従軍慰安婦強制連行説と吉田清治

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19名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/11 04:24 ID:CrRPuxG9
ナヌムの家にいる人ってなんのためにあそこで共同生活してるんでしょうか?
『韓国では儒教の「長幼の序」により同居して年寄りの世話をするのが
 当たり前(家族が別居させない)なので老人ホームはない。』と本で読みましたが。
やはり運動のための連帯感を養ったり対策を練ったりするためなんですかねぇ?
関係するHP見ると卒業者(何をもって卒業?)がいるとのこと。
その卒業者は家族のもとに帰ったそうです。
調べてもわからないので…
20名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/11 04:28 ID:ANRfIoYf
吉田清治と藤村新一

「捏造」は同じなのに、捏造発覚後の世間の扱いが随分違いますね
21名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/12 23:27 ID:SDhFh0oG
>>20
朝日などか、吉田清治の問題に触れるわけないジャン。
わざわざ、従軍慰安婦強制連行説を完全否定する事件を
報道する必要がない。
だいたい、そっとしておけば、強制連行説は下々(新聞
社から見て)人々には、信じられたままなのだから。

結局はご都合主義。
22名無し:01/11/13 01:03 ID:f0+hnnbq
現在の在日は強制連行で連れてこられたってのは嘘で
実際連れてこられたのはその一割にも満たないとここに来てからよく聞くけど
その一割について聞きたいな。
23NANASI:01/11/13 01:20 ID:rBpuyapL
>>22
戦争中に徴用されて
そのまま帰国しないで残った人たちだろ。
徴兵じゃないから戦地には行ってないから国内にいたわけだ。
個人の事情は色々だろうが、そんなに多くはないのは確かだな。
24名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/13 01:24 ID:eS+O5Clh
>>22
ほとんど確認できない、ッテ意味じゃないか?
炭鉱などの労働者が不足していたから、半島から
工面していた可能性はあるけど(何も調べてなくて
すんません)。

でも、当時は日本人だったんだから、内地の学校や
会社に就職しても何ら不思議じゃない。内地からも
多くの人が半島へ行ったんだから。んで、居心地が
よくて、ずーっと住んでいると。
25 :01/11/13 01:30 ID:nmPWFBjq
足尾銅山跡地に朝鮮人慰霊塔なるものがあったよ。
わざわざ朝鮮人のみの慰霊塔というのがねえ・・・。
26:01/11/13 02:29 ID:MxMSUbTq
外患誘致罪でも外患援助罪でもいいからもっと広義に適用できるようにして、
こういう売国奴は即死刑にすべき。
27:01/11/13 03:35 ID:Bpvb0AX9
国連人権委員会に提出されたクワラスワミ報告もマクドガル報告も
全面的にこのいんちき本を全面的に引用しているほど、
28名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/14 00:51 ID:bizDc0nl
奈良女子大の図書館の女性問題図書目録
の蔵書としてあるようです。
http://www.lib.nara-wu.ac.jp/josei/yo.auth.html
29名無しさん@お腹いっぱい。:01/11/14 01:26 ID:hayqEILU
要するに在日ってもとは出稼ぎなんだよね。
高度成長期に東北から関東に
働きに出て来た人たちと同じ。
政府は彼らにも謝罪と賠償が必要なのかな?
30 :01/12/01 18:40 ID:kpKuYdOw
別に、在日でも何でもない、全くの日本人だけどね、
折れの伯父は昭和20年、旧制の中学卒業から大学予科へ入学する間、一時的に形式的に学籍が切れてたとき、無職の若者がいるということで、強制的に軍属に徴用され、満州へ連れていかれ、ソ連に抑留された。
東京大空襲で焼け出され、親の出身地へ疎開してきて、土地の市役所の人には、徴用者の割り当てを消化するのに、ちょうどいいよそ者がいたということだったらしい、と親父は勘ぐっている。

