そうだよキモイコテはロフトワークに行って戻ってこないで欲しい
もう来るなよ
他板に一人で会社を立ち上げてグラフィックデザイン、装丁からご用聞きまでやってる人がいるよ
キリエもがんばれ
454 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/03/10(土) 17:53:57.31
芸術論って一般的にどんな本がでてるの?
455 :
ゲッパリラ天皇:2012/03/13(火) 09:46:37.39
芸術は死んだ
確かに死んだ気がする。
僕は芸術が何なのか知ってるよ
ジミーは神、たいぞうはゴミってのが判れば問題ない。
そんなのも解らん奴らが多いから二科展なんぞが生き延びてる。
エロゲーの立ち絵と変わらんフェルメールに群がる池沼も同類。
マチスの様な線が書きたい。
ジミーの様な色を出したい。
そんな絵柄の、脳に刺さる様なエロ絵を見たい。
脳に何かが刺さってるのはお断りですが。
459 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/04/09(月) 03:24:10.07
日本で奇抜な物事みて「これはアートか、芸術か」みたいな議論してるのって
その辺で喧嘩してる奴みて「いまのは柔道なのか空手なのか」みたいな議論
してるのと同レベルだと思うんだよね
460 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/04/10(火) 18:17:14.70
犯してくれ
アートという知覚を知性ととらないのが日本の体質だからな。
変なの、で終わり。あれこれ聞くわりには「よくわかんない」で完了。
探究するより指導されるのが好きな国。
アートとか言い出すとだめだわこの国は。
463 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/05/05(土) 02:32:22.47
「芸術とは何か」っていうのは、「芸術家とは何か」という方面から解明していったほうが答えが出やすいと思う。
464 :
463:2012/05/05(土) 02:35:07.92
で、ボードレールは「悪の華」の最初のほうの詩篇で、芸術家の誕生と悲惨、栄光を記している。
まあ芸術とは爆発ではないことはたしかだろう(笑)
しかし日本人は芸術とデザインの違いすらも分からないからな
466 :
芸術家:2012/05/16(水) 22:22:54.22
芸術を芸術たらしめるのは個人の感覚のみ。よって芸術とは何か?と言う問いは成り立たない。
467 :
ハム☆スター:2012/05/20(日) 00:04:34.02
個人の感性を思いっきり表現したもの。
医療を医療たらしめるのは個人の感覚のみ。よって医療とは何か?と言う問いは成り立たない。
芸術とは商品である。
470 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/05/22(火) 07:35:15.04
まんじゅうをまんじゅうたらしめるのは個人の感覚のみ。よってまんじゅうとは何か?と言う問いは成り立たない。
薄毛を薄毛たらしめるのは個人の感覚のみ。よって薄毛とはどこからか?と言う問いは成り立たない。
472 :
芸術家:2012/05/23(水) 06:06:42.42
473 :
芸術家:2012/05/23(水) 06:10:11.92
芸術≒薄毛
童貞を童貞たらしめるのは個人の感覚のみ。よって童貞とはどこからか?と言う問いは成り立たない。
475 :
芸術家:2012/05/23(水) 14:36:36.40
>>474 童貞の定義は一つに絞られるため、それは違う
476 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/05/24(木) 00:26:20.27
ある程度の縁故と継続性のある自惚れに基ずく極まった感(勘違い)
能無しであればあるほど良いと思われる。
変な学とかつけると、金儲けはできなくなるもの。
477 :
芸術家:2012/05/24(木) 06:35:22.27
↑意味分からん。
>>476 とりあえず、俺様は学があって有能だと言いたいんだろうね
典型的なルサンチマン浸りだと思うが
>>389 本当にそう思います。
そうなんだろうことに気付くのに10年かかった。
482 :
476:2012/05/28(月) 02:35:59.62
>>476 だけれど学なんてないよ。
私は美大はおろか専門教育も受けていないでこの業界に潜り込んだけれど、
はっきりいって仕事として関わるのならば「縁故」がすべてだと素人感覚で
思っているよ。そんな風にしか見えない。
世間体で言えば胡散臭い団体や皆も知っているような縦割りの権威機構も
マネーフローとしては現状維持に終始させたいのが現実だよ。
海外と比べるとプライマリーやセカンダリーとか持ち出す以前の業界体質
だと思う。
縁故と権威へのお行儀のよさがなければ、
まあ、美大出であろうが専門出であろうが趣味の嗜み程度でどうぞって感じ。
現役で内外の事情を見ているバイヤーからすると、
>>461 の視点が妥当だと思われる。
日本でアーティストやりたいんなら学生時代から学内外で縁故をつくって、
卒業後にはサラリーマンアーティストってのが生きやすくはあるだろうねえ。
んだから、アーティスト側とキュレーターやギャラリスト側の「芸術」の
捉え方には温度差が激しくあるんだよ。
特定勘弁なので、あえて抽象的に語ります。
実情を語り出したら終わりだしな。
484 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/05/31(木) 22:38:19.08
日本には現代美術のマーケットはない。
バブル時に行政によって建造された箱物の美術館の購入枠や不勉強なキュレーターたちの偏った趣味嗜好で選ばれる作家が成功者であり、美術館からの作品購入の対象者であり、そして、『美術手帖』を飾る作家だ。
彼らに若い美大生達は憧れ、そして目指し、模倣してゆく。
そんな曖昧な美大生のニーズに合わせるようにして、『美術手帖』は編纂されたりもする。『美術手帖』に西欧の実態もリポートされたりもするが、日本式サブカルの美意識の立ち位置から見た傍観者的な視座での切り口がメインだ。
(中略)
自家発電の仕組みとして、どんどん美術系の学校が増え、その学校の学科を埋めるために先生という雇用口が生まれ、そこで美大生を生成していくフローが繰り返される。
作品が売れる、という現代美術のマーケットは日本にはない。
客は西欧にしかいない。これが実態である。
であるならば、その客への対応が必然であるはずだ。
http://gallery-kaikaikiki.com/nightmare/category/statement/から引用
西欧と、アメリカね。
ほんとそこにしか市場はないよね。
日本には日本にしかない市場があるので、
そういうことをやってったほうがいいよね。
>>485 工芸はぎりぎりいけそうなんだけどね。
手工芸や細工師モノ。
少しずつ盛り上がると思う。
487 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/06/01(金) 11:21:50.77
山から猪を引っ張り出してきてどんぐりで太らせてから
適度にカットしてとんかつにすること
488 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/06/01(金) 15:12:48.00
489 :
ゲッパリラ:2012/06/07(木) 22:59:54.55
アートの持つ営利機能は三つ
「大脳の鍛練」
「可能性の提示」
「非社会能力者の救済」
490 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/06/08(金) 12:59:34.95
ハローワークみたい
491 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/06/09(土) 17:29:58.88
さあ、創ろう!御託はいい。
語るより、まず形造ることだ。
492 :
ゲッパリラ:2012/06/12(火) 04:41:09.54
芸術家が社会的地位を求め始めたら人類は終わりだ
食えれば
芸術を商業と交えて当たり前のように語るのはつまらなすぎる
古今の芸術家にはパトロンが憑いていたし、為政者から発注される事がステイタスだった
そういう文化圏であれば自然だけどね。
この国にはないからね。
497 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/07/09(月) 00:20:03.20
498 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/07/13(金) 20:48:28.74
特殊な例だよ
何日か前の新聞に自称・村上隆のパトロンの話が載っていた
「自分は世界一のゲージツ家になる」と宣言して
絵を押し売りしてきたので350万ほどで何点か購入
道楽で購入ったので手放す気は無いとの事
>>500 それって意味的にパトロンとは違うんではないかな。
小口の贔屓客・好事家じゃなくて大口で買い支えてくれる後援者の事だよなやっぱ
>>492 良く解ってる人だな
作家=金持ちって発想自体、張り子のアート関連メディアや大学で刷り込まれた幻想だね
ロールモデルになる芸能人もいたっちゃいたけど、バブル限定でしょこの国では
金になるから物つくるなら製造業へどうぞ
作家になるより遥かに安定高収入確実
それでも作んなきゃって人は売れる売れない上手い下手関係なく本物だと思う
それが馬鹿か作家かは知らないが
金持ちの子供が芸術やると、周りの金持ちのお知り合いの人々があれこれとやってくれる。
それが結果としてこの畑に根を張ってくる。
506 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/07/17(火) 23:20:21.53
あg
誰だっけ?ブラックホールに吸い込まれた奴
508 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/07/20(金) 17:39:20.08
ガムに爪で顔をかく
それが芸術だと言っていた
子供がね、そこらへんに擦り付けられたガムに
爪で^v^って引っ掻いて顔を作る。
それが芸術。
大人が真似してそれを有難がるものとも
商業的価値を見出して承認欲求の道具にするのとも違って、
ただ顔をかく行為。
それが芸術だ、と。
子供の頃は天才少年、天才少女みたいにちょっと特技あるとちやほやされるのに、大人になって同じことしても相手にされなくなるね。
なんかガムの顔の話あるけど、これは芸術がどうのというより、大人から見て単に可愛げがあるか無いか程度の話じゃないの?
