ノコギリと肉切り包丁を使い、朝までかかって朱美をバラバラにした。
狭い風呂場で、両腕両脚、それに首を切り落とすその作業は大変なものだった。
肉と血脂、それに骨片で目詰まりしたノコギリはヌルヌルと滑って一向に切り進めず、刃こぼれした肉切り包丁は力任せに叩き付けると血に濡れた手を滑って、狙ってもいない箇所に食い込む。切り開かれた下腹から溢れ出した臓物は床に広がって何度も私の足を滑らせた。
シャワーの湯を流しっぱなしにしていると熱気の中に血と臓物の匂いが立ち込めて眩暈がするほどだったが、それは陶酔感にも似た心地良い眩暈だった。その眩暈の中で私は何度も気を失い、そのたびに朱美の臓物の中に突っ伏しながら射精していた。
夜が白み始める頃、五体バラバラになった朱美は浴槽の中で自らの血と臓物に浸かりながら虚空を見詰めていた。生きていた時の彼女と同じ、ここには無い何かを見詰めている瞳だった。光を吸い込むような闇色の瞳は、一つだけになっても変わらなかった。
私は彼女を愛していたのだろうか――。
朦朧とした頭で、そんな事を考えていた。
私の絵の最大の理解者だった朱美。彼女は私の全てを理解していた。私以上に私の事を知っていた。だが、私は彼女の事をどれだけ知っていたのか。
考えるまでもなかった。私は朱美のことなど何一つ知らなかった。知っていたのは、左の乳房にホクロがある事だとか背中に火傷痕がある事だとか、そんな事ばかりだった。
朱美とは殆ど会話というものを交わさなかった。いつも朱美が一方的に喋り、私はそれを聞くともなく聞いているだけだった。そういう時、彼女は決まって夢の話ばかりを繰り返した。
彼女自身の事や家族の事は、全くといっていいほど明かさなかった。それらを含めた現実に生起する事象のほぼ全てに、彼女は関心を払わなかった。
私が知っている朱美は、初めて遭った時から死者のそれと同じ印象だった。この世には存在しない、別の、何か。この世界のあらゆる些末な事物から手を切り、
常にどこか別の世界を見詰めている彼女は、私自身の分身だった。
そんな彼女を、しかし私はいつの間にか愛していたのかもしれない。腕の中で朱美が動かなくなった瞬間、私は歓喜と同時に後悔の念を覚えていた。それは、ただ一人の理解者を失ってしまった事による悲しみだったのだろうか。
朱美のごとき理解者は、今後二度と現れないかもしれない。――いや、現れないだろう。強迫観念にも似た、それは強い確信だった。その事を、私は彼女を失って初めて知った。
遅かった。全ては終わった後だった。
血の涙を流す朱美の眼窩をぼんやりと眺めながら、そうして私は彼女を愛していたのだと気付いた。
手を伸ばし、その頭部を持ち上げると、断面からボトボトと赤黒い固体混じりの血液が滴り落ちた。眼窩と口腔からは、赤い血汁に混じって生白い液体がこぼれ落ちる。精液だけでなく脳漿も含まれているのかもしれない。
持ち上げた朱美の首を強く抱き締め、そのまま私は眠りに落ちていった――。
朱美を殺した事で、私の世界は大きく変わった。
いや、変わったのではない。あるべき形に収まったのだ。朱美を殺す事で、私はようやく元の世界に戻る事が出来たのかもしれない。
死体がなければ、作ればいい――。
その事に気付くと、今まで私を拒絶し続けていたこの世界が一転して私を優しく迎えてくれた。
生きながら死んでいた私は、そうしてようやく生き返る事が出来た。
朱美を殺した二日後の夜。私は郊外の山奥に彼女を埋めた。
キンモクセイの群生している場所を選んだのは、彼女の腐臭が強くなっていた為だ。深く掘り返した赤土の匂いと噎せ返るようなキンモクセイの香りが、肉の腐る臭いを塗り潰した。
二時間以上もかけて掘り返した深い縦穴の中へ、六個のパーツに分解した朱美を投げ込んだ。