こういうのも強制徴用と言っていいのかな?
31メトロポリス:01/12/01 19:19 ID:NhYjkG4x
>>1
公立図書館の然るべきコーナーに行くと、
「厨獄の代地は忘れない」だとか「軟禁、もう一つのホロコースト」、
「日本軍は〇〇で何をしたの?〜消せない事実、日本軍の残虐行為」
なんていうような本の数々の中に彼らの著作が有ります。
それらを一通り読んだ後
(吐き気やめまい等がしてくる事も有り、精神を落ち着かせながら読むのは大変だけど)、
ちぎって小便をかけた後、窓から外に投げ捨ててみるのが良いかと。
32吉田清治の証言-虚と実の比較:01/12/02 09:08 ID:PX4BbJpR
1氏名
 本人の陳述 吉田清治
 実際    本名は吉田雄兎、別名は東司、栄司
2生年月日
 陳述 1983年に70歳(新聞)
 実際 1913年10月15日
3本籍地
 陳述 山口県(I,p19)
 実際 福岡県芦屋町西浜
4学歴(A)
 陳述 −
 実際 1931年門司市立商業学校卒(卒業生名簿には死亡とある)
5学歴(B)
 陳述 「東京の大学を出て」(I,p7)
 実際 法政大学専門部法科中退(?)
6職歴(A)
 陳述 1937年、満州国地籍整理局(I,p7)に就職
 実際  同上
7職歴(B)
 陳述 1939-40念中華航空上海支店(I,p62)
 実際 1992年5月の中華航空社員会で吉田を記憶する者なし(上杉p58)。
8金永達
 陳述 東京生まれの金を1937年に養子として入籍。吉田永達は37年12月10日満州で小川京子(小学校教員)と結婚、翌月小倉連帯へ入隊、38年9月1日間島省で戦死(I,2〜6章)
 実際 1937年4月30日李貞郁(1917年生れ)を養子として入籍、42年結婚、戦後九州で労組運動の幹部として活動、1983年死去。
9入獄
 陳述 金九(朝鮮独立運動の首領)を輸送したかどで1940年6月憲兵に逮捕され、軍法会議で懲役2年の刑、42年6月諫早刑務所を出所(I,7章)。
 実際 本人は96年秦へ、金九ではなく重慶軍の大佐と訂正、罪名は阿片密輸にからむ「軍事物資横領罪」と述べた。
10結婚
 陳述 1944年2月上旬9I,p156)
 実際 1944年5月18日大野フサエと結婚(上杉,p48)
11労務報国会
 陳述 1942年9月、同郷の先輩の世話で労報下関支部に動因部長として、就職(I,p71)
 実際 吉田の勤務を記憶している人(複数)あり。
12済州島の慰安婦狩り
 陳述 1943年5月15日付の西部軍動員命令(要点は妻の日記に記載、II,p156)により、43年5月17日下関発、翌日済州島着、兵士10人の応援で205人の女性を慰安婦要員として強制連行、暴行したものもいた(II,第三話)。
 実際 1944年2月(I,p156、実際は44年5月18日)に結婚した妻の日記に動員命令の要旨が記載されているはずがないので、全体が虚構と思われる。
13戦後の略歴
 陳述 I、IIとも一切の言及がない。
 実際 47年4月下関市議に共産党から出馬して落選、70年頃門司の日ソ協会役員をしていたほかは、職歴不明。

(注1)カッコ内のIは吉田の第一作『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社1977)、IIは第二作『私の戦争犯罪』(三一書房1983)、上杉は植えすぎ千年『検証従軍慰安婦』(全貌社1993)を示す。
(注2)「実際」の諸事実は、1993-96年にかけ、秦、板倉由明、上杉千年らが、下関を中心に吉田のwんじゃ、知人などを通じ調査した結果である。
(注3)5の「学歴(B)」については、朝日新聞が法政大学卒と報じ、吉田は秦へ同大中退と述べていたが、法政大学には在籍記録がない。『著作権台帳』(1990年版)には法政大学卒とある。96年3月27日に吉田は秦へ勤労しつつ法政大学専門部法科に在籍したと述べた。
   クマラスワミ報告書は、吉田を東京帝国大学卒業と記しているが、本人には心当たりがないとのこと。