「結局ゲージツなんてこんなもんよ」という言い様の長期的有用性を示してくれているね、みなさん。
>>510 ああ、トマソンの提唱者が面白がってたヤツね
>>511 そういうこととはちょっとちがくて。
例えば虫なんかは本能のままに生きてる限り。
けれど知能を持ったカラスは虫とは違って、生きる為に不必要な「遊び」をする。
電線にぶら下がって落ちては、地面ギリギリで飛んでみたり、
濡れた路面をひっかいてなにかを描いたり。
子供も同じで、ものをつくる。
ステイタスや媚びに濁されない欲求のままに。
それを見て我々が訳も分からず「美しい」と感じる。
日の出や夕陽を見て、圧倒的な美しさに打ちひしがれるように。
そこいらに落ちている石と芸術は等価値。
逆を言えば石は芸術を含む。
そういう感じ。
日本人は主体性がない。その現れとして、
自分の感性に則ることを避ける。
そうした人間は芸術と向き合うことを極度に怖れる、どうしてか。
感性的主体を要求されるからだ。
517 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/07/27(金) 22:26:51.82
「ぼくはね、花を持ってて、毎日水をかけてやる。
火山も3つ持っているんだから、7日に一度すすはらいをする。
火を噴いてない火山のすすはらいもする。
いつ爆発するか、わからないからね。
ぼくが、火山や花を持ってると、それがすこしは、火山や花のためになるんだ。
だけど、きみは、星のためには、なってやしない…」
518 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/07/27(金) 23:41:32.41
>>516 (海外に比べて)日本人は〜みたいな語り口は嫌い
まあ一理あると思うんだけど、芸術が「感性的主体」で成立していると言い切るのはちょっと苦しいんじゃないかと思うんだ。
例えば知人、友人に真っ黒なキャンバスやら便器といきなり対面させられて、感想を求められて当惑したであろう人の立場を一度考えてみて欲しい。あれは本当に感性に則って選別されて置かれている物なのか。
その考え方自体主体性がない、芸術はあくまで各々の主観で判断するべきもので、誰がこれを芸術と呼んでいてもゴミはゴミだと云々、みたいな話ならいいや。
>>514 石に美的なものが含まれるわけじゃないぞ
人間の「行為」があるかどうかで「美」が顕れる
520 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/07/28(土) 21:18:44.56
なにいってんだこいつらw
ここの皆さんは美術とは何か語ってるけど、もちろん美術品はコレクションしてるんだよね?
作家にとって本当に有り難いのは作品を買ってくれる人だよ
自分の生活や作品を生かす場を与えてくれる人と、只の感想とじゃ雲泥どころの差じゃないっす
どんなに褒められようが作品買ってくんきゃ意味ないんだよね
買う手がいなきゃ美術そのものが存続してない、キレイ事で腹が膨れるならだれだって作家になれる
美術とは何か以前にさ、美術云々語る資格をここにもってる人がいるのかな
作家にとっての美術とは何かってのは自分の作品で発表だし、語る必要なんてないしさ
>>521 じゃあ評論家や何処ぞの美術館の学芸員諸氏は自腹切って作品購入してるのかい?
連中が単に迎合してるスピーカーに過ぎんというのなら構わんがね
売れる売れないが唯一の基準では無いだろうし
それに抗った作家はいくらでも居る
>>522 だからそういう人達が偉そうに評論してるの意味ねーって言ってるの
飯食えなきゃ作家は作品もつくれないですよ
バイト生活しながら良い作品なんてムリムリムリムリカタツムリです
クオリティの差はどうにもうまらないんです
その程度の才能だってことですね、分かりました
ああ、勿論、運や出会いってのもあるね
作品も売れないバイト生活作家と
売った作品で生活してる作家との差はでかいだろw
普通に考えて
527 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/07/29(日) 20:01:42.66
つべこべ外野がぬかしたくなるから芸術ってことなんだろうな
誰の美学理論か忘れたけどより多様な影響を与えられる作品がより美しい
みたいなのあるよな
あれだよあれ
日本の古くから続いている美術は術抜きに語れない素晴らしい芸術が多いと思うが
こと日本の現代美術といわれるフェイクアートは教えてた人たちも良く消化出来ずに
アンチテーゼとしての機能や、アートがアートとして機能しているかがすっぽり抜けていて
ただのエンターテイメントを良しとしてきた
影響だけならこの間のチ◯ポ食いも中学生の自殺も芸術といえてしまう
少なくても術の部分が抜けてたらそれはただの芸だと思うね
馬鹿の教えを守ると馬鹿になりますよ
529 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/07/30(月) 06:16:38.52
昭和の左翼みたい
>>528 語源からもそういった部分が芸術、美術には大事ですね
少し前にもエンターテイメントと芸術の違いを指摘してた人がいたけど
それは凄く重要なポイントに感じます
532 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/07/30(月) 19:01:47.68
中学生の自殺が芸だとは聞き捨てならない。ここで例として挙げるべきケースではないと思うが
俺も思った。
>>532話の筋とりちがえてない?
そういうこと言ってるんじゃないとおもうよ。
535 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/07/30(月) 22:46:51.14
そもそもアートに対して作った訳語を分析して術がないなら芸だなんざ、それこそ現代美術同様のこじつけ言葉遊びっすよ
日本語で
アゲコメ同一臭いが何かこまる事でもあるのw
538 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/07/31(火) 01:12:59.94
サゲコメ同一臭いが何かこまる事でもあるのw
age顔真っ赤だなw
と顔真っ赤っか
閑話休題してください
なんで上げちゃ駄目なの?
芸術は感性と哲学の昇華。
終了。
>>542 誰もアゲちゃ駄目なんて言ってないんだが
美の概念と混同して語るからややこしくなるんだよ
芸術の定義って、何者かの手によって行為が加えられたものに対して指す言葉?
そうだね
芸術って日本語においては芸の術そのまんまでは
大元のリベラルアートはラテンでartes mechanicae
機械的技術、自由人の諸技術という感じとwikiにある
たとえば、自然natureを見ることのみをアートとは呼びづらいけれど、人間の行為を通してそこに自然を見るのはアートと呼べる。
ね、もっぺん考えさせて
ルー大柴かよ!
>>549 なるほど、
人間の手が加えられたものの中に、
自然を見るのは、芸術という枠組みから外れるわけではないのか。
芸術って、自然の創造物の恩恵を頂かせてもらってるような感じなのかね。
>>553 あぁそれ、それを言葉にできなかったんです。
説明へたでごめそ
自然の模倣だけだがアートじゃない。w
1.5次創作
>>553 の同一くささと脳内会話だだ漏れ感はヤヴァい
自然natureからなんでそうなんだよw
いや594が俺だから違う。
というかおまえは来るな。
笑549ね。
>>560 あなたが自然natureさんなんですね(驚愕)
うん、で私が553ね。
自然ナチュラルは論理的な書き方じゃないけど意味分かるだろw
そんなカリカリすんなよ
>>562 自然natureの英語の部分は論理的云々を越えてこれが芸術なのだと言わんばかりの恥ずかしさです
中学生の様なフレッシュな感性が愛らしくて素敵です
あの様な稚拙な文章から多くの部分を読み取るあなたはまさしくネ申ですね
私も自然の創造物の恩恵を頂かせていただけるな芸術を創作するべく精進いたします
精神のあれだな
>>563は。
日頃から驚愕してるんだろうな。
芸術に携わる人は社会性、論理性に欠ける人は多いよ。
いちいち一般社会人と少し違くて分かりにくいところに反応してたら会話も何も進まないよ。
自然の模倣だけがアートじゃない、か...
けど訳もわからず「かっこいい」とか「美しい」とか感じる時って、
それは何なんだろうと読み解くと、
自然が作り出したものに行き着くんだよね。
567 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/08/07(火) 15:29:36.36
自然は美しい
という大前提は誰でも語るし、耳が腐るほどよく聴くわ
だからそれをもうちょっと突き詰めて考えてみる努力をしてみないか?
