アニメ文化の可能性を潰しているもの  

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1メロン名無しさん
アニメ文化の可能性を潰しているもので重要なのが、
「オタク」を自認するような人々の態度があると考えています。
その態度、意識をあえてまとめるのならば、
「俺たちの文化のことは、外のおまえらには分かってたまるか。
 分かって欲しいけれど、分かられてたまるか」
「理解して欲しいから布教するけど、
 外のおまえらに理解できるわけがないし、理解されてたまるか」
「かまってほしいけど、俺達の土俵に入ってくるな」
というような駄々っ子的態度がよく見られる。幼稚と言わざるをえない。

これは、「オタク」の側が、
趣味を共有してる仲間・集団のなかに引きこもって、
むしろ積極的にこの小集団を維持して、集団と外界の境界を明確に線引き
する方向に好き好んで進めているからです。
「オタク仲間」と「仲間じゃない奴」を分割する思考。
自分達「オタク」とは違う思考を持った人々、
いわゆる「非オタク(一般人orサブカル)」を“仮想敵”にする思考。
ようはこのように「仮想敵」を設けることで「被害者意識」を持つ。
被害者意識という「弱者」でいることの『優越感』これ。
この弱者で居続けるという逆差別的な優越感が都合が良い。
とにかく彼等は“対等な関係を嫌う”
彼等は“決して対等じゃない”という関係を維持し続けていたいのだ。

まとめると、
「オタク」を自認する者同士が意識することで創られる仮想共同体に対する、
アイデンティファイというか、ある種の疑似ナショナリズムめいた
集団意識という、排他性、閉鎖性が、アニメ文化の可能性を潰していると言えます。
また、このオタクの集団意識が、
一人の人間としての独自性、主体性を失っているようにも見えます。