1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
おれはどっちの擁護派でもないよ。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/21(日) 21:41
芸の術なんだからいっしょだろ。
>>1 共感。でも、もうどーしようもないくらいておくれ。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/24(水) 01:43
芸術とデザインを一緒にするなだって?
いつの人間だ、オマエ。
そんな対立項自体が問題にならなくなってから
もう数十年経ってるっていうのに。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/24(水) 11:01
>5
vaka?
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/24(水) 12:08
>5ネタ?それともモノホンのパカ?
8 :
名無しさん:2001/01/25(木) 14:28
>1
具体的な理由は?
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/25(木) 15:33
>>7
5は真性だろ。おそらく。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/26(金) 17:01
>5
キティ認定。
11 :
5じゃないが:2001/01/26(金) 18:46
>>6-10
デュシャンのレディ・メイドは?アンディ・ウォーホルは?
もとより、デザインと芸術の差別化は18世紀以降のことで
あり、その境界が今日、再び曖昧になっているのは否定で
きない事実だろう。村上隆だって、ジェフ・クーンズだって、
似たようなことやってるでしょ。
あまり知らないくせに、知ったようなことを言わないこと。
12 :
5じゃないが:2001/01/26(金) 18:48
まあ、5が言うように「問題にならな」くなっているわけ
ではないが。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/26(金) 22:24
いうまでも無くデュシャンもウォーホルも村上隆もジェフクーンズ
も、デザインではありません。デザインの方法論に影響を与える
ことはあっても、ポップアートはポップアート。デザインはデザイン。表面上は似ていてもそこに内包される作者の目的が違うんじゃないの?
ところで個人的にいちばんウザいのは、アートの評価軸でガチガチの商業デザインを批判するヤツ。つきはなした批評ができないのは頭が固い
証拠。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/26(金) 23:18
じゃあ、tomatoはどうなる?
15 :
初心者:2001/01/26(金) 23:38
芸術とデザインの線引きはどうなってるんですか?
16 :
通りすがりの芸大OB:2001/01/27(土) 04:33
デザインは、ある目的(商品でも広告でも容器でもWEBでも何でも良いんだけど)に対してベストな方法論を選ぶこと。
まあ極論だけど。だから理由と言うかコンセプチャルな部分が非常に重要になる。それが目的だし第3者(対象物)があるからね。
ある意味それがクライアントだよね。逆に言えばデザインのためのデザインは無いよね。
とりあえず”需要”が初めにあって出てくるものだよね。(とは言ってもネタはこっちも溜めとくべきだけど)
芸術はその目的が第3者では無く自分だと言うことなんじゃないのかな?
すべては自分の為に表現も方法論もコンセプトもつめていく訳だから。
あり意味”他人の為”の芸術って無いよね。あるように見えても”自分の為”だよね。
だから見た目同じようでも作り手の目的はえらくちがう2つだと思いますね。
僕の場合は完全に頭を切り替えますけど。しゃべる内容まで変わることが有る位。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/27(土) 05:30
「自分のため」「他人のため」というよりは、
それが「公共性」をもって発進されたものなのか、
それとも「経済性」「有用性」をもって発進されたものなのか、
という気がしました。
自分のために作品を作るなんてことありえなくない?
やっぱり何かしらの評価の対象として自己の創造を結実させて
世の中に発表するものだとおもうのだけど。
デザインは16さんのいうような捉え方だと
僕も思います。まずモノがあっての表現。
ロシア構成主義の作品とか、
バウハウスあたりの作品とか見てると、理解しやすいかも。
あれはデザインようにみえるけど、
ちゃんとした芸術作品だよね。
論拠論点不足あったらスマソ。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/27(土) 05:32
あ、バウハウスはデザインだけど、
それを生み出す過程における様々な実験・作業は、
極めて「芸術」に近いといえると思います。補足。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/27(土) 05:34
>16
つまり自分のリハビリのためってことですか?