なんで芸術=自然なんだよ 勝手な価値観を押し付けんな 暑苦しい
ものの見方 美術
こういうテーマから考えてみてはどうだろう
>>568 ガウディの言葉を引くまでもなく、人間が生み出すものは自然からの翻案なんだけどね
芸術イコール自然ではなくて、
芸術の中にある美しさとは何かを顧みると、
もととなるのは、自然の創造物に行き着くんじゃないかな。
けれど、芸術イコール美しさでは無いんだよな。
醜悪さを感じる人間の創造物もまた芸術である。
あれは何なんだろ。
わざと人間の醜い部分を寄せ集めて作ったような、
暴力的な程のリアリズムに満ちた作品とかね。
とするとつまり芸術とはなんなんだろ、と思ったけど、
そこで
>>543なのか。
その人間が持つ感性、欲求、感情、哲学を何かしらの形で昇華させたもの、
それが芸術という訳なのかな。
付け加え訂正。
×何かしらの形で昇華させたmpの
○何かしら、人間の技術や知恵を持って昇華させたもの
西洋人という人間の生態的自然現象な気がする。
なのでアジア人の自分には理解不可能、以上。
アイウェイウェイ
____
/ \ /\ キリッ
. / (ー) (ー)\ そう、その通り。
/ ⌒(__人__)⌒ \ 感覚的な価値だけを追っていくから思想が完全に欠落している。
| |r┬-| | 故に自ら価値付けるところまで至らない。
\ `ー'´ / 全くガラケーとiPhoneの差異そのままです。
ノ \ あなたすごいですね。
/´ ヽ
| l \
ヽ -一''''''"~~``'ー--、 -一'''''''ー-、.
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
____
/ \ /\ キリッ
. / (ー) (ー)\ 美術、芸術が誰でもできる仕事なら
/ ⌒(__人__)⌒ \ まじめに芸術を志している学生に大変無礼です。
| |r┬-| |
\ `ー'´ / おっさん、あんたに美術をやってほしくない。
ノ \ もうしないでください。
/´ ヽ 本職のアーチストに支障がでます。
| l \
ヽ -一''''''"~~``'ー--、 -一'''''''ー-、.
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
そこかよw
577 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/08/18(土) 14:26:47.62
そんな皆さん、画廊、ギャラリーには行きます?
578 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/08/19(日) 03:16:23.35
たまにいきます。
どの辺りを巡りますか?ケチだから無駄足になるのが嫌で、どこの画廊に通うか迷っています、参考にしたいです。
580 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2012/08/19(日) 14:09:35.90
知人つながり、
ポスター広告ネット、
見たものでア行きたいと感じたもの、
好きな人の個展、ギャラリー、そんな感じ。
参考にならなさそうだな
芸術とは爆発だ。
>>583 人間の活動のなかでの爆発的行為でしょうね
http://rocketnews24.com/2012/08/23/242799/ 【善意が生んだ悲劇】80代の女性が勝手にキリスト壁画の修復を試みる → 絵が下手すぎて顔が別人に
http://sociorocketnews.files.wordpress.com/2012/08/fresco-photo.jpg 「善意で行う行動が、必ずしもいい結果をもたらすとは限らない」という教訓を教えてくれる、あるニュースが海外で話題
になっている。
スペインのSanctuary of Mercy Churchという教会には、画家Elias Garcia Martinezが約100年以上前に描いた「Ecce Homo
(この人物を見よ)」というイエス・キリストのフレスコ壁画があった。
しかしその壁画は湿気のせいで、18ヶ月前からぼろぼろ崩れ始め、徐々に元の姿を失いつつあった。地元に住む80代の一人
の女性は、それを見て、あることを決心したそうだ。
壁画の劣化を、ただじっと見ているだけなんてできない。修復しよう!
すると彼女は、塗料と筆を手に、自らキリスト壁画修復作業を開始。教会の運営者の許可もないまま、彼女だけによる修復
は着々と進められていった。そして彼女の修復がついに完了した時、それを見た人々は凍りついたという。
なぜなら彼女の絵が、恐ろしく下手だったから! 修復後の壁画には、元のイエス・キリストの姿はどこにもなく、そこには
まるで猿のような生き物が描かれていたとその壁画を見た人は言う。
この修復を行った本人も、さすがに「これはダメだ!」と気づいたようで、文化事業を担当している市会議員Juan Maria
Ojedaさんに連絡をとった。
そしてさらに悲しいことに、地元のカトリック文化財団「Centre for Borjanos」は、この壁画を描いた画家Elias Garcia
Martinezの孫から、壁画修復のための寄付金を受け取っていたことが判明。つまり、あと少しでプロによる修復が開始され
る予定だったのだ。
ワロタwww
絵なんてそんなもんなんだから諦めよう
588 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/08(土) 22:07:21.20
”芸術とは何か”そういうのを議論する事自体ナンセンス。
100人いたら100通りある。
無論、評論家なんか大嫌い。その道で成功できず挫折したたんなる偉そうなナルシスト。
この百数十年の美術史は”芸術とは何か”を考えてきた歴史でもあるし
それをナンセンスの一言で片付けるのはさすがに無理がある
それにその100通りの答えは全て同等なわけじゃないよ
だからこそ作家が提示したそれぞれの答えは色んな人間の目を経て優劣が決まる
>>588 >100人いたら100通りある。
貴方の言説もそのうちのひとつに過ぎない、という事ですね
人はそれを ゆとりズム と呼ぶ
「100人いたら」うんぬんは「言うまでもなくおれが正しいように他も正しい」としか言ってないのと同じ。
最近の日本ってこのテーマに限らず
なんでも人それぞれに結び付けて終わらせる傾向があるよね
思考放棄の言い訳に使ってるような奴が588のように自家撞着するんでしょ
「これが全体だ」もうざいが、「人それぞれだ」もうざいな。
その中で私見を述べることに価値があるのにな。
知ることを怖れてるのかな。
幼稚な例えで申し訳ない。俺みたいな素人が「この絵いいね」「この映画面白かったね」
「このジャケットカッコいいね」「このクルマいいデザインね」と感じたところで
それは間違った認識で、いわゆる「分かってる人」が「君、それをそう思うのは
間違ってるよ。その絵は悪い絵だ。理由を説明するから君は今からその絵を嫌いになりなさい。
それが客観的な感性で、真実なんだよ」と諭されるのが正しい世のあり方って事?
596です。すみません長すぎました…。つまり我々一般人が何かを見たり聞いたり
食べたりして、その感想を自由に言えなかったり、感じるままに何かを感じることが
許されないとなると、ちょっとつまらないな…と。
598 :
ゲッパリラ:2012/09/09(日) 16:53:36.23
横の争いは縦の争いよりもつまらない。大人数になればなおさらだ
>>597 ここでされてた話は個人の好みとかの話じゃなくて一般的な価値基準なんかの話だと思うよ
少なくとも近現代美術史で評価されてきた作家や作品には何かしらの基準があって
それを”個人の勝手”で済ませてしまうんじゃなくて、ちゃんと考えてみるのは大事だよって話だと思う
美術の場合他ジャンルと比べて分かりにくいから、答えなんて無いんだって考えてしまいがちなのかもしれないけどね
人が人としてあるためのすべ。
>>596 言いたいことちょっとわかるな。
ただな、
「いいね」では通用しないところがあるんだよとくに芸術かんでる業界は。
その内容物を僅かでも伝えないと、一般論を押し付けられる。
>>600 芸術を修めてないと人にすら在れないのか
そういうこと言ってんじゃないだろうよ。
ばかなの?
俺もそういう返しは求めてなかったかな
嫌な性格なのは分かってんだけどさ、どうにもこういう事言いたくなるのよ
意味を掘り下げて聞きたかったんだけど、面倒臭い流れになったしいいわ
なんかごめんね
605 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/14(金) 01:10:35.71
そうだったのか。
一応せっかくだから言っとく。
掘り下げて聞く手段がそれっていうのはさ、やっぱメンタリティ疑うよ正直。
本当にそう思うよ。
言葉は人格だよ、がんばろうぜ。
606 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/14(金) 07:06:40.42
>>602 逆。芸術ありきの人・世界ではなく、人であることで初めて芸術・世界が生まれる
人が生きることにおいて芸術・世界を切り離すことができないと言うこと。
電車内でいきなりオペラ歌われたら、大半の客は迷惑に感じるものだろ?