以上 『慰安婦と戦場の性』秦郁彦、新潮選書1999年、p245 表<7-3>より(配列は変えました)   
33吉田証言を採用した著作物:01/12/02 09:49 ID:PX4BbJpR
家永三郎(歴史学者)
 吉田の『私の戦争犯罪』の一部を4ページにわたり引用、謝罪碑を建てたことを紹介。:家永『戦争責任』(岩波書店,1985年p104以下)

佐藤和秀(ノンフィクション作家)
 (吉田の告白を読んで)私は涙をあさえることが出来ない。:『潮』1992年3月号

鈴木裕子(女性史研究者)
 「(吉田は)慰安婦狩りに従事・・・・・・戦後自らおかした罪業を悔い」(吉田の描写を引用)。:鈴木『朝鮮人従軍慰安婦』(岩波ブックレット,1992年3月)

杉井静子(弁護士)
 「慰安婦は・・・・・・まさに銃剣をつきつけて強制連行されたのである・・・・・・このことは吉田清治さんが生々しく証言」(吉田の描写を引用)。:『文化評論』1992年4月号

日弁連国際人権部会報告
 吉田著を引用し、「警察と軍隊を使って強制的な狩り集めも実施された」と結論。:「日本の戦後処理を問う」シンポジウム(1992年7月)

高木健一(弁護士)
 吉田の「体験」を26ページにわたり紹介。:高木『従軍慰安婦と戦後補償』(三一書房,1992年)

倉橋正直(愛知県立大教授)
 「強制連行を物語る史料・・・・・・として吉田清治という方の証言がでている」:倉橋『従軍慰安婦問題の歴史的研究』(共栄書房,1994年)p78

幣原広(弁護士)
 吉田清治『私の戦争犯罪』等によればとして、済州島の慰安婦狩りの概況を紹介。:『法学セミナー』1997年8月号

曽根一夫(元兵士)  同上 :『元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』(白石書店,1993年)P45
 
以上『慰安婦と戦場の性』秦郁彦、新潮選書1999年、p240 表<7-2>
34名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/02 10:29 ID:Fu5OkVJL
悪魔の共産党員 吉田清治を知ってれば十分じゃ。
35名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/02 10:47 ID:XzHX2wnV
>>32,33
あのゴーマニズム宣言連載してるSAPIOも
従軍慰安婦の心の叫びととか落合信彦が記事にして(93年10月28日号)
読者や編集者から寄付金集めて韓国まで届けに行ったり(94年2月24日号)してる。
要するに日本人はみんな騙されて左翼化してたんだよ。

嘘だとわかった今、このうち何人の人間が改めて考え直しているのだろうか?
周りの圧力で口にはだせないのだとしたら、それは自業自得だろうけど。
36 :01/12/02 14:56 ID:VfTsG51v
吉田清治は、サハリン残留韓国人問題でも証言者として登場したらしい。
37嘘で固めたライフ・ヒストリー:01/12/04 13:39 ID:SFVHbx1X
吉見や上杉[聡]が、今になっても吉田に対して手厚い配慮を見せる真意は不明だが、九七年四月六日に私が吉田と電話で話し合ったときに発見したのは、
かつて吉田証言を信じ紹介した「被害者」であるジャーナリストたちが、時々電話で吉田のようすを探っているらしいことだった。
どうやら彼らが気にしているのは、吉田自身が「すべて作り話だ」と告白する事態ではないかと思われる。
 こうした成り行きは、一九九二年当時も予想されたので、私は済州島から帰ったあとも、ひきつづき自伝風に書かれた吉田の第一作を手がかりに、彼のライフ・ヒストリーを洗った。
知友の板倉由明、上杉千年や出身地の方々なども協力してくれた。縁者にもあたったが、その結果、彼が嘘で塗りかためた人生を送ってきたことが判明する。
 その要点は表7-3(>>32)の通りだが、名前からして実名とペンネームが何通りも入り乱れている。
 学歴、職歴もほとんど確認できないが、商店になる山口県労務報国会下関支部員として在職していたことだけは、たしからしい。
・・・・・・
 下関の特質は数千人の朝鮮人男女をかかえていたことで、港湾工事、災害復旧、飛行場建設などに駆り出された。炭鉱労働にも投入されたようだが、業務の範囲は内地に限られていた。
 朝鮮総督府管内には、朝鮮労務協会や内地の労報に相当する労務報告会があったから、労務調達のため内地の労報支部員が出向いて直接に徴集する理由はなかった。
おそらく、吉田の労務者狩りの情景は、下関での体験、朝鮮から労務者を受け渡ししたさいに聞いた伝聞をミックスしたものではあるまいか。