20 :
うんこ:2001/01/27(土) 06:55
芸術作品は心のうんこヨ
匂えば匂うほど、クセのある作品ってことヨ
あなたにも届け!この匂い!
21 :
うんこ2:2001/01/27(土) 06:59
>17 いや、あるよ。自分の為だけの作品っていうのは。
自分は若い頃作品造っては、燃やしてたもん。でもそれで
よかったんだよ、人に見せなくても。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/27(土) 07:30
>16〜7がバカ丸出しで発言してくれているので補足する必要は
ないけど、16〜7が言っているデザイン・芸術の話しは差し換えて
も別に問題ないでしょ、そこからが問題なんだから。
ここで話されてるのは実際にあまり発表をして無い人だと思うん
だけど、そう思うのは芸術でもクライアントにあたるものはギャラリスト
であったり、美術館であったり、など仕事としてやっていくのであれば
当然あるんですよ、それは自分の作品に影響を与えるものですけど、悪い
ことだと思わないんですよ、だってそんなのやってく上で当たり前
だし、人に言われたものを作ってるんじゃないんだし、そうしたこ
とがあるから色んな人と交流があって作品も面白くなっていくんだと
思うんだけどね。
>20前にもココで芸術がウンコだって言ってる人いたけど、20
さん?あなたは問題外。単なる甘えん坊です、というより子供。
>21あなたは20?いわゆるダメな作家の代表みたいな人ですね、もっと大人になったもうがいいですよ。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/27(土) 15:14
16から17がバカ丸出しだとは思わないが、22の言うことは
正鵠を得ていると思います。アートもデザインも第3者の存在抜きに
は成立しないものと言う点では同列である。しかし逆にデザインや
アートが必ずしも資本主義の流通形態をとらなければならないか
というと、決してそうではないところに問題があると思うんけれど
どうでしょう。
24 :
通りすがりの芸大OB:2001/01/27(土) 15:14
>22そう思うのは芸術でもクライアントにあたるものはギャラリスト
であったり、美術館であったり、など仕事としてやっていくのであれば
当然あるんですよ
仕事としてやっていくならそうですよね。
だからそれを僕はデザインだと言ってるんですよ。
あなたは”違う、芸術だ”と言われるかもしれませんが。
僕は芸術とは仕事にできない物だと思ってますし、基本的に金になる物ではないと思います。
ちなみに僕は発表と言う概念すら芸術には必要ないとすら思ってます。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/27(土) 15:15
自分で書いていて、矛盾してる文章だ・・・(鬱
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/27(土) 15:17
↑これ23です。スマソ。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/27(土) 22:53
つーか、バカガキの歌手が「私はアーティストですから」なんて言ってるのを
聞くと、ミンチになるまでぶん殴りたくなる。
おれもミュージシャンをアーティストと呼ぶのはめちゃくちゃ
抵抗を感じる。クリエイターという言葉も嫌い。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/27(土) 23:59
>27
それはヤグチでしょ?違う?
メチャクチャ同意。
30 :
elcrmcr:2001/01/28(日) 06:49
(この手の話題に触れると、二度とこの板に出て来れなくなる気がする。)
さて。
「デザイン」って、何らかの「プロダクト」(広告媒体であったりとか、
製品であったりとか)に必ず付帯するものだと考えます、それがどんな
に見るに堪えない ?デザイン無きデザイン? ようなものであっても。
「芸術」における「作品」というのは、そこに作家の何らかの思想や意
図が埋め込まれていて(これは理想的な意味でのデザインでも同様です)、
尚且つ、それまでの美学や美術史的な系譜といったコンテクストをどう
読み解くかという点も埋め込まれている必要があると思われます。「芸」
術と呼ばれる由縁の一つかもしれません。
ただ、「上記において芸術の要素として述べたこどが当てはまるデザイ
ン」が存在しているのも事実で、そうなってしまうとデザイナー(and/or
作家)自身がどのように自覚しているか、が問われることになるのでは
ないでしょうか。
とりあえず、「デザイナー」であるのか、芸術の「作家」であるのか、
自身のスタンスをどのように決定しているか、が最も問われるべき点
ではないでしょうか。
しかし、これを言ってしまうと、
>>27 >>28 のようになんでもかんでも「アーティスト」と名乗ってればいいのか?