被害妄想さん、自尊心が傷だらけ…
609 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/14(金) 09:28:05.94
>>607 芸術自体を型にはめて考え過ぎ。何か装置や決められた型があるわけじゃなく
表現者とそれを観にくる人がベストマッチな場所、それが美術館なり劇場であるだけ。
迷惑にならないために美術館や劇場があるのではない。
どうでもいいが電車内でいきなりされて迷惑にならない行為を教えてくれ。そななかでオペラは何番目だ?
>>609 芸術はある程度型の一つとして考えた方がいいのでは?というのが持論。
ちょっと振り返って考えると、現代まで沢山ある物事の中からこれは芸術、いや違うと選び取って差別化されてきた訳だから、型がないと定義するのは少し無理があるのでは?
(太陽も美しい、儚い物も芸術。みたいな思想自体、いつの時代だかに文書化されて人々に選ばれ広まったから、今も共有できる訳だよね)。
他の物事から判別可能という事は、どうやら判別する基準、型自体はあるという事。
芸術に型はないと言い切ると、定義自体無意味なものになる。
芸術にはどうやら型はあるが、可変で掴みどころがない。程度が妥当かと
論点がどんどんズレていってる感じがする
型というから語弊があるが基準はあるよな
たとえば自ら作詞作曲はせず歌唱のみの、しかも全く上手くないような歌手まで
ひとくくりに「アーティスト」と呼ぶ風潮が少なからずあるが
あれも間違った芸術の使われ方であるとたびたび言及されている
>>609 飲み物を飲む(食べるが許されるかは人それぞれ微妙)
車内販売のおばちゃんの声
赤ちゃんの泣き声(俺は許す、諦める)
トンネルに入る時の衝撃音
独特な車内アナウンスの声
満員電車でおっさんの間でぎゅうぎゅうになる事(これを迷惑と言うのは流石に自分勝手、お互い様)
こう考えてみると、オペラ同様(別に獅子舞でも阿波踊りでもいいのだけれど)、日常で違和感ある物事でも、固有の場だから問題なく受け入れられるパターンも、車内にはあるみたい。
こうしてみると、場所、分野毎の慣習、ルールは割と大事だと思うな。
順位付けはちょっと無理
究極的には自らのメンタリティだな。
>>611 論点?
100人が云々の話?
それとも
自分が好きなものを芸術って言っちゃダメなの…?って話?
さっき誰かが争ってた、人格云々の話?
>>613 横やりだが、赤ん坊の泣き声はこの世の中でもっとも普遍で自然な事だろう
場所の問題じゃなくあんさんの認識の問題だ
>>614 無論、評論家なんか大嫌い。その道で成功できず挫折したたんなる偉そうなナルシスト。
↑これは流石にちょっと同意しかねるので無しです
>>618 ageてる人とsageてる人のそれぞれの論調からみて同一人かと思ったもので
失礼
そもそもこういうスレで議論するといってもそうそう多くの人間が常駐してるわけではないだろうし
>>617 時々怒るおっさんがいるんだよ、わざと咳払いしたり睨みつける連中とか。
俺は赤さん完全擁護してるよ。
言いたいことはわかるけど
そういう風に許せない人間の比率が比較的多くを占めるポイントは共通認識には至らないんじゃないか
劇場でオペラを歌い、その劇場内でやかましいとキレるやつは頭おかしい人間しかありえないけど
赤ん坊を疎ましく思う正常な人間はたくさんいることになるから
評論家という者の態度があれなだけで、
評論そのものはとても大事なことなんだな。
日本人は評論するのが下手だし評論されるのも嫌うね。
民族的体質なのかな。
芸術っていうのは、それが生まれ出ずる時には誰もが驚いて、またまだ誰も説明できないもの。
説明しようと評論を試みるが、それは芸術には決して追いつけない。
なぜなら芸術家が芸術を「考えて」作るんじゃなくて、芸術が「芸術家を通して」出現するから。
芸術とは何か、と定義しようとする事自体、芸術家には興味ないこと。
624 :
つくだに:2012/09/14(金) 19:21:25.69
表象とかやりはじめると描けなくならない?
左脳人間になると描けなくなるよ
>>625 art-ist はもともと職人だよなw
同義じゃないだろう。
cattちゃんなら分かるだろうに。
>>627 いや、アリストテレス的には「形而上学」の第一章で「棟梁は職人より上」で
経験より技術を上位に置いてるがそれ以前に同書では「経験家は経験なくして概念(ロゴス)を
持つものより成功する場合が多い」と経験智(ト・カト・ヘカストン:個別的な知識)を持ち上げてる。
アーチストというのはいつも個別的なものだよ。
技術というのは方法論を指すんだ。それをテクネーと言ったりする。
対する経験論は見下げられるものではないと述べているんだ。
そこでは概念的知性と経験的知性の対立が題材になっている。
棟梁というのは翻訳が難しくて、我が国のいうそれとは意味が少し違うんだ。
広くアーキテクトのことを呼んでいる。
>>629 簡単に言えば技術は経験に基づく時最強ということ。
だから芸術は芸術家を「通して」出現する。
出現したものを語る(概念化する)のは技術者(経験を持たない評論家)。
cattさんには、
草間彌生にさえ絵が下手だと言われ、評論家をしながら作家を目指し
最終的に作品自体は他人に依頼して作らせ
概念勝負で美術史にその名を残したジャッドなんかはどう見えるのかな
芸術には、芸術であるとしてその価値を保存する側がいるんだ。
すべて相対だろう?
例えば絵画作品はガラリエやオーナーに所蔵される。
それこそが文化なので、評論する側を切り離すことはできない。
これが西洋に沿うところの「芸術」なんだ。
>>624 絵に限らずものづくりに携わる人間と理屈人間は相性がよろしくないよね
右脳左脳の考え方は否定する人も多いけど感覚的には重宝する表現だと思う
でもcatt氏の右脳がショボイとは到底思えないよ。
哲学もある一線以上は右脳が必要になるのではとつねづね思う。
>>628>>630 頭でっかちに真に良いクリエイトはできないってことだね。
知識と体験がミックスされた人がどんな分野でも強いのは必然。
結局この世はミックスという概念を操っている人が最強だという風に思います。
人間がアクションを起こすために必要なからだの各部分
右脳と左脳、右目と左目、右耳と左耳、地声と裏声、右手と左手、右足と左足・・・
これらをすべてブレンドして扱うことができる人のことです。
元々人間はこの能力を持っていたとも言われますが、現代の人間で
そこまで使いこなしている人は成功者の中でも限定されるように思えます。いかがでしょう?
634 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/15(土) 08:02:46.39
ここで話されている芸術の定義が100億年後も存在可能と考えられるなら、それは普遍的で永久な芸術となりうるだろう
歴史や今ある社会通念の上でスポットライトを浴びている芸術のみが果たして残りうる価値があるものとして受け継がれるのだろうか?どうだろう?