『慰安婦と戦場の性』秦郁彦、p243-p244
38名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/05 02:36 ID:QMzKJxVw
私は吉田が、これまでの対吉田批判を消化して、巧みな弁明を先まわりしつつ語るのを聞いて一驚した。
養子一家や元慰安婦の周辺に配慮して体験の一部を変えてある、との論理だが、彼が「済州島の慰安婦狩りの情景は、実際には全羅南道でのできごとだった」というので、
「では全羅南道の話はすべて真実か」と聞くと、「いや、全羅南道の被害者に迷惑がかかるといけないので、他の場所での話が混ぜてある・・・・・・」と答えるに及んで、私はそれ以上、問いただす気力を失った。
 しかし、この問答は事実上彼の証言がほとんど虚構であることを自認したものと見てよいのではなかろうか。
 ・・・・・・(略)・・・・・・
 九八年九月二日、私は吉田へ電話で「吉田の著書は小説だった」という声明を出したらどうか、とすすめたが、「人権屋に利用された私が悪かった」とは述べたものの、「私にもプライドはあるし、八十五歳にもなって今さら・・・・・・このままにしておきましょう」との返事だった。

『慰安婦と戦場の性』p246
39吉田清冶の対マスコミ発言:01/12/05 15:39 ID:mUiwL1WL
『週刊朝日』[1963.8.23]「私の八月十五日」の佳作(下関での労務調達風景)。
第一作の刊行[77.3.1)]
The People ([82.6.29]6月18日大阪府立ピロティホールで吉田清冶の講演、内容は第二作とほぼ同じ。
朝日新聞(大阪府)[82.9.2]大阪での前日の市民集会での講演要旨、内容は第二作とほぼ同じ(写真入り)。
東京地裁での証言(第一次サハリン裁判)[82.9.30/82.11.30]第二作とほぼ同じ内容。
第二作の刊行[83.7.31]
朝日新聞「ひと」欄[83.11.10]強制連行した謝罪碑を韓国に建てるニュースの紹介(写真入り)。
講演[88.1.15-16]「吉田清冶さん証言会」で講演(8月に事務局より印刷物刊行)。
朝日新聞(大阪府)[91.5.22]「木剣ふるい無理やり動員」(写真入り)。
朝日新聞(大阪府)[91.10.10]慰安婦には人妻が多く、しがみつく子供を引きはがして連行、政府は資料をかくしている(井上裕雅編集委員インタビュー、写真入り)。『女たちの太平洋戦争』(3)にも収録。
北海道新聞夕刊[91.11.22]アフリカの幸甚奴隷狩りと同様の狩り立てをした。
東京新聞夕刊[91.12.6]慰安婦狩りは軍命令(写真入り)。
赤旗[92.1.17]第一作、第二作の要点を紹介。
朝日新聞夕刊「窓」欄[92.1.23]連行した女性は950人、「私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」との吉田説、「マスコミに吉田さんの名前が出れば迷惑がかかるのではないか。
それが心配になってたずねると、腹がすわっているのだろう、<いえいえ、もうかあいません>との<畠>(北畠清泰)論説委員の紹介記事。
赤旗日曜版[92.1.26]連行した慰安婦は1000人以上(写真入り)。
