★アニメサロン板 自治集会所 24号館★

このエントリーをはてなブックマークに追加
394メロン名無しさん
一 二十世紀には世界の構造が変化した
 二十世紀は、独占資本主義、帝国主義の世界支配によって始まり、この世紀のあいだに二回の世界大戦がありました。その惨禍は文字どおり全世界におよびました。
こうした側面だけから見れば、この世紀は、人類にとって、苦闘の連続でした。しかし、二十一世紀を迎えて、百年間をふりかえってみると、この世紀は、
人類史のうえでも画期をなす巨大な変化が進行した世紀でした。一口でいえば、世界の構造は、この百年間に大きく変化・変動しました。

植民地体制の崩壊と国連の「平和の国際秩序」提唱
 いちばん大きな変化は、植民地体制が崩壊したことです。二十世紀の初頭には、地球上の大多数の諸民族が、植民地・従属国として国際政治の枠外におかれていました。いまでは、
これらの国々は、独立国として国際政治に積極的に参加しており、そのこと自体が、二十一世紀の新しい国際情勢をつくりだしています。

 この変化のなかで、植民地支配を許さない、国際政治の新たな諸関係が生みだされました。新しく独立した諸国は、国際政治の舞台で、非同盟諸国会議、東南アジア諸国連合(ASEAN)、
イスラム諸国会議機構(OIC)などに参加し、平和と民族自決の世界をめざすうえで、その役割と比重を大きくしています。

 国際連合の設立も、二十世紀の重要な出来事でした。国連憲章によって、「戦争の違法化」が世界史の発展方向として確認されました。国連憲章は、各国の内政に干渉しない、国際的な武力の行使は国連の決定による、
各国の勝手な判断による軍事行動は、侵略にたいする自衛反撃以外は認められない、などの諸条項を定めました。
これは、「戦争の違法化」という方針を具体化し、戦争を未然に防止する平和の国際秩序の建設をめざしたものでした。

395メロン名無しさん:04/11/05 22:44:00 ID:???
ここで想起したいことは、国連が定めた「平和の国際秩序」という目標は、科学的社会主義の運動が展望してきた方向にも合致しているという点です。
マルクスはかつて、第一インターナショナル(国際労働者協会)の創立宣言のなかで、
「私人の関係を規制すべき道徳と正義の単純な法則を諸国民の交際の至高の準則として確立する」こと、すなわち、
市民が隣人とのつきあいのなかで守るべき「道徳と正義の原則」を、国家間のつきあいの原則にする、そうしたルールをもった国際社会をつくろう、と呼びかけたことがあります。

 私は、国連憲章に定められた「平和の国際秩序」は、マルクスが願ったものと同じ気持ち、同じ方向で「諸国民の交際」の原則をきめたものと言ってよいと考えています。

「二つの体制の共存」――二十世紀におきた世界情勢の重要な変化
 二十世紀におきた世界の構造的な変動として注目したい第二の点は、「二つの体制の共存」という問題です。

 二十世紀初頭は、資本主義が世界を支配する唯一の体制でした。歴史の発展のなかで、社会主義をめざす新しい流れが始まり、
二つの体制が共存する時代へ移行・変化しました。これは、二十世紀という時代の、もっとも重要な特質となりました。

 この二つの体制の共存という時代的な特徴は、ソ連・東欧の体制崩壊で終わったわけではありません。二十世紀の社会主義の流れは、中国、
ベトナム、キューバの発展に受け継がれており、二十一世紀を迎えた世界情勢には、
二つの体制の共存という点でも、新しい展開が見られます。とくに、中国とベトナムで推進されている
「市場経済を通じて社会主義へ」という、社会主義をめざす新しい探究は重要です。中国の人口は十三億人、ベトナムの人口は八千万人です。
あわせて十四億人近い巨大な人口をもつ地域での発展として、世界の構造と様相の変化を引き起こす大きな要因となっています。