今君が残すとするなら何を残すか?人が人である限り心を揺さぶるモノと向き合い、芸術家ならそれを表現するために命を削る。それで十分だ
芸術は保存ありきではないんだけどな。
保存するのは品評の側。
636 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/15(土) 09:47:34.43
ああそゆ話しね、誤解した。
たださ、それは状態を説明して「これでいい」としているだけで、スレの問題そのものには踏み込めなくなってしまわないかな。
638 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/15(土) 10:29:30.68
>>637 人としての存在証明を無視して芸術が何かを語っても意味がないと言うこと
芸術がこれから人にとってどのような存在になっていくのか自らの手で指示していくことこそに価値があって
歴史・現代史の中で生存するためだけの表現でたちまわり続けることに知恵を注ぐことほど虚しいものはない。
まあ、日本に哲学研究家は沢山いても世界的な哲学家はひとりもいない
ってのと同じだよね
>>638 虚しい気持ちは分かるが、生存出来ないなら存在すら出来ない。
まあでも歴史の中で生存するため「だけ」の表現では確かに足りないのは同意
>>638 なるほど、そういうことを考えていたのか。
芸術の中でよくよく芸術してるかぎりではその真価は見出せない時勢だね。
よく分かるよ、似たことでいつもどうしたらいいんだろうかと思考してるから。
いや、全然違う
>>623 だからトマソンって、凄いんだな
無意識のうちにゲージツするんだから
>>633 たとえば哲学者と言った時にプラトン・アリストテレス・デカルト・カント・ヘーゲル・フッサールあたりが
「偉大だ」と言われる以上に偉大な現代哲学者が見当たらないように、現代に偉大な芸術家はいない。
芸術が「芸術家を通して出現する」ように上記の偉大な哲学者達を通して哲学は過去に出現した。
そういう意味で「現代」のあれこれについて評価することは難しいしあんまり意味がないと思います。
>>642 単純な話、
>>634の言いたい事は分かるけど
>>588のはそれだけじゃただの暴論にしか取れない
今の社会や歴史が示す価値基準に囚われすぎてるのはよくないと思うけど、無意味だと切って捨てるのとは違うだろう
考えることを止めたらそれこそ人間であること、価値の放棄じゃないのか
>>638 過去の作品は「現存」するだけで価値(意味)があるだろう
縄文のビーナスやアルタミラの壁画の製作者の意図なんて、現代人に理解する事など出来ない
あくまでも現代人の解釈として芸術作品扱いされているだけ
中世以降になると宗教が絡むからややこしいが、
為政者や豪商のパトロンの求めに応じて制作された側面もある
>人としての存在証明
製作者の内面が作品にどう反映されているか、というのは現代的な視点
>>646 よく芸術家は死んでから評価される、みたいな事を未だに言う人がいるけど
昔と今では情報の広がるスピードが別次元だから一概には比べられないな
難しくても評価はすべきだし、嫌でもされるし、多分昔よりも速く妥当な評価が下されるよ
死ぬまで作品を発表しなかったとかでもない限りはね
>>649 うん。でも芸術家はさしあたって「他者の評価」ってどうでも良いんだよね。
問題は自分が見たい(音楽なら聞きたい)ものがそこに出現できているのかどうかだから。
>>650 今に限らず昔から、この世の創作物の多くは「他者の評価」と無縁ではいられないよ
勿論それが目的の全てになったら本末転倒だけど、評価などどうでもいいというのはさすがに乱暴すぎると思う
あと、これは他者の評価を気にするとかでは無くて、何かを創る時に自分の視点以外の別の視点というか
時には他者の視点でも考えてみるというのは実は凄く大事なことなんじゃないかとも思う
>>651 芸術家(芸術教育を受けた者)が気にする評価というのは
過去の偉大な芸術家の評価(彼を乗り越えられているか否か:彼こそが「他者」)だよ。
画廊で個展やって美術評論家の評価を気にするとかは、商売としての美術作家にはありえても
芸術を出現させる芸術家としてはあり得ない態度w
>>652 何か評価されるということを妙に悪意として捉えているように感じるのは気のせいかな
昔は評論家なんていなかったかもしれないけど、たとえばコンクールで優越が決まったり
場合によってはパトロンなんかが今でいう評論家の役目もしていたんだろうし
そうである以上当然昔の作家も他人にどう見られるかは考えていたはずだよ
そして歴史に残ってる偉大な作品の多くは間違いなく他者にどう見られるかを考えて創られてる
654 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/15(土) 23:06:17.88
>>653 どう見られたいかじゃなく、どう見せてやろうか、だと思う。受け身では決してない。
>>654 そう思う。たとえば吉本隆明も言ったように批評は決して創作に追いつけない。
どう見られたいかじゃなく、どう見られるかだよ
観客を気にする俳優を大根役者というw
役者を育てるのは観客なんだけどね
>>658 商売的なそれと混同してはいけないと思うよ。
作ることと売ること。
舞台には大根が必要な事もあるんだよ
この世に存在する作品の95%は駄作なのだ
って村上のスレで誰かが書いてたしなw
つーかそいつが評価されるのは結果論だろ
cattが言ってるのは目に入る特定の客にだけ媚びても仕方ないって話じゃないのか
いや、cattさんは作家は他人の目は一切気にせず自分の作りたい物を作ればいいと言っておられる
結局そうだろ
媚びても姑息な表現にしかならない、他人を魅了するなら自分を追求して磨き上げた方がより高みに昇れると
媚びる必要は無いけど、他者の目を意識することは大事だよ
自分の作りたい物を作ればいいというのは自慰行為的になりがちだからね
そこで現象学的な他者性が問題となる。
自分が語るその言葉はもともと他者に教えられたことばであり
自分が見ている世界は他者が築いた意味でできている。
しかしその世界は、いまだ語り尽くされてはいないことに気が付いた時、
芸術は芸術家を通してそこに躍り出る。
668 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/16(日) 00:14:37.05
657:catt◆.catt24qAw :2012/09/15(土) 23:23:24.17 [sage]
観客を気にする俳優を大根役者というw
↑
誰も突っ込んでないから心配なんだけどさ、いわないよね?まず意味が違うよね…?
>>668 ステージを「誰かに見られる場」として「それが売られる場」というマーケットの比喩として眺めてねw
商売的なそれと混同してはいけないって言われたから
アートの現場ってのが何を指すのか、共通の認識に立ってからだな
そうだよね。
たぶん自分は「アートの現場」はまさに自分が作るその場のことだと理解してる。
>>651>>653 激しく同感です。
作家は評論なんか気にしてやってないってのはわかるんだけど、それがめちゃんこ評論されて評価されその価値が保存されてきたのが西洋芸術の市場だよ。
評論抜きっていうけど、日本のようにオナヌーな制作はほとんどないといっていい。
ヨーロッパにはアートという市場がまじで存在する。(東アメリカにも)
で、アートはがっt品評
あエンタしちったすまそ
>>672 同感だね、そこから離れれば離れるほど、作品は商売道具になっていく
そこに介在する連中が「芸術」を「商品」に変えていくんだろう
ゼロが幾つ並ぶとか、そっちに興味は無い
欧州には日本の「売れ線」てのと違う市場がある。
それは文化的市場。
文化的市場と、そうでない市場って、どういう部分が違うの?
文化をつくる民族はえらいってこと
679 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/16(日) 03:03:36.08
色々言うけど、芸術わからない人でもゼロがいくつ並ぶかで6、7割くらいの人はとりあえず納得させる、ねじ伏せる事が可能なんだよ。
芸術を知る人?ですら、興味はないと言いつつ、無視は出来ず、やはり商売か違うか、なんて形で引き合いに出して、作品以上に気になって気になってしょうがない領域だからね、悲しい事に。。
そっちを気にかけているうちに、「芸術の本質を貫いた作品」とやらは、見失われたまま消えていっちゃう。
あなたは今までそんな作品見つけられたかな?それとも自分で造り出すのかな?
たとえば、セザンヌの絵(例:ブリヂストン美術館所蔵のサント=ヴィクトワール山)を
眺めることで、そこに「セザンヌの視線と驚きと筆の運び」を見て取れる人が
「芸術を知る(美術を知る)人:芸術家」だとすれば、彼には「それがいくらか(0がいくつついているか)」
という問題は無縁だろう。
「芸術の本質を貫いた作品」なんていうものは存在しない。なぜなら芸術には本質なんてないから。
芸術というのは、芸術家を通してそこに「現れ出でる」もの(つまり現象)である。
ブリヂストン美術館のセザンヌがいくらか、というのは芸術と何の関係もない話。
「現れ出でる者」を共有出来る人は限られてしまうけどね。
そういう価値観を共有出来る人は、ゼロの数に驚く人よりはきっと幸せなんだろうな
最近フリーマーケットで買った絵がルノアールの絵だった。ってニュースがあったっけな。
筆跡見てちゃんとルノアールだと分かる鑑定士は凄い。元々額買うつもりで絵は捨てるつもりだったとあっさり言う購入者もある意味凄い。
金銭での価値付けは、モノが価値を共有出来ない領域に紛れ込んで行方不明になった時、そこから取り戻す手段にもなるみたいだ。
素晴らしい物だと理解できるコミュニティがあったとしても、外部で見つけた人にとって金銭価値が見込まれなければ捨てられてただろう。
あくまでも金銭価値を単なる一つの要素として割り切った話。
話が長いんだよ。
世の中はバランス感覚が大事。それだけだ。
683 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/16(日) 06:11:41.08
んだ
評価は金だ、全ては金だ、は嫌らしいし
断じて金じゃ無い、も非現実的だ
>>680 芸術に本質が無いとしたら、一体何によって作品の優劣がついてると思う?