神戸新聞[92.2.25]伊東秀子議員の依頼により、吉田が3月3日-10日のいずれかの日に衆議院予算委員会へ出席証言することが決まったと報道(実現せず、写真入り)。
産経新聞[92.4.30]秦の済州島調査結果を報道した記事に、「儒教の伝統の強い韓国で被害者の家族が名のり出ないのは当然」との吉田説。
朝日新聞[92.5.25]吉田が7月、韓国に「謝罪の旅」に出るという記事。男女6000人を朝鮮半島で強制連行した体験を「国会でもどこでも行って話す」つもりだが、いまだに実現しないと報じる。
ニューヨーク・タイムズ[92.8.8]東京支局長のインタビュー記事(写真入り)。吉田は2000人の女性を朝鮮半島で狩り立てたと述べたが、秦教授は彼を詐欺師と主張している。
毎日新聞[92.8.12]訪韓した吉田の動静と1000人を慰安婦として徴用と紹介。
毎日新聞[92.8.13]吉田は8月12日ソウル市内の慰霊祭で元慰安婦らに謝罪、また補償のため日本による韓国新幹線計画の費用負担を主張。
読売新聞夕刊[92.8.15]大阪市で8月15日に開かれた集会に吉田が出席、100人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを証言。
週刊新潮[92.11.24]吉田は、93年春に訪米して米マスコミ、在米朝鮮人(約100万人)に働きかけ、国連事務総長に慰安婦問題をアピールする予定と語る。
赤旗[92.11.14]2年間に朝鮮半島で最低950人、多くて3000人の女性を強制連行したとの吉田新証言と吉田が「挺身隊国際援護会」を結成したとの報道(写真入り)。
熊本放送TV[92.3.16]50分番組の「漂白の果てに―朝鮮人従軍慰安婦50年の恨」に吉田が登場。
週刊新潮[92.12.24/31]吉田の「私が書いたことは全部事実、しかし他の人に迷惑をかけるといけないからぼかして書いたところがある。そこに目をつけてタカ派とか御用学者が・・・・・・」とのコメント。
週刊新潮[95.1.5]吉田証言は全てデッチ上げと記述した記事に対し「私がこれ以上言うと、元慰安婦や家族の方に迷惑がかかる。デッチ上げといわれても構いません。私の役目はもう終わったのですから」との吉田のコメント。
週刊新潮[96..2/9]吉田は電話インタビューで「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」と弁じた。
週刊新潮[97.3.31]吉田証言の真偽は確認できない。

以上『慰安婦と戦場の性』秦郁彦、新潮選書1999年、p236-238 表<7-1>
40名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/05 15:49 ID:jOgbAvwE
こいつ今も生きてるの?
41@:01/12/05 17:04 ID:YD0XSJqV
死んだって聞かないからまだしぶとく生きてるんじゃないのか
42名無し :01/12/05 17:18 ID:ZnNtFcET
 斉州島の地元新聞の記者が、吉田証言の慰安婦狩りした村
で当時を知る住民に聞き取り調査したら、全くその事実がなかったとか。
それで地元紙の記者曰く、「そんな事があったら大変な騒ぎになって
その後も何十年にわたって語り継がれているはず」。