左脚、右脚、胴、右腕……。
頭部を投げ入れる前に、最後の口付けをした。紫色に膨れ上がった朱美の唇は氷のように冷たく、舌を差し込ませると酸味と苦味に覆われた形容しがたい感覚が味蕾を疾り抜けた。
首を静かに落とし、最後に残ったのは左腕だった。
その薬指に嵌められたガーネットの指輪。それを、そっと外した。
いつか二人目の朱美を見つける事が出来た時、それはどうしても必要になる物だった。まだ、埋める訳には行かなかった。
指輪を失った朱美の左腕を、私は名残を惜しみながら穴の中へ捨てた。
それから、ズボンのポケットを探り、肉の塊を引っ張り出した。
掌にちょうど収まる大きさの、朱美の心臓。
軽く唇を寄せて、それも穴の中へ落とした。
それが、朱美との最後だった。
しかし朱美との関係はそれで終わりではなかった・・・ククク・・・
唇を唇で塞がれ、指を下半身に挿入され、わたくしは息が荒くなっていくのを止められませんでした。
わたくし自身の荒い息遣いを意識すればするほど、更に息は激しく、熱くなっていきます。それを恥じて息を殺そうとすると、あの方の舌が口内の奥へと差し込まれ、下方に挿入された指が一番刺激の強い部分を繰り返しかき回して、わたくしが震えるのを楽しんでいるようです。
舌を動かしながら、同時に中指が激しく水音を立て、親指が他の場所をも刺激します。親指を擦るように動かしながら、中指は出し入れを続け、粘液を溢れさせては掻き出しています。
慣れてしまった自分自身におぞましさを感じるほど、肉体はあの方を欲して熱を帯びていきます。指を切断された痛みまでもが今までにない快楽を誘い、どうしようもなく体が猛っていくのです。
切ない声が唇の端から漏れそうになるのを堪えて、腰をよじって快楽から逃れようとすると、あの方の舌がわたくしの喉の奥に侵入してきました。
わたくしは思わず歯を食いしばっていました。
口の中に血の味が広がります。錆びついたような鉄の味がわたくしの内部に浸透していきます。
鼓動が激しく打ち続け、左の胸に痛みを感じるほどでした。
酸素を欲して、肺が悲鳴を上げているようです。
嘔吐感が襲いかかり、口内を犯すぬめぬめとしたものを排除しようと喉の奥が痙攣しています。
それでも、あの方の舌と指はわたくしを嬲り続けるのです。
視界がぼんやりと霞み、朱に染まりだしたころ、あの方はすっと唇を離し、着ていたものをもどかしそうに脱ぎ捨てました。
あの方の唇の端から一筋の赤いものが走っているのが見えました。
あの方はそれを手で拭い、わたくしの乳房に顔をうずめ、露わにした下半身をわたくしの上に重ねました。
わたくしは無意識に足を広げ、あの方を受け入れようとしていました。
「慣れすぎるな」
あの方は乱暴に言い放ち、わたくしの両足を抱え上げて下半身に顔を移しました。
「あっ」
あの方の歯がわたくしの突起した部分に当たるたび、指を食いちぎられたことを思い出して、わたくしは恐怖に震えました。
わたくしの中から、何かが溢れ出して行くような気がしました。その溢れ出したものを舐め取る舌の音が地下室を満たし、わたくしの荒い息遣いと重なって、地下室の闇をいっそう濃くしていきます。
「はっ……ああっ」
わたくしが声を上げるたびに、あの方の舌が強く刺しこまれます。
舌は、ざらざらとした感触と、奥まで届かないもどかしさだけを残してすぐに抜かれてしまいます。
「欲しいのか」
あの方が意地悪くわたくしに問いかけます。
わたくしは首を横に振りました。
あの方の指が、わたくしのいちばん敏感な部分を撫で上げました。舌が入り込み、同時に指が動かされて ……。
「あっ、んっ……」
吐息が漏れるのを耐えることかできません。
あの方はわたくしが乱れるのを見て、より激しく指を動かします。