>>684 さまざまに与えられる諸性質だろうね。
たとえば「りんご」には本質がないが味覚的な性質(他よりちょっと酸味がある、他より甘い、他より大きい)
や市場での希少価値(旬より早く売ってる)や提供される環境(リンゴの産地から遠い)なので
価格が決まってる。
>>686 それが存在するためにもつあらゆる概念に先立つ根拠。それがそれであることの理由。
>>687 それではリンゴに本質はないという事は、リンゴがリンゴとして在るための根拠は無いという事ですか?
>>688 そう。リンゴはリンゴであってリンゴであることの中に既に本質が含まれてる。
言い換えれば人間は人間であって人間であることの中に既に本質は含まれてる。
そこから「本質」だけ抜き出して「これが人間の本質だ」というものは存在しない。
存在しないが「ある」し、みんな持ってる。
それを言葉で描き出そうとするのが文学で、見えるままに描き出そうとするのが美術。
そして哲学はそれを概念として(みんなに分かるように)普遍化しようとする、がそれは(いまのところ)無理。w
>>689 ということは一応本質はあるという事ですか?
>>691 では改めて、芸術とは何かを考える事に意味はあると思いますか?
>>692 ブルース・リーを引用するまでもなく「考えるんじゃない、感じるんだ」でしょうね。
芸術家はつくるものであって考えるものじゃない。
近現代美術史に名を残す作家のほとんどはそれを考えてきた人たちですが、それについてはどう思いますか?
>>695 評価に値する作家、面白いと思う作家は一人もいませんか?
697 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/16(日) 22:48:55.85
1+1に答えはあるか
数学論的には「2」として「ある」。
>>696 あなたがなにをもって「評価」というのか分からない。
「ちょっといいね」とか「これはざぶとん一枚だよね」みたいな
刹那的な同情を感じる作家はいっぱいいるがそれを芸術における評価とは自分は考えていない。
>>698 ではもう少し具体的に書きます
以前引き合いに出されたセザンヌですが、かれの評価は晩年からその死後に一気に高まっていきます
これは言うなれば、感じる時代から考える時代になっていった事で評価が高まっていったと言っていいものです
この場合の評価は例えば知名度の向上とそれに伴う他の作家に対する影響力の増大です
そこで、もし考えることをつまらないとするのならセザンヌの死後に高まった評価は妥当では無いと思いますか?
なかなか手ごわいなw
>>699 作家が生きていようが死んでいようが「みる側」が作品に為す評価というのは変わらない。
それはつくる芸術家(たとえばセザンヌ)が自分が対決する作品に与えていた評価であり、
作品に残されたその作家の対決の態度が見せる世界との対決そのもの。
どれだけ新しい世界を描き出せたか、にひとは驚き、立ち止まって見入る。それが評価。
>>701 もう一つはっきり答えて頂けていない気もしますが、とりあえずこの辺でやめておきます
ありがとうございました
>>700 別に戦ってるつもりはないですよw
ここを見ている人が(どれだけいるか分かりませんが)芸術とは何かを考える上で
多少でも参考になればと思って少し問答させてもらいました、イマイチだったかもしれませんけど
cattって哲学で食ってるの?
うんにゃ
catはニートだろw
706 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/17(月) 08:54:30.06
ニートでなにが悪い!!!
話ずらすけど、「〇〇の可能性」「〇〇は可能か」
(〇〇部分にはたいてい素材、媒体、ジャンル名が入る)
をテーマに掲げたような物をよく見かけるが、あれは具体的に何に対して何がどう可能だと言いたがってるのかね
抽象的な命題を具体的に理解しようとするのは無理。
709 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/17(月) 22:51:18.93
ご、ごもっとも
みる側も変わるよ。10年して見解が変わる。
そういうことを越えていった作品が残るね。
711 :
675:2012/09/18(火) 22:59:47.77
>>702 下段
わたくし的には製作者の生き様が反映してるかどうか、だと思っています
例えば、ポロックがドリッピングに至る過程が芸術している訳で、
その絵を観て失笑していた連中には、絵の奥に何が有るかが理解されていない
後期のドリッピングの向こうにどんなモノが希求されていたか、興味は尽きない
サム・フランシスの小奇麗な絵からは、それが感じられない
誰かにレスをもらった。
たしかにcattは芸術を語らせてもなかなかいいこと言うし、
デッサンスレでも確かな批評眼をしてたし、
絵描きさんとして結構実力あるかなとは思っているんだけど、
一体何者だろうな?
絵画とかではそういう精髄みたいなものを表現できていることはあるからな。
714 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/20(木) 17:40:14.38
芸術とはトランス誘導です。
そんなわけわからん大層なものでもないですw
そんな結論で満足なのね君にとっては。
あなたは他人の服のしわ、服の汚れを見て、人の気持ちを感じ取れるのですか?
他人の気持ちを感じ取るのは芸術家の仕事じゃないよ(別に感じ取ってもいいけど間違いなんてないよ)
目の前にあるモノ、ないモノ、その対象物を通して見えてくる自分のフォルムを表現し創る仕事だよ
>>717 横からだけど本当にその通りだと思うけど
向こうに比べて日本に一流芸術家が少ないのはなぜ?
やろうとしてる試みは同じはずなのに
同じはずという幻
日本では芸術を“形式”で維持しているから、形式に依存してしまうのよ。
そうであるかぎり一流がやたら出にくいわけ。
>>720 つまり、これが「芸術」として見なされる型だから
この型を身につけてそれっぽく見せかける達人になりなさい、というだけのことですか
それだけなら本当にそこらへんの凡人でもできそうだ
藝大まで行ってそんな認識水準とは思いたくないですけどね
まさにその水準ってのはどこにもあって、
時代的な水準がある。
今の芸大は多くがろくでもない。
安直で生産性や話題性を気にするあまり
今では一番忍耐のない国になってるみたいな事をイラストレーターの人が言ってたのを思い出したよ
結局色んなとこに反映されてるのね
ありがとうございます
724 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/23(日) 02:14:05.81
>>717>>722 芸大の質は今も昔も変わってないだろ。今も世界で評価を受けている作家の多くは芸大出身だし。
ただアート自体の流れが西洋模倣から脱却している今、日本の美術教育がその時代の流れにおいつけてない感じがするね
これは一般市民レベルでの中でも言えて、今の今まで西洋芸術のまねごとをして自分らで考えてこなかった代償だろうね
わかりやすくお手軽な大衆芸術(漫画やアニメ)氾濫し過ぎてて、難解な表現を受け入れる器ができてない。時間やお金をそこに注ぐと言う価値観がない
でもそれを逆手にとり逆に武器にして世界で評価されている人もいるわけで、ようやく独自の道が開けてと言ってもいい
われわれアジア圏の日本人が今何を考えどんな芸術という未来を指示していくか見られている。臆することなかれ!やってやろうじゃないか!なぁお前ら!
ぉ、ぉぅ。。
ゼロから独自の道を開くわけではないだろ。
明治以前に立派なルーツがあるんじゃないか。
現代の大衆芸術も形骸化して引き継がれたものだし。
ただここまで欧米文化に染まった今、
その頃の日本的感覚を取り戻すのは現実的な話じゃないという事。
>>721 舐めすぎ、思い上がりも甚だしい。口では何とでも言える。
>>727 そんな感情論は聞きたくない
実際にあなたの目の前にある芸術作品がすべてですよ
形式的な価値を求めてやったんなら、それまでじゃないですか
最近鎌倉行ったら、昔は走ってなかった人力車や、つい最近できたのにテレビでいかにも昔からやってます面した店なんかが小町通りに出来たりしてて
なんというか、それに似た浅ましさを感じるよ。今まで自分たちが見向きもしないし守ろうともしなかったものを都合よく引っ張り出して取って付けて伝統文化なんて。白々しいよ。嘘つかないで今を造れよ
730 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/23(日) 03:20:36.70
>>728 失礼、流れ見直して納得した。忘れてください
>>730 おまえ、
激情で言うわ読み落としだわ、
なんなのかな。
外しててね。
>>729 きちんと向き合った頃も含めての日本なんだよ。
長い歴史の中でたかだか200年前だ。
君が見たのは模擬体験用のセット。
アートとかデザインやってきた人たちは頭いいから「まずったな」と今日思ってる。
そうでもない。
否、胸懐にそういった念をもたずに活動する日本人などほぼいない。
嫌でも精神の摩擦に苦しむのだ。
これは明治以降ずっと負ってきたものだ。肩の荷が下りる時とは乃ち、日本人でなくなった時のみだ。
なぜだろう
アメリカなんて、日本に比べたらかなり歴史は浅いのに
737 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/23(日) 11:55:58.25
もともとアメリカはヨーロッパの集団移民で、芸術における理念、宗教を携えた上で文化を組み立てた
あらゆる人種を受け入れさまざまな文化の中で生まれてきた芸術はアメリカンドリームのそれとうまく重なったんだろうね
日本は小さな島国で鎖国までしていた閉鎖的で保守的な国、これが必要以上にアジアに植民地を拡大させるきっかけにもなったんだろう
戦争で負けアジアの近隣諸国とのわだかまりは根強く残っている。でも日本の芸術は驚くほどこう言った自分らの歴史的アイデンティティに無頓着である
その象徴として大衆文化(アニメ・漫画・ゲーム)の著しい発展があげられるんじゃないか?現実の歴史的事実よりお手軽に共有できる非現実を求めてるわけだ。
こう言った意味で日本はようやく独自の文化における根源を現代社会に掴みつつあって、ここからどう立ち振る舞うかだと思う
日本人が歴史を知らないことの象徴として大衆文化の著しい発展があったの?
