例えば通常の構成をこの作品に適用した場合、
「涼宮ハルヒの憂鬱V」でハルヒが神、長門が宇宙人、ミクルが未来人、古泉が超能力者と言葉だけでの説明をしても、
彼らの能力について少しの直感的イメージも得ていない視聴者は意味が理解できず退屈に感じてしまうだろう。
しかしそれを解消する為にそれ以前に何らかの形で彼らの能力を直感的イメージとして示そうとすれば、
主軸ストーリーの修正を必要とすることになり、そこに必ず無理やご都合が生じてしまうジレンマに陥る。
しかしこのメメント的構成では、視聴者が「朝比奈ミクルの冒険」や「涼宮ハルヒの退屈」で
登場人物の能力の一部を既に直感的イメージとして受け取っている為に、
キャラクターの言葉による説明を容易に理解することが出来ているのだ。
ここで何より重要なのは、そういった構成をとるのに
この作品の設定とストーリーが他のどの作品より向いているということだろう。
恐らく他の凡弱な設定、固定され一本化されたストーリーの作品ではこの構成をとったところで
何の意味も持たない、ただ奇をてらった構成としてしか理解されなかったのではないだろうか。