アニメが一般に受け入れられなくなった最大の原因210

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666 百合という物の本質は性欲とは一線を画す物である
>>665
なるほど現時点ではメガネありのほうが断然技術や画質においてリードしている
ということですな。
メガネなし3Dは未来における可能性は大きいのですが、現時点ではさらなる技術進化
を待つか、玩具等で活躍してもらうしか無いということになるわけですな。
667 百合という物の本質は性欲とは一線を画す物である:2010/04/02(金) 09:07:19.88 0
>>665
アニメ「電脳コイル」が実現するまで20年かかると言ってた人もいましたが、
「電脳コイル」はメガネあり3Dテレビで現時点で実現したと思います。
メガネあり3Dテレビが買えない人でも3D映画などを観る時にはメガネをするわけで、
これで「電脳コイル」を体験できます。
「電脳コイル」は近未来じゃなく現時点の話であり、「電脳コイル」がNHKで放映されてから
わずか3年で社会に実現したことになる。
668 百合という物の本質は性欲とは一線を画す物である:2010/04/02(金) 09:20:38.20 0
「電脳コイル」が現時点で実現してしまい、10年後にはおそらく「電脳コイル」
の世界が「サザエさん」のような過去になってしまうことを考えると00年代のNHKアニメで
近未来の世界を描いたのはアニメ「学園戦記ムリョウ」ではないかと述べたい。
「学園戦記ムリョウ」はこのアニメ板でも滅多にその名前が出ないが、「エヴァやドラえもんより凄いアニメ」である。
主人公がジャンプして宇宙まで飛んで行ったり、ブラックホールのなかを泳いだりとハチャメチャな描写の連続で、鳥山明の
ドラゴンボールをも超越していたかも知れない。
それだけに付いて行けない人が多く、忘れられたアニメとなった。
「電脳コイル」のような人々のちょっとなつかしいような日常生活も描かれていたのだが、そこから急にジャンプして宇宙まで
行くので付いて行けないアニメだったのだな。
だがこの「学園戦記ムリョウ」が10年代の後半から20年代以降の世界の現実を描いているのではないか?


669 百合という物の本質は性欲とは一線を画す物である:2010/04/02(金) 09:34:01.19 0
民放アニメは商業性を重視するのでサザエ、ガンダム、涼宮ハルヒ、エヴァの
ように同じことの繰り返しになる。
これは「ドリフ大爆笑」「吉本の漫才」「水戸黄門」と同じで、客にウケるパターンは
決まってるから、そのウケパターンを繰り返すだけになってしまうのだ。
商業主義とは結果として「平凡の繰り返し」を生むのである。
反対にNHKアニメは商業性が欠落してるからこその「斬新性」を生んできたと言える。
そして多くの人はNHKアニメというと「未来少年コナン」や「ナディア」をあげるが、そりゃ
違うだろと言いたい。
670 百合という物の本質は性欲とは一線を画す物である:2010/04/02(金) 09:41:51.00 0
「太陽の子エステバン」
これこそNHKアニメであると私は述べたい。
この太陽の子エステバンは平凡で退屈な世界名作劇場みたいな話から、いきなり
ロボットアニメになっていく斬新性があった。
そこに脈絡が全然なく、いきなりロボットアニメになっていくのである。
「小公女セーラ」がいきなりロボットアニメに変わるようなものだと思って欲しい。
しかも敵のロボットがエヴァの使徒並に強い。
無茶苦茶じゃないかと言いたくなるアニメだが、商業性を無視してるNHKだからこそ
できる斬新性があった。