739 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/23(日) 14:00:26.34
日本が歴史を知らないのではなく戦争に負け「天皇」と言う一種の宗教的概念が崩れたことにより、日本人であると言う歴史的アイデンティティを守る必要がなくなった
そのため既存の文化が欧米の資本主義の影響を強く受けお手軽な大衆文化の発展にシフトしていったと言うこと。芸術においても市場モデルがはっきりしていた西洋芸術に右ならえして行った
そして今日、天皇と言う象徴よりも日常の身近な大衆文化に寄り添い生きがいを見出していくことこそが日本人の象徴になり変わってきている
もともと日本大英帝国以前の文化的視点に戻ったと言ってもいいのかもしれない。世界との距離は大きく縮まった上でだけどね
このまま行っても良い芸術なんて生まれないでしょ。
741 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/23(日) 14:15:13.61
今までの美しく素晴らしいだけの芸術は生まれないかもしれない。ただ新しい芸術モデルとしてなり変われるチャンスはある。
良いか悪いかを決めるのは今の我々ではなく未来に生きているであろう彼らであるとは思う。だから今の現実に向き合い挑戦していくしかない
それはつまり村上隆礼賛ってことでいいの?
743 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/23(日) 14:48:52.14
彼は始まり彼を超えることに意味がある。薄っぺらいだけの使い捨て芸術じゃないってことを見せてやるんだよ
その薄っぺらい使い捨てという側面は日本人が寄り添っていたとする大衆文化の娯楽性からきていると思うんだけど
そこから離れて作られたものに果たして魅力があると思う?
745 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/23(日) 15:41:03.75
離れるんじゃなくより深く掘り下げるってこと。娯楽は資本主義だけの上の乗ってるのではなく日本の粋な大衆文化の積み重ねによるものだからね
もちろん離れた芸術だって魅力はあると思うが日本芸術の新しい布石にはならないと思う
アートの側に立つ限り従来の娯楽からは離れざるをえないと思うんだけど
離れるんじゃなくより深く掘り下げるってどうやるの?
金が流れるならいいのよ、つまり市場があるならね
ところで「漫画・アニメ」といってもいろいろあるけど、ここでは「漫画・アニメなんてどれも同じ」
という前提で捉えればいいの?
4 :kaijunokodomo ◆dxakKNa1zM :2010/06/05(土) 17:21:20.05 ID:wNiz6fqK0
日本人の美術・芸術的センスの無さは異常
14 :kaijunokodomo ◆dxakKNa1zM :2010/06/05(土) 17:27:59.28 ID:wNiz6fqK0
日本にそもそも芸術があったろうか?
西洋がルネッサンス期にパトロンの飼い犬としての職業絵師を脱し自由な表現を始めたのに対し、
日本にはそれに相当する時代があったろうか?
17 :kaijunokodomo ◆dxakKNa1zM :2010/06/05(土) 17:30:17.75 ID:wNiz6fqK0
建築にしても、合理主義から導かれる環境適応から生まれるものであって、芸術とは言いがたいね
芸術を見出すとするならそういった全体にではなく、諸所の細かな装飾にくらいしか見出せそうに無い
庭園にしてもずいぶん趣味的で、家人が感傷に浸るだけの閉じた文化でしかない・・・
26 :kaijunokodomo ◆dxakKNa1zM :2010/06/05(土) 17:37:10.92 ID:wNiz6fqK0
日本は何でもすぐ形式化してしまうルールを作ってそれに皆でなだれ込み、
コスモの中でのみみっちい衒いや洒落の出し抜きあいが芸術だと勘違いしている
28 :kaijunokodomo ◆dxakKNa1zM :2010/06/05(土) 17:40:51.09 ID:wNiz6fqK0
料理にしてもそうである
日本の料理は季節の楽しみを「表現」することはない
変に押さえ込んでしまう
味にしても本能から食べたいと欲求する類のものは少なく、
変にねじれひねこびている
無駄にちまちまと凝っていていやらしい
37 :kaijunokodomo ◆dxakKNa1zM :2010/06/05(土) 17:50:32.49 ID:wNiz6fqK0
>>33 現代日本の日本のどこに美があるというんだい?
美というのは美しくしようという精神からは絶対に生まれないものなんだよ
かといってただ本能のままに生きればいいわけではないし、
自然任せにしていればよいものでもない
日本人に絵を描かせたら必ず光を捻じ曲げようとする
同じ青でも画面上の色の効果をちまちまみちみち計算して、
女を描くにしてもいちいち顔をねじまげて美化して描く
オタクの描く記号絵などは最悪で、あんなものはただの符丁であって絵として成立していないといってもいい
洋画を学んだつもりのちょっと凝った画家は空間を甘ったれた陰翳に落とし込んで、
空間を淡い光で神聖なものに見せようと惨めでいやったらしい小細工に神経を使う
こんなところから美などは絶対に生まれない
67 :kaijunokodomo ◆dxakKNa1zM :2010/06/05(土) 18:11:02.01 ID:wNiz6fqK0
日本文化はいまだに芽吹いてすらいないのではないかと私はかんがえている
今日日本文化の名で呼ばれているもののほとんどは
ただの史跡か、
ならわしか、
あるいは真の日本精神の篭っていない、それに対するネガのようなものである
80 :kaijunokodomo ◆dxakKNa1zM :2010/06/05(土) 18:22:55.80 ID:wNiz6fqK0
最近は若い連中に伝統主義者が増えていて困る
そういう奴に限って日本美に対する理解が浅いし、
形式に逃げ込むだけの脆弱な精神の持ち主が多い
しかもその形式の中での表現にしても凡庸で突き詰めが甘く趣味的で退屈である
751 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/23(日) 22:47:24.48
>>749>>750 くだらねえな。そもそもこいつら何人だよ?
