なお、「オトナアニメ」降板後は唯一、毎日新聞社『まんたんブロード』のアニメ関連記事に携わる予定だったが、
「オトナアニメ」Vol.6の編集後記対談で『天元突破グレンラガン』(二〇〇七年)を批評したことに対し、
原作者の中島かずき氏からコンテンツホルダーのアニプレックス経由で(既に「オトナアニメ」を降板していたことから)
毎日新聞社へ「強い要望」が行われ、結果、アニメ批評からは完全に離れることとなった。
もっとも、筆者にとって、アニメはオタク向け――数ある「十歳児のような大人向け」娯楽商品の中でも、
SFと並んで最も保守的なジャンル/島宇宙であり、批評対象としても優先順位の低い選択肢の一つでしかない。
前述の逆説的な方法論を思いつかなければ、アニメ批評やその専門誌に関わることもなかったろう。
ただ、逆説的な批評実験とは別に、ジャンルの最適化を拒絶する意識的な作品は積極的に取り上げるべく努めていたし、
何も思い入れのない提灯記事だけは書くまいとも思っていた。
『天元突破グレンラガン』への批評も、関連書籍の版権が欲しいという営業的理由から
一切の批評性を排した翼賛的な第一特集を二号連続で組んだ編集部と、
「大本営発表」をそのまま垂れ流す矜持なき評論家たちの怠惰な姿勢を批評することが目的であったが、
その顛末が「強い要望」による排除となったのだから、過剰反応するタコツボのカルト性ここに極まれり、であろう。
これは筆者の評論家としての矜持であると同時に、消費環境整備としての批評が困難であることを示している。
カルトの全体主義と個人主義が必ず衝突するように、評論家の矜持も最適化の夾雑物とみなされ、ジャンルから排除されていくのである。