で、この韓国の記者の論法からいけば、20万もの慰安婦用娘狩りが
朝鮮で行われていたら「大変な騒ぎになって、戦後も語り継がれて
いたろう」。 しかし実際は第一次教科書問題の時でさえ出てこず、
日本側の吉田証言から騒ぎ出した。
奴らは儒教思想の影響から表沙汰にならなかったと言い訳するが、
娘狩りを見ていた連中も黙っていたということか?
韓国人の性格からは考えられないね。
43名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/05 21:17 ID:h9En7GAA
>42
そうだね。
なんかの雑誌で読んだんだけど、日本がコリア半島支配していた時の話。
ある学校で、日本人生徒がコリア人生徒を苛めたそうだ。
これがきっかけで、一時半島全体で、暴動が起こる寸前だったそうだ。
要するに何が言いたいのかって言うと、いじめでこれだけの騒ぎが起こるんだ。
もし、日本の国家主導誘拐拉致換金まがいのことが起これば、これ以上の流血沙汰が起こるんじゃないかって事だよ。
PS
私は決して苛めを軽い問題と思っているわけではないということは断っておきたい。
そうでもなきゃ、徹底的に叩かれるんだもん。
44済州島へ:01/12/06 10:54 ID:nZbMT3AX
 私はこの貝ボタン工場のあった城山浦にも行ってみた。海女の研究家でもある康大元(慶応大学出身)の通訳により、老人クラブで四、五か所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかったらしいことを確認した。
 公立図書館では一九七六年頃に吉田が済州島を旅行したときの関連記事を新聞で探して見つからなかったが、思わぬ拾いものがあった。
 一九八九年に吉田著が韓国語訳(清渓研究所現代史研究室)されたとき、『済州新聞』の許栄善記者が書評を兼ねた紹介記事を書いていたのである。一九八九年八月十四日付の記事の邦訳は次の通りだ。

 解放四四周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として二〇五名を徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。しかし裏付けの証言がなく、波紋を投げている。(ついでに吉田著の概要を紹介)
 しかしこの本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で一五〜一六人を強制挑発したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏付け証言する人はほとんどいない。
 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクタン(八五歳の女性)は「二五〇余の家しかないこの村で、一五人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。
 郷土史家の金奉玉は「一九八三年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。

 いわば吉田説の全面否定に近いが、その日の夕方には、今は『済州新聞』の文化部長に移っている許栄善女史に会うことができた。敏腕記者という感じの彼女から「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と聞かれ、答えに窮した記憶は今も鮮やかである。
 ・・・・・・(中略)・・・・・・
 とくにNHK山口放送局が、吉田証言を軸とした番組を企画して四〇−五〇人に取材したが、どうしてもウラが取れず、吉田の出版社から「あれは小説ですよ」と聞いたこともあり、二月に企画を中止したとの連絡を受けた。目利きの士は他にもいたのか、と安心したものである。

 『慰安婦と戦場の性』p232-234
45 :01/12/06 11:11 ID:T0dbfbRg
ライコス掲示板「従軍慰安婦について」
http://board.lycos.co.jp/arts/history/board/index.php3?qid=34
トピ乱立させて知識人ぶってるぼーん氏が活躍中
46 :01/12/06 11:17 ID:sYn5LRWl
 1983年には、吉田清治著「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」という本が発行された。
 内容はまったく題名の通りだが、これが後にまったくのでっちあげであることが判明。
 本人もついにフィクションだと認めた。
 しかも、同書は韓国語にも翻訳されたが、当時は韓国の地方新聞ですらも否定するようなでたらめぶりだった。
 ただ、困ったことに同氏の著作は、反日運動家たちによって未だ「軍の強制連行」の証拠として取り上げられている。

http://www03.u-page.so-net.ne.jp/ta2/hamamura/tame/kindaisi/rekisi05.htm
47 :01/12/06 11:17 ID:sYn5LRWl
「強制連行」が実在したかのようにいう資料は、当時も今も韓国・済州島で慰安婦狩りにあたったという吉田清治氏の作り話だけである。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4759/19991218.html
48 :01/12/06 11:18 ID:sYn5LRWl
秦教授は、吉田氏に証言は真実かどうなのか、と訪ねたところ、吉田清治氏は何も答えてきませんでした。
なので、吉田氏は嘘をついていたと考えるのは妥当なものだと思えます。
その他にも、女子勤労挺身隊は、1943年9月13日以降に創設されたものであり、吉田氏が済州島に向かった1943年7月には、「挺身隊」という語句は、行政用語として存在していません。
「挺身隊」として慰安婦を集めたという証言は唯一、この証言だけです。「挺身隊」として強制的に慰安婦を集めたというのは、この事実によって大きな疑問が残る次第です。