という話になってしまいます。去年のことになりますが、吉本隆明氏が
「最近のテレビに出てくる若いタレントや歌手の人で、『家にいるとき
は、詩を書いています』などという人がいるが、それは『詞』であって
『詩』ではない。」と、とあるシンポの席上で話していました。モーニ
ング娘。がアーティストか?と問われると、もちろんその答えは否にな
るわけで、「何故、モーニング娘。の某嬢が『私はアーティストですか
ら』といっているにも関わらず、アーティストたりえないのか」という
という問いの中に、もしかしたら芸術の絶対条件が見つかるかもしれま
せん。
#なんか、とてつもなくいい加減なことを言っている気もする。
31 :
>>11:2001/01/28(日) 23:26
なんでこのスレの反論にレディメイドが出てくるか全く理解できん。
32 :
11:2001/01/29(月) 00:32
>>13 >いうまでも無くデュシャンもウォーホルも村上隆もジェフクーンズ
>も、デザインではありません。
そう簡単に割り切るところをみると、あなたはよく知らない
のでは?例えば、デュシャンは「芸術」における、手仕事、
一回性の概念を壊してくるわけだし、ポップ・アートも、近
代デザインという概念の否定の運動として、語られることが
多い。
>作者の目的
その「目的」が、そもそも曖昧なわけでしょ。
ところであなたは、ウォーホルの作品として、シルク・スク
リーンのものを思い出しているかもしれないが、(ちなみに
シルク・スクリーンが当時、一般広告の印刷手段のきわめて
常套的なものだった)他にも、ほとんど制作手段、コンセプト
がデザインと呼んで差し支えないものがあるのをご存知?
(例えば、「雲」と題された風船)
もしあなたが未だに、「ポップアートはポップアート。デザ
インはデザイン」と思って、アートの至上性(或いはその
categorization)を信じているなら、それは彼らの「芸術」
を理解していない証拠でしょう。彼らはまさしく、あなたが
信じているところの「芸術」観に対して、揶揄し、嘲笑し、
攻撃しているのだから。
>>31 レディ・メイドって何か知ってる?
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/29(月) 00:40
>>ポップ・アートも、近代デザインという概念の否定の運動として、語られることが 多い。
そうか?
34 :
11:2001/01/29(月) 00:54
>>33 ポスト・モダニズムの中で、特に記号論的側面からだけどね。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/29(月) 00:59
ポップは産業デザインを「対象」としただけで、そんなくっきり肯定とか否定とか
いえるわけではないと思うが。
まあ見る側がウォーホルやリキテンスタインをデザインとみる分には
かまわんとおもうけどね。
36 :
33:2001/01/29(月) 01:11
「近代的なデザイン」って「モダニズム」のこと指してたのか?
35のレスとダブってしまうけれども、モダニズムのデザインにだってそれなりの理論的支柱
が存在している。、こと、デザインに関しては、ポップアートは「モダニズムの概念の否定」
とは思わないな。
37 :
11:2001/01/29(月) 01:18
>>35 >そんなくっきり肯定とか否定とかいえるわけではない
それはウォーホルやオルデンバーグの話。リキテンシュタイン
なんかは、かなりコンセプチュアルだし、その萌芽と見て良い
ネオ・ダダなんかもその傾向が強い。
>デザインとみる分にはかまわんとおもうけどね
だから、そのデザイン(と芸術)の定義そのものが、曖昧
になってるんだって。そういうスレッドなんだけど。
38 :
13:2001/01/29(月) 01:19
複製時代の新しいアートの創造という意味でポップアートの
「目的」は明白だと思いますが。また、近代デザインの否定の運動
というよりはあくまで「芸術」の側からの皮肉だとおれは思うけどね。
ところでもし本人たちがその「目的」の部分で言葉を濁しいたとても、
彼らの作品はやっぱり「芸術」の文脈で評価してこそ、意味あるわけであって
デザインとしてみたらほとんど価値のないものだと思いますが。
39 :
11:2001/01/29(月) 01:20
ん?ポップ・アートは普通、ポスト・モダンに含められる
(というかその走りとして)のは知ってる?
