>>419の推敲したヴァージョン(といっても、
ニーチェと哲学しか読んでない。人間の〜も、本田、鶴見もよんでないので
カンに近いのですが…。)
本田透とか鶴見済とかは、人間の条件から遠く離れようとしている。超人というのも、素
朴に考えればそういうものかもしれない。一人で、森の中で動物たちと暮らすというのは、
複数性(人間の条件)から外れている。意味や価値は一人で作り出すものだ。それまでの
哲学には、意味も価値もなかった(「ニーチェと哲学」)。
本田透や鶴見済は、現実/虚構/身体(身体は、もう一つの、人間の条件であろう。)を組
み替えることで、人間であることを克服しようとした人といえよう。それぞれ、その時代
のリミットをなす思考である。
鶴見済は、現実からいつでも(楽に?)離れられる方法を用意することで、現実を対自的
に見る(「完全自殺マニュアル」)。そして、そうして見られた現実の苦しさを、クスリを用
い、身体に訴えることで逃れようとする(「人格改造マニュアル」)。本田透は、あまりに殺
伐とした現実を前に、「自殺するなら、引きこもれ」といい、虚構に引きこもる。身体の充
足には、バーチャルな彼女を用いる(「萌える男」)。