http://www.nc4.gr.jp/y-watch/jp.comfortwomen1.html
49かつがれた朝日新聞:01/12/12 13:43 ID:oladmpcO
 それに比べて、マスコミとくに朝日新聞の吉田に対する入れこみ方は、尋常ではなかった。
 表7-1(>>39)は由だの対マスコミ発言のうち、一部を拾ったものだが、「私の8月十五日」のテーマに応募した一九六三年の『週刊朝日』酒器に始まっている。
このときは下関市内における朝鮮人男子労務者の調達体験にとどまり、慰安婦狩りや強制連行を書かなかったのでインパクトが不足したのか、選外佳作に終わった。
 ・・・(中略)・・・
 慰安婦狩りの「告白」が初登場するのも一九八三年の朝日新聞で、『私の戦争犯罪』(第二作)が三一書房から観光される一年前に当る。
 一九七七年の第一作『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)は、労報に入るまでの身の上話が主で、朝鮮半島に出張しての男子労務者狩り出しと、下関での朝鮮人慰安婦調達に関わる体験談がハイライトになっている。
それでも、慰安婦は狩り立てではなく、朝鮮人地区の女ボスが話しをつけて労報へ中継ぎする方式にしてある。
 しかし第二作の刊行から3か月後の八三年十二月、元労報徴用隊長の名義で、天安市の国立墓地に謝罪碑を建てるため、吉田が訪韓したのを取りあげた朝日の「ひと」欄には、男の徴用だけで慰安婦狩りの話は出てこない。インタビューした溝田記者の見識かもしれない。
 ・・・(中略)・・・
 こうした一連の過程を注意深く観察すると、吉田が二十年かけてテーマを少しずつふくらませ、済州島の慰安婦狩りまでエスカレートさせて言ったことが推察できる。
必ずしも計画的策略ではなかったらしいことも、前後の作品を読み比べて、亡妻の日記問題のような「ほころび」が、あちこちで見つかるのでわかる。
 ともあれ、朝日新聞は慰安婦問題がほっとな話題となった九一年半ば頃から、一年間に四回も吉田を紙面に登場させている。
そして応募投書を単行本化した『女たちの太平洋戦争』全三巻(朝日新聞社、一九九一−九二)に、北畠、井上の両記者がわざわざ吉田関連記事をはめこむほどの熱中ぶりを見せた。いずれも、検証なしに頭から信じこんでいたようすが窺える。
 さすがに、私の済州島での調査結果を九二年四月三十日の産経新聞が報道したあと朝日は吉田の起用をやめたが、訂正記事は出していない。
 一九九六年春、国連のクマラスワミ報告書(後述)が吉田を引用したさいも、この部分には触れなかった。
しかし、九七年三月三一日、久々に二面をぶち抜いた異例の慰安婦キャンペーン特集では、吉田証言について「朝日新聞などいくつかのメディアに登場したが、間もなく、この証言を疑問視する声があがった。
済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。
吉田氏は<自分の体験をそのまま書いた>と話すが、<反論するつもりはない>として関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる」と説明した。
 疑問ないし否定の声がでてから五年もたつのだから、「真偽」を確認する義務があると思うのだが、その作業はやっていないようだ。
 それどころか、別の場所では「<強制>を<強制連行>に限定する理由はない。
強制性が問われるのは、いかに元慰安婦の<人身の自由>が侵害され、その威厳が踏みにじられたか、という観点からだ」と論点をそらし、社説では「歴史から目をそらすまい」との一般論で逃げをうっている。
  『慰安婦と戦場の性』秦郁彦、p235-240
50朝日:01/12/12 14:37 ID:zZp8SwkZ
国連のなんたら小委員会で
従軍慰安婦の人道に反する日本の罪は認められています!!

時の外務大臣、河野洋平氏もその存在を謝罪してます!!