「欲しいのだろう?」
わたくしは目を閉じて答えました。
「はい……」
蔑んだ目で見られるのが嫌でした。
きつく目を閉じていると、あの方は耳元に唇を寄せて言いました。
「何度も言わせるな。……目を閉じるな、と言った筈だ」
はっとして目を開くと、あの方の暗い瞳が目と鼻の先にありました。
「いい子だ」
そう言うと、あの方はわたくしに上に覆い被さりました。そして、一気に挿入してきます。
「あぁっ」
あの方の膨張した部分が押し入ってくるのを感じると、わたくしはあの方にすがりつくようにして、快感を受け止めていました。
全身が痙攣するのを、止めることができません。ほんの少しでもあの方が身動きするたびに、おぞましいほどの快楽が全身を貫きます。
あの方にも同じように快楽が伝わっているのでしょう。あの方の表情が苦しげに歪んでいます。
苦痛に耐えるような表情で、わたくしの内部を往き来し、息を乱した唇でわたくしの唇を貪ります。
「祥子……」
そうあの方が囁いた刹那、急激に頂点が近付いてきました。
「んっ、ぁ……」
弓なりに背を反らせて、あの方の脚に自分の脚を絡ませ、わたくしは頂きが訪なうのを感じていました。 あの方もまた同時に達しようとしているようでした。激しく息を乱し、上下の動きが更に激しさを増してゆきます。
「祥子、祥子……」
何度も繰り返し、わたくしの名を呼んでいました。
「ああっ!」
わたくしは堪らずに悲鳴に似た声を上げました。
そのまま、ついにわたくしは登りつめていました。
同時に、あの方の身体が二度、三度と痙攣しました。
「良い、表情だ……」
乱れた息の下で、あの方が言いました。
汗がつうと伝って、わたくしの頬に落ちました。
頬から唇に届く一筋の雫を舐め取ると、あの方の全てを飲み込んでいるような錯覚を覚えました。
あの方がわたくしに寄せる感情が人間にあるような愛憎ではないことを、願っていました。
反面、愛しさのようなものを感じているわたくし自身に戸惑いました。
愛して欲しいと思うはずもありません。わたくしは闇を欲していたから、こうしてあの方に抱かれ、あの方がもたらす終わり無き苦痛を受け入れたのです。
わたくしは罰が欲しいと願いました。罰を与えてくれる存在、それがあの方に望む全てです。
しかし、今、わたくしはあの方を抱きしめたいと思っていました。
わたくしの上で息を荒くし、汗を流して胸に頬をうずめているあの方の背に、そっと手を伸ばし、両の腕で包み込みたい。そんな感情に捕らわれているのです。
「祥子、愛している」
夢想するように、あの方が言いました。不意に涙がこぼれました。
何が起こっているのでしょう。わたくしは自分の感情に戸惑いました。
悲しいと感じている自分を見つけるのに、かなりの時間がかかりました。
わたくしは数年ぶりの悲しみを味わい、そんな感情を持っているわたくし自身の存在に戸惑っているのでした。
感情は、とうの昔に消え果てていたはずでした。
失った子供と一緒に、海に流れたはずでした。
けれど、あの方の一言にこれほど動揺しているわたくしは一体どうしてしまったのでしょう。
わたくしの頬に涙が伝うのを、あの方が見つけました。
あの方の唇が、その涙をそっと涙を拭いました。そして、柔らかく唇が重ねられます。
「泣くな」
ああ、はやく、はやく、殺して下さい。殺してください。殺してください。
これ以上、わたくしがおかしくなってしまう前に。そう言葉を紡ごうとしたとき、りーんと高い音が響きました。数秒の空白。無音。
そして、もう一度。ベルの音でした。
「誰か来たらしいな。大人しくしていろ」
あの方は機敏な動きでシャツを羽織ると、階段を上がって行きました。
まだわたくしの体は熱く、艶かしく火照っております。お願い私を殺して!!!