していたと記されていた。

高麗人はハバロフスクやウラジオストクに韓人村をつくり、350の朝鮮学校を建て、新
聞を発行し、ラジオ放送や朝鮮劇場も運営した。ところが1937年に突如悪夢が襲いか
かった。スターリンが高麗人に対し、中央アジアへの強制移住を命じたのである。理由は、
ソ連が日本と戦争状態になった場合、高麗人は日本軍のスパイになる恐れがあるからだと
された。37年9月から16万人とも18万人ともいわれる高麗人がシベリア鉄道でウズ
ベキスタンやカザフスタンに送り込まれたのであり、迫りくる酷寒のなか、多数の人々が
命を失った。

生き残った人々は砂漠地帯を開拓し、米や野菜の種をまいた。やがて高麗人は農業を発展
させ、集団農場の指導的な地位についていった。しかし、ソビエト政権は決して民族的な
権利を保障することはなく、あらゆる民族文化の抑圧政策を続けた。こうした経緯を経て、
1945年の第2次世界大戦終結後には、大半の高麗人が「ソ連」国籍を取得した。そし
て若い世代が朝鮮語を知らないばかりか、一世の人々でさえ忘れてしまうほどの状況にな
った。中央アジアの高麗人は、1953年のスターリンの死後、ようやく居住地の制限が
解除された。
86朱雀 ◆OtUfBSUc :02/05/10 13:08 ID:cFKoRgDT

スターリンの強制移住

鄭棟柱の『カレイスキー・もうひとつの民族史』と言う本によれば、高麗人に対する迫害
は、強制移住の4年前から始まっていた。1933年から35年にかけて、高麗人の民族
学校教師、公務員、高級将校などに対して「ソビエト党幹部地方研修会」が開かれるとい
う名目の召集がかけられた。対象者は数日間の合宿をするだけだろうと思って参加したが、
再び家に帰ってくることはなかった。この間に粛清された高麗人は2万7000人にのぼった。

続いて35年から37年にかけ、民族的な意識の高い高麗人達が召集された。彼らは徹底
した洗脳教育を受けた後、ロシアの犬になる誓いを立てて中央アジアに送り込まれた。や
がて大量に送り込まれてくる高麗人を、同じ高麗人によって統制させ、あたかも中央アジ
アへの移住が高麗人自身の要因によって行われたかのように仮装するためだった。こうし
た周到な準備段階をへて、37年9月から翌年1月にかけて強制移住が強行されたのである。

87朱雀 ◆OtUfBSUc :02/05/10 13:10 ID:cFKoRgDT

鄭棟柱は「ウシトベは人間の住む所ではなかった」と言下に言いきった。そして「大昔、
その一帯は海だったから塩分が多く、農業どころか、地下水さえ飲めない土地だった。原
住民などほとんどいなかった。スターリンはなぜそんな所に高麗人を送り込んだのか。そ
れは間違いなく死ぬと考えたからなのです」と続けた。

私は頭を殴打されたようなショックを受けた。5年前、ウシトベで「ここの土地は塩分が
多いから苦労した」という話を聞いて以来、なぜ塩分が多いのかという疑問がずっとくす
ぶりつづけていたのだが、その謎が初めて明らかになった。しかもスターリンはロシア全
土の地勢を調査したすえ、人間の生きることのできない土地を選んで高麗人を送り込んだ
とは!

鄭氏は額に皺を寄せて語りつづけた。「シベリア鉄道でウシトベに送られた人々は2万人
近くいましたが、ひと冬を過ごすあいだに多くの人が死にました。特に子どもや老人は半
数に減りました。しかしそれでも生き残ったことが重要なのです。ウシトベは夏は40度、
冬は零下40度にもなります。私はそこで人々が生き残ったのは、世界の不可思議の1つ
だと思っています。

88日出づる処の名無し:02/05/10 18:46 ID:t8qcE4yj
今日アマゾンから届きますた
89名無し:02/05/10 19:36 ID:mjih8BNE
日本が朝鮮を併合していなければ,今の朝鮮人は皆中央アジアに送られていた。

日本は自国防衛のため,ロシア帝国の手先になる朝鮮を併合して押さえた。
当然である。ロシアの次ぎの狙いは日本であったからだ。
日本の朝鮮併合は自衛上当然の行動だ。

だから謝罪なんて見当違いだ。
スターリンの魔手から救ってやったんだから,感謝されるべきである。
違うかね。
90日出づる処の名無し:02/05/10 19:52 ID:UjmT20qc
つか、併合以前の朝鮮人の人口は1千万人だったらしいな。
併合後は増えるわ増えるわ。
6000千万人だから、今はその6倍増えた。どこの国のお陰でしょう。
91棄て:02/05/10 20:15 ID:MnHgiO94
>>90
しっ、そのことを言うと。
世界中から恨まれるから。

何であんな奴らを増やしたんだって。
それこそ、謝罪と賠償を要求されるぞ。
92日出づる処の名無し:02/05/10 20:19 ID:CaSLVhWN
>>91
なんか未知の生物兵器でも生産していたかのような言われ様だな(笑)
93?@:02/05/10 20:20 ID:z04qiO3Y
害虫養殖
94イザベラ:02/05/10 20:41 ID:goknVbVM
貧しい東北地方を置き去りにして半島に金をつぎ込みました
東北地方の開発は高度成長期までずれ込みました
半島人は東北人に謝罪しる
95イザベラ:02/05/10 20:45 ID:goknVbVM
東北人は群集になって私の後を追いかけないでください
窒息しそうです

いいかげんに汁 とくに若松
9699:02/05/10 20:45 ID:3GQ34lrk

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97ザ・バーズ:02/05/10 20:53 ID:VUTzRD0p
てか、半島が清やロシアに併合されてたら
日本との間で大戦争が起き、半島はただの通路。
しかも、日本が負けている可能性すらある
98くしなだ神社@月読 ◆NPN3QJ/U
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