40 :
11:2001/01/29(月) 01:24
>>38 だから、その「芸術」の定義は?どこで線引きするの?
それ自体が曖昧(というかナンセンス)になっている
わけでしょ?
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/29(月) 01:25
普通じゃねーよ。ポストモダニズムが流行ってた時代に、なんでもかんでも
「反近代」というキーワードでくくってただけだよ。ポップだろうがなんだろうが。
42 :
11:2001/01/29(月) 01:30
ポスト・モダンが「反近代」だって・・・・・無知だね。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/29(月) 01:34
なんだよ、自分が、近代デザインという概念の「否定」って言ってたんじゃねーか。
俺だってポストモダンの直訳に「脱」もあるってことくらい知ってるわい。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/29(月) 01:45
つーかさ、「ポスト・モダニズムの中で、特に記号論的側面から」みて「ポップ・
アートも、近代デザインという概念の否定の運動として語られることが 多い」って
主張してる訳なんだろ?11は。俺がそこから「反近代」を読み取ってなんで「無知」
っていわれなきゃならねーんだ?これじゃ議論が成立しねーぞ。ちゃんと説明しろ。
45 :
13:2001/01/29(月) 01:47
11はとりあえず自分の発言の矛盾を棚上げしないように。
線引きがナンセンスというのは乱暴すぎると思う。
それは、先端の視覚表現としてのグラフィックデザインや映像作品
と、おなじく視覚表現としての旧来からの「芸術」との境界に
限ったことだと思うが。
46 :
11:2001/01/29(月) 01:50
"postmodern"は「モダン後」という意味しかない。これは
巨視的に見れば、一方で近代の合理主義的精神に対するアンチ・
テーゼという側面を(表面的ではあるが)持つが、むしろ
「近代」の枠組みに収まりきれなくなった現状に対する便宜的
な呼称でしかない。今日ではポスト・モダニズムもモダニズム
の一つの形である、という見方が一般的だと思うけど?
その意味において(20世紀初頭からのパラダイムを超える)、
ポップ・アートはポスト・モダンに含まれるわけで、別に当時
だけでなく、現代の研究でもそう考えられているけど?
どうでもいいけど、デザイン=意匠だと思ってない?だとしたら
デザイン史なり、論なり、それ関係の本をもう一度、読んだ方が
いいよ。議論はそれから。
47 :
11:2001/01/29(月) 01:52
まあ、ナンセンスは言い過ぎたね。
>先端の視覚表現としてのグラフィックデザインや映像作品
>と、おなじく視覚表現としての旧来からの「芸術」との境界に
>限ったことだと思うが
??
48 :
33:2001/01/29(月) 01:57
>>46 それじゃ「なんでもかんでもポスト・モダン」論の典型じゃねーか?
あと「ポスト・モダニズムもモダニズムの一つの形である」という主張なら何故「レイト・モダン」
を使わない?
49 :
35:2001/01/29(月) 01:57
ポップは近代うんぬんじゃなくてアメリカ的大量消費社会にたいする
批評行為だろ。
だから作者は作品そのものが消費社会の輪の中に取り込まれてそれ自体が
消費されて還元されること自体最初から予定済みだった。
だからポップアート自体をデザインととらえても間違いではないといっているのだ。
ただそれをアートにかかわるものが言っちゃだめ。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/29(月) 02:01
「ポスト・モダン」は実際にはモダンの取りこぼしてきた部分あるいは
モダンの否定してきた部分を再評価する取り組みだった。
「レイト・モダン」は今の所基本的にはモダンの延長行為にすぎない感じもある。
51 :
33:2001/01/29(月) 02:05
なんか言葉遊びだけで、何が主張したいのか全然わからないんですけど。
52 :
11:2001/01/29(月) 02:10
>>48 なんか、頭悪そうだね。君とはもうやんないよ。一応答えて
おくけど。
>それじゃ「なんでもかんでもポスト・モダン」論の典型じゃねーか?