この2点だけは永久にベタ記事だけでも主張しつづけていきます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
51名無し:01/12/12 15:46 ID:iXLvZRqc
 俺も実はソウルオリンピック前に韓国に駐在してて、
取引先の社長あたりがまだ戦前世代だったから、よく昔話を聞いたことがある。
かなりしつこく聞いたが、誰一人戦時中の話でも従軍慰安婦の強制連行について
教えてくれた人は居なかった。

もし本当に慰安婦用の娘の強制連行があったなら、全土の噂になり、
誰か一人くらい知人が教えてくれたはず。
ちょうど第一次教科書問題がおきてたころだから、いろんな悪口を
聞かされたけど、誰一人、慰安婦の話はしなかったね。
それでなくとも喧嘩好き、相手の非を探すのに執念を見せる韓国人
が黙っているはずが無いのにね(W

 当然のこと従軍慰安婦の強制連行は無かったと思う。
52名無し:01/12/12 15:46 ID:iXLvZRqc
逆に取引先の社長の一人は戦前、満州の牡丹江で軍相手の売春宿を経営
し、戦後は釜山で日韓密航ブローカー兼米軍物資闇商売人兼、売春宿経営
で資産を作ったと笑いながら話してくれたよ。
その人間でさえ慰安婦の強制連行を話題にしなかった。
やはり吉田清次の捏造話と朝日の左翼姿勢が相乗りして、虚構の事実で
キャンペーンをやった結果だろう。
朝日はこれからの日本の若い世代に、負わなくても良い汚名と負担を
負わせていると言えるだろう。
53朝日:01/12/12 15:53 ID:3Kzhpxb/
国連のなんたら小委員会で
従軍慰安婦の人道に反する日本の罪は認められています!!

時の外務大臣、河野洋平氏もその存在を謝罪してます!!

この2点だけは永久にベタ記事だけでも主張しつづけていきます!!!
54名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/12 16:48 ID:lK5NvrX7
>>53
国連の威を借りて主張しても、嘘は嘘。
つまり河野洋平は売国奴ってこと。
55 :01/12/13 04:55 ID:ArMP0dI9
>>49応募投書を単行本化した『女たちの太平洋戦争』全三巻(朝日新聞社、一九九一−九二)に、北畠、井上の両記者がわざわざ吉田関連記事をはめこむほどの熱中ぶりを見せた。

ヤパーリ朝日の投書って普通の読者ではなく“専門家”がやってたのか。
56:01/12/13 04:59 ID:8NsKSVyL
>>53
外務大臣に間違いを訂正させないと、いけないんじゃない?
57:01/12/13 05:01 ID:GlVu9grG
吉田清治 処刑できないかな?
58>57:01/12/13 05:12 ID:ArMP0dI9
吉田自身の「証言」を信じれば彼は戦犯なんだよな。
59>53:01/12/13 06:07 ID:6BgEEzsN
なんたらってなんだよ、そこまで立派にいうなら
「なんたら」までちゃんと探して暮れや
60 :01/12/13 06:36 ID:ArMP0dI9
>>59 53の名前みろよ
61既成事実への屈服:01/12/13 07:23 ID:iO31mTae
河野談話で明らかですよ。
62名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 08:18 ID:yFEP+sf8
害務省がグルって可能性は?
63名無し:01/12/13 09:33 ID:TOjK+7/d
吉田って、モロチョンコじゃねーか。
チョンの言うことで本当だったことは無いじゃん。
64名無しさん:01/12/13 10:00 ID:XXxQSdVp
>河野談話で明らかですよ。

吉田が嘘つきとわかったいじょう、この談話を否定することは
できないのか?
65ヴァンドール皇帝:01/12/13 11:34 ID:5dkiBVAw
つくづく河野洋平という政治家は売国奴だと思った
66名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 13:05 ID:5ZB2hQeR
河野洋平・・・50年後には確実に国益を損ねた政治家として
教科書に登場するだろう。
67名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/13 15:41 ID:SiAHHA3Q
age
68名無しさん@お腹いっぱい。
吉田清治の「証言」を国連の連中は鵜呑みにしているんだ。
ってことは、自分達には調査能力は無いって告白しているってことになると思うが。
それとも、ただ単に日本を貶めればそれで良しとしているのかな。
日本って国連分担金かなりの額払っているんだぜ。
なんかぼった繰られて異ルナー