俺は、このスレは初めて一通り目を通しましたが。
>136
>とまあ、私がアラキを認めていることは確かで、彼をいくら賞賛した
>ところで始まらないね。自己マン的な文章で申し訳ない
じゃぁ書くなよ。他の人にも同じことが言えるけど。
別に煽ってるわけじゃないよ。
ツラツラとアラーキーの良さを語ってる人がちらほら居るけど
このスレの主題である「彼の写真ととりまく環境は抑圧である」
ということに対する返答にもなってないじゃないか。
解説自体は明確で素晴らしいと思えるのだが、
>>132は
根本的に対象、撮り手、受け手の関係が全く語られていない。
受け手がどう感じるのか?という点が無視されている。
たとえそれが不快感や嫌悪感であったとしても、撮る側の意識は
それらの感情に対してどういうアプローチがなされているのか?
そういった意味での解説が聞きたい。
アラーキー自身がどういう思いで撮っているのかは、本人以外は
完全に理解することはできないが、もし
>>132 の解説にあるように
「被写体が何であるかに関わらず、被写体と自分とのかかわり合い、
関係、を面白いとし対象をカメラにおさめていること」
が彼のスタイルであることもまた、受け手無視の顕著な現れではないのだろうか。
彼が風景や女性の裸体などどれもを同一とみなし、撮っていたとしても
受け手によっては同一とはみなせるとは限らない。
俺個人の結論としては、そういった「受け手との関係の意味」が含まれて
いないために、アラーキーの"汚いヌード"とそれをとりまく環境に
抑圧を感じるのではないだろうかと思う。そして俺も抑圧を感じる。
彼の作品は、その作品が良いと思わない人を全く無視しているように思えてならない。
さらに、このスレにある盲目的なアラーキー賛美がその典型的現象であるとも思える。