そう言われてるのだから、しょうがない。
>レイト・モダン
あのねー、「後期」だとか「前期」だとかっていうのは、
未来から眺めて、その時代が完全に過去になって、見とおしが
きくようになった時に、初めて史学者がつけるの。じゃなきゃ、
どうして、今がモダニズムの後期にいるってわかるのよ?
平安時代後期の人間が、今は後期だ、なんてわかる?
ポスト・モダンはルネサンスと同じく、一種のマニフェスト
なのよ。自分達は明らかに違う時代にいるぞっていう宣言。
それから、時代が少したって、冷静な目でみたら、モダニズム
の延長上にいるってことがわかったんでしょ。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/29(月) 02:12
なんで、レディメイドがデザインにからめて語られなければ
ならないのかよくわからない。
54 :
33:2001/01/29(月) 02:15
「そう言われてるのだから、しょうがない」か・・・
なんか人生で何番目かに無駄な時間を費やしてしっまったようだな・・・
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/29(月) 02:15
>>52 >それから、時代が少したって、冷静な目でみたら、モダニズム
>の延長上にいるってことがわかったんでしょ。
そんなわけがない。ポストモダンが言葉の定義はともかく実際には
ほぼ「反モダン」だった。
チャールズ・ジェンクスの「ポストモダニズムの建築言語」をよめば
あきらかだろう。
56 :
33:2001/01/29(月) 02:18
そーだよな「ポストモダニズムの建築言語」って70年代だぜ、確か・・・
57 :
31:2001/01/29(月) 02:23
>>53 それは、おれもいったんやけど、「きみレディメイドしってる?」
とか、ふざけたこといわれたし、ロムにてっすることにした。
58 :
11:2001/01/29(月) 02:23
>>55 だーかーらー。一種のマニフェストだったって言ってるでしょ?
当時のポスト・モダニズム側の人間は、そう書くでしょうよ。
無論、反モダニズム的性格は持っているわけ(良く読んでよ)。
しかし、今から眺めてみれば、新しいパラダイムと言うよりも
その一変形であったってとこ。
59 :
53:2001/01/29(月) 02:26
レディメイドって美術作品はなにをもって美術作品たらしめているか
という問いかけに対するメタな表現行為だろ。
どこにデザインの関係がでてくるのよ?
60 :
11:2001/01/29(月) 02:27
とこ→こと
61 :
33:2001/01/29(月) 02:29
だーかーらー。一種のマニフェストだったって言ってるでしょ?
当時のポスト・ゴシック側の人間は、そう書くでしょうよ。
無論、反ゴシック的性格は持っているわけ(良く読んでよ)。
しかし、今から眺めてみれば、新しいパラダイムと言うよりも
その一変形であったってとこ。
例えるなら、11は「ルネッサンス」をこう論じているようなもんだな。
62 :
55:2001/01/29(月) 02:35
>>58 ポストモダンのパラダイムはモダン以前の象徴主義、アーツ・アンド・クラフツ運動
あるいはアール・ヌーヴォー等の装飾主義からの延長行為であってモダンの一変型では
ないとおもう。
結局モダンのパラダイム以上に強力なものではなかったということやね。
63 :
11:2001/01/29(月) 02:36
>レディメイドって美術作品はなにをもって美術作品たらしめているか
>という問いかけに対するメタな表現行為だろ。
その通り。
>どこにデザインの関係がでてくるのよ?
