一部のオタクは「オタクはキモい」と言われて何故毎度毎度律儀に腹を立てるのか
ここのところオタク文化がどうとかいう議論を良く吹っかけられるのだが、オタクを自称
する人たちが概ね口にするのは
社会からの無理解
その無理解に立ち向かう俺たち
最近は市民権を得てきた
好きなことに集中して何が悪い
といった趣旨の発言である。個人の自由で済む範疇であれば、何も文句をつける筋合
いはない。好きにすればよろしい。だが、日本には古来から伝わる”日陰者”という絶妙
な名詞があるのだが、彼らのうちの一部はむしろオタクであることを誇りに思っている。
正直、困ってしまう。自分たちの好きなものを聖域視し、それらのブツ
を否定されることを人格が拒否されたかのような過剰反応をする。
常識的に考えて、いまこのご時勢にエヴァンゲリオンについて熱く語る馬鹿や、赤ずき
んチャチャがいかに優れたアニメであったかを他人の前で力説する阿呆が社会から理
解されるはずがないだろうということを指摘すると激怒するわけだ。あるいは、二年以上
はまっていると言うリネージュやリネージュ2についてさんざん語らせたあと、でもクソゲ
ーじゃね? と言うとこれまた反発する。何でも、彼のバディでネトゲをするために会社
を辞めた奴までいるらしい。何それ。それは少し若干わずかにややちょっとかすかに頭
がおかしいのではないかと思う。
別に自虐的になれと言いたいわけではないのだが、いい年してアニメやゲームにはま
ってまともな社会生活を送れない、あるいは、そういうものに関心のない人たちと真っ当
なコミュニケーションが取れないことを、あたかも”自分のなかの標準”として、それを指
摘されたり否定されたりすることさえ拒否するのはどうかと思うわけである。
無理をして他人と迎合しろというより、そのトピックスに関心がないとはっきり意思表示
している人に対して、そのトピックスでしか話しかけなかったら不愉快に思われるだろ
う、という事実がある。さらに、そのような事実を恐らく人生のなかで何度も何度も何度
も何度も何度も繰り返してきているだろうにもかかわらず、反省ひとつせずいまなお元
気に不愉快がられている状況を客観視しないのは何故なのかといいたいのだ。
私だって、オタク的なところがないわけではない、むしろゲームであったり野球だったり
アイドルだったりネットだったりという分野はとても好きであって、それらの方面の知識
は人後に落ちない自信はあるけれども、そういうものに興味を持たなさそうな人に話題
を振ることは極力しないようにする。あるいは、興味があるかどうかちょっと言ってみる、
知識のありそう回答をしていけば少しづつ深くしていくという作業である。「いや、こうみ
えても昔はグラビアを集めてたんですよ」「へえ。最近誰が好きですか」「最近だと新垣
結衣が良いと思いますけど、昔ほど熱心に漁ることはしなくなりましたねえ」ぐらいの会
話で初対面では抑えるのが普通だ。
だが、オタク過激派は何だ。このクールで放送されているアニメでどれを録画していて
どの声優のイベントに逝ってグッズはこれだと見せるしそんなこと言われてもわからね
ーよ。過日、スタートレックについて語り続ける空気の読めない奴について記述したが、
こちらが「そうかい」で済ませているうちは良い、だが誰かほかの人、とりわけ女性が露
骨に引くアクションを取ったときが問題なのだ。ネットでは例の「きんもーっ☆」もそうだっ
たが、好きな話題をありありと拒否されたときの過剰反応が凄すぎ。
対人スキルとかってレベルじゃねーぞ。