18世紀にデザインと芸術が差別化を図られた契因、原因、
理由に、正にデュシャンのレディ・メイドの呈する問題は
深く関わってくるの。君は、その理由もしらないでしょ?
だから、最低限の知識をつけてから、議論に加わるべき
だとは思わない?授業料、払ってくれるなら、一から説明
するけどねぇ。
だいたい、デザインの芸術が分かれた背景もしらないで、
どうしてあれこれデザインと芸術の問題について書けるわけ?
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/29(月) 02:41
>>63 そんな謎かけみたいな文章で煙にまこうとするとはね。
そこまでいうんだったらちゃんと説明すれば?
65 :
11:2001/01/29(月) 02:45
>>62 象徴主義は18世紀の理性の時代から、ロマン主義を経た反動でしょ?
それとポスト・モダンが似たものを持っていたって当然でしょ。
(じゃあ、モンドリアンはどうなんの?)
>アーツ・アンド・クラフツ運動、あるいはアール・ヌーヴォー等
どちらのモダニズムの走りでしょ。デザイン史で近代のページ
を開いてみれば?
>>61 ルネサンスはミシュレが用いたのが最初だが、そのもとは
「リナシテ」(再生)。この「再生」という意識がイタリア
にでたのは14世紀、ダンテの時代。今日からみてダンテは
中世人でしょ。
66 :
33:2001/01/29(月) 02:47
>>64 「産業革命」だろ、謎かけにもなってねーよ。
俺はもうこれ以上無駄な時間は使えねえから落ちるよ・・・
67 :
55:2001/01/29(月) 02:50
>>62 そんなこといってるんじゃない。
>しかし、今から眺めてみれば、新しいパラダイムと言うよりも
>その一変形であったってとこ。
これに対してポストモダンがモダンと分節されたものであった
ってことがいいたいの。
なんか話ぜんぜんかみあわないんで寝るわ。
68 :
11:2001/01/29(月) 02:50
>>66 やっぱり知らないようだね。新古典主義だよ。
勉強してからおいで。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/29(月) 02:55
「モダニズム」「18世紀」と来て「産業革命」じゃなく「新古典主義」か・・・
すごい奴だ。うん。すごい。
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/29(月) 02:58
なんか11って適当なキーワードだしてるあいだに
必死に美術史資料よんでんじゃないかな。
71 :
70:2001/01/29(月) 03:06
>なんか11って適当なキーワードだしてるあいだに
>必死に美術史資料よんでんじゃないかな。
ごめん。言い過ぎた。レディメイドから「新古典主義」ときたら
理解不能だわ。さよなら。
72 :
13:2001/01/29(月) 13:56
なんか11の煽りで話しが必要以上にでかくなっているようだけど、
つまり、デザインと芸術が分離される契機となったのが新古典主義でその後モダニズムを経て複製芸術を源流とするポップアートの登場によりデザイン側がそれを利用することによって表現としての自律性を獲得して、アートとの境界線があいまいになったということでいいのだろうか。
あと、新古典主義がどうして分離の背景となったのかはオレもよう解らんので説明してくれるとありがたい>11
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/29(月) 14:17
>>63 >だいたい、デザインの芸術が分かれた背景もしらないで、
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
ちょっと笑った。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/29(月) 14:22
デザインと工芸をどう定義してるんですか?
75 :
55:2001/01/29(月) 14:47
>>65 >どちらのモダニズムの走りでしょ。デザイン史で近代のページ
>を開いてみれば?
そんなこといったら原始美術から現代美術までつながっちまうだろーが、ゴルァ。
装飾と手工芸がモダンなわけがないでしょう。アーツ・アンド・クラフツはアーツ・アンド・クラフツ。
アール・ヌーヴォーはアール・ヌーヴォー。モダンはモダン。
76 :
55:2001/01/29(月) 14:51
>>68 >やっぱり知らないようだね。新古典主義だよ。
11はあまのじゃくだから「社会主義革命」とでも言うのかと思ったのだが。
「新古典主義」とは。11はアートの視点からしか歴史を評価できないのか?
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/30(火) 22:49
いい感じじゃん
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/06(火) 20:09
age
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/07(水) 01:24
>76
ここでは視点をはっきり持つことが大切なんじゃないの?「新古典主義」とくることに
異論はないし、ジャンルとして狭めることで他のものとの接点が見えてくるのが常套手段
でしょ、76のあげあしとりは意味ない。
>30
例で吉本隆明の話しがでてくるけどまったく的外れだね、アイドルがインタビュー
で「家では詩を書いています」って言うのは単なるアイドル自身のイメージ戦略でしょ、
そんなことに「詞であって詩ではない」なんて言うは表面性を無理に読み説こうと
する吉本隆明が馬鹿。それを例にだす30も同じ。
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/07(水) 01:54
>「新古典主義」とくることに異論はないし
まじでイッテンノ?
新古典主義とレディメイドの接点だよ?
マジで、説明求む。
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/07(水) 01:56
zeroはいまどうしてるのかな
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/07(水) 02:16
>>80 新古典主義とレディメイドとデザインと芸術の差別化の接点だよね。
11いなくなっちゃったしもうどうでもいいが。
>>79が「新古典主義」とくることに異論はないんならあとを引き継いで
説明してくれよ。
83 :
まんこ:2001/02/07(水) 02:20
うわぁ、難しくてわからんけど、
量産品はデザインで、単発はアートじゃないのかぁぁぁ
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/07(水) 02:28
「デザインの復興とその概念の破壊」みたいな線で、
つながってるんじゃない?ちがう?
85 :
79:2001/02/07(水) 02:46
>80
簡単にいうとシュミレーションの問題なんだけどさぁ、お前みたいな勉強不足の
人にどこまで説明すればいいか解らないんだよ。当時急激に増えた中産階級層にた
いして供給された家具などに顕著なんだけどさ、当時まだ手作りであったにもか
かわらずそこには「新古典主義」が目指したというより欲したイメージの反復
が見られるんだけど、それが後の急激な複製時代への入り口になるんだけどさぁ
そのつらなりを感じとっていたことからレディメイドという概念が成立すること
をデユシャンは解って予言的に使っていたんだよ。
だからこそジェフクーンズがロココ調の彫刻を作ってたりしてるんじゃん。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/07(水) 02:58
>86
おまえの言ってるのは椹木野依(笑)のシュミレーション(笑)でしょ?
シュミレーションか。おもしろいな。
その煽りかたをみると11が戻ってきたみたいだな。
芸デあたりじゃ、シミュレーションを趣味レーションと書いていても
突っ込みいれるレベルじゃあないのね。プ
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/07(水) 13:47
染ュレーションかぁ〜、あなたはどこが寝ぐらなの〜?
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/07(水) 19:13
サワラギ読んでアートとデザイン解ったつもりになってるやつは
ある意味すごいよ。うん。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/07(水) 19:50
イメージの量産という現象を、アートの方法論として、意図的に
シミュレーションしたのがレディメードだったわけね。
その観念を軸にしていけばポップアートにもつながってくるわけだ。
それはわかった。
そこでスレの主旨に戻ると、アートの一方法論として発明された
シミュレーショニズムが、デザインや文学、音楽等の方法論として
利用されてゆく過程で(サンプリング、カットアップ)それらは
どんどん陳腐化、マンネリ化してゆくよね。この現象って、
アートとデザインの関係を、常に象徴するもののような気がするん
だけど。新しいものをアートが発明し、デザインがそれをぱくる。
この関係って、この先もずっと続くと思うけどね。まだまだ書きたい
ことがあるのだけど、読みづらくなるのでこの辺で。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/09(金) 02:03
age
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/09(金) 12:57
age
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/10(土) 16:59
age
自分が好きなの作れば芸術。
他人が好きなの作ればデザイン。