こういう西洋かぶれがわんさかいたからどうしようもないく貧弱な日本芸術ができたわけで
今の日本の現実と向き合えない奴は終末を迎えつつある欧州に留学でもして
その2〜3年後におじさんおばさん相手に絵画教室でも開いていればいいんだよ
83 :kaijunokodomo ◆dxakKNa1zM :2010/06/05(土) 18:25:38.36 ID:wNiz6fqK0
君達におすすめする書籍を三つ紹介しよう
・三島由紀夫 『金閣寺』
・岡本太郎 『日本の伝統』
・谷崎潤一郎 『陰翳礼賛』
せめて最低限の教養ぐらい身につけなさい・・・低湿で破廉恥なアニメばかり見てないでね
112 :kaijunokodomo ◆dxakKNa1zM :2010/06/05(土) 18:49:06.88 ID:wNiz6fqK0
>>105 そのとおり
量より質を”優先”する癖に、質より量を”優遇”する。
一人の天才より、多数派である馬鹿にあわさせようとする
日本における重要なことはものごとを「理解する力」ではなく「伝える力」、
それも「人になるべくわかりやすく理解させる力」ではなく「人のご機嫌をとりながら上手いこと操る力」である
議論の厳密さより現実に憤る相手の幼稚さにあわせる
実にくだらん
121 :kaijunokodomo ◆dxakKNa1zM :2010/06/05(土) 18:54:40.54 ID:wNiz6fqK0
>>118 彼は日本の学校教育の犠牲者なのだ
答えがあるものには必ず作法があると思っている
真実と事実を混同し真実は人間が図れるものだと思っている
いいか、事実など石ころにすぎない
重要なのは真実という見えない大河であって、われわれが事実と呼び、
時として答えだと思っているものはその大河に運ばれた石ころにすぎないのだ
753 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/24(月) 00:44:48.13
>>752 もう末期だね。他人の教養を手にして胸張ってるんだから。もう終わりこれ以上伸びない。
>>105 「実にくだらん」コメントで終わってるのは自分はあたかも天才と言っているようなもん。周りがそれをわからないだけとか言いたいのか?はいはい。ご愁傷様。
>>118 あ〜あこれもまた終わってる。真実の観測者になりたいなら物理学をやればいい。
芸術の真実はその人自身だよ。覚えときな。
まぁ、年とるとそう言いたくなる気持ちはなんかわかる。
755 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/24(月) 17:41:30.43
マンガ・アニメは芸術である可能性を持ち続けている。
村上隆は「下手」である。
756 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/24(月) 17:43:53.64
芸術には資本主義の価値法則は適用できない。
下手っていうのはスキルなのよ、職人さん。
気持ち悪、改行しつこいや
759 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 10:45:50.34
日本語では「下手」というのは、
スキルの無さ、を意味している。
760 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 11:51:42.48
>>759 厳密に言うとはずってことかな。
村上隆でいえば芸大日本画博士号代1号という肩書と所謂オタク萌えな安価なデジタル絵から
無理やり外してアートに仕立て上げた。
例えば萌え絵だけうまいイラストレ―タ―の力作でも1枚5000万を超えることはない
カイカイキキで現役イラストレーターをヘッドハントしてるのも自分のアートパフォーマンスを華やかに飾リ自分のオタクに関する地位を確保するためだろうね
日本画でいえば彼のうまさは日本でトップクラス。それだけでも十分生きていけるけどそれを外す意味、そこにアーティスト村上隆としての本当の力が見て取れるんだろうね
761 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 11:54:52.37
>>760 厳密に言うとはずってことかな。→厳密に言うと外すってことかな。(訂正)
762 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 12:22:59.05
まあ村上隆のことなど熱心に話したくもないのだがw
まずなぜ「外す」のか、というのは本人も含め誰にもわかっていないこと、なのではないか。
どう見ても口先だけの後付けとしか聞こえない。
日本絵画の輪郭線の伝統(特に浮世絵以降の対庶民的=ポップ)を現在体現しているのは、
村上隆では無く、無名の絵師たちであることは、10年、20年後の評価を待つまでもなく、明らかなのではないか。
次に「価格」のことだが
>>756 。
最後に村上隆の日本画の「うまさ」というのは不明。「トップクラス」という表現も不明だ。
何かサンプルを見せていただきたいものだ。
763 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 12:52:01.84
>>762 なぜ外すのか本人がわからないとか本気で思ってるのか??どんだけ念密に計算されつくされてるか・・・そんなんじゃ受験すら突破できないね^^^^
>日本絵画の輪郭線の伝統(特に浮世絵以降の対庶民的=ポップ)を現在体現しているのは、
>村上隆では無く、無名の絵師たちであることは、10年、20年後の評価を待つまでもなく、明らかなのではないか
これを証明して自らのアートにに利用したのが村上隆だぞ?大丈夫か??
>最後に村上隆の日本画の「うまさ」というのは不明。「トップクラス」という表現も不明だ。
>何かサンプルを見せていただきたいものだ。
東京芸術大学日本画首席卒業で卒業制作買い上げ。まぁ修士課程卒業制作は次席で日本があきらめてって言ってるね。
つまりこの肩書ですごさがわからないと言うことは、芸大日本画を知らない3流アーティストってことかな。
もしくはどちらも主席になれるほどの腕の持ち主か。そんなすごい腕の持ち主なら卒業制作を生で観せてくださいと芸大の教授に頼んでみたら?生は無理かもだが資料画像は見せてくれるよ^^
764 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 13:10:17.53
>>756に関してだがそんなこと当たり前だろ??
お前の命の値段を自分ではかれるのか??もしくは他人の命の値段を付けられるのか?と同じぐらい愚問
作品自体の価値を全く資本主義の中に出したくないと言うなら、世に出さなきゃいい話。というか描かなければいい話じゃない?^^^
作品の値段=作品そのものの価値ではなくアーティストに対するこれからの期待値、可能性への投資と言う意味が強いだろうね。
他人から評価されることに何ビビってるんだか。
765 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 13:33:08.07
だから村上隆のことなど話したくもないのだw
非常に現代的で「アート的論法」だ。内容が無い。
>なぜ外すのか本人がわからないとか本気で思ってるのか?
言い方が悪かったようだ。
村上隆はどこがどう外れているのか自分でまったくわかっていないと思われるような絵しか描くことができない。
うーん、どうもうまく言うことができないな。どうかね、一見して「にせもの」でしかない絵画を、君ならなんと表現する?
できればその綿密な計算とやらも君が理解している範囲でいいから説明してみないかね。
もう少し落ち着いてからでいい。まったく村上シンパというのは、あつかいにくいな。
その他既存権威の羅列に関しては君にこそもう一度読んでみることを勧める。
芸術とは何か。肩書きによって生み出される「すごさ」とは何か。
「芸大日本画」なるものを「知る」とはいかなることなのか。
766 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 13:44:10.78
「資本主義の価値法則」についてはぐぐってくれ。
価値法則は資本主義経済を貫徹しているはずなのだが、
こと芸術と出会うと摘要不能かと見えるような数値をはじき出す。
つまり資本主義下では芸術の価値は数値化されえない、といった程度の意味だ。
あまり過剰反応するな。
芸術には資本主義の価値法則は適用できない。は言い過ぎ
資本主義の価値法則は、芸術の価値の一部を担っている
程度は譲歩するべきでは?値段は目安にはなっているでしょ?
768 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 14:06:15.70
>>765 ホント脳ミソが化石だな。
ことわっておくが俺は村上信者では決してない。作品自体も好きじゃない。
偽物とか本物とか言ってるが今までの既存の芸術的価値観に当てはめないと
そのものの価値がわからないのはある意味アート自体に対する可能性を狭めていないか?
君にとっての本物がこれからの世界のアートシーンを振り向かせるものになりうるのか?
過去の正解のみを追っていって芸術の未来が開かれるのか?いつまで西洋芸術の幻想を追ってるんだか。
>できればその綿密な計算とやらも君が理解している範囲でいいから説明してみないかね。
>もう少し落ち着いてからでいい。
村上の描いた本でも読めば?俺は興味ないがな
>その他既存権威の羅列に関しては君にこそもう一度読んでみることを勧める。
>芸術とは何か。肩書きによって生み出される「すごさ」とは何か。
>「芸大日本画」なるものを「知る」とはいかなることなのか
こんなもん読む必要はない。芸大に入ればおのずとわかることを並べ立てたってどうしようもない
芸大生・卒生ならみんな知ってることだしな。
俺が言いたいのは理想的な美しい芸術ありきの人ではなく、人(アーティスト)ありきの芸術における可能性・本質であると言うこと。
769 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 15:03:56.98
>>767 それはいったい何のための「譲歩」なのかw
果たして価格は芸術体験の「目安」と成り得るのか。
まったく成らない、むしろ邪魔だと思うが。
756を書いた時念頭にあったのはまずゴッホだ。
アルトマンの映画「ヴィンセントとテオ」の冒頭は
クリスティーズのオークションの実写から始まる。
そこでは価値法則が壊れ、針が振り切れるように法外な価格=数字が上昇し続ける。
資本主義の価値法則が適用できないことこそ、芸術の特権的な価値を意味するのではあるまいか。
770 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 15:21:22.34
>>768 それでは村上隆のことなどどうでもいいではないかww
それにあまり思い込みで他者を決めつけない方がいい。
書けば書くほど書いている本人、中の人が見えてくるだけだ。
それよりも最終行だ。興味深いがちょっとわかりにくいのでもう少し書いてみて欲しいのだが。
芸術とはいったい何なのだ。
771 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 15:36:48.93
>>769 芸術が特別といいたいの?芸術を生み出した「人」が特別なんだよ。
俺もお前も人だろ?んじゃ作った作品になぜ差が出るのか?(差があるように見えるのか?)
つまり芸術の神様がいて作品の価値が決まるわけじゃなく、人自身が自らの社会の中でその時代における価値を付けていく
人自身が人そのものの可能性に価値を付けるのだから、このものと等価ですよと断言できるはずがない
芸術が特別なのではなく、芸術をする人間という生物の価値が特別だと考えてるんだろうね。
でもこの価値も時代によって変わるだろう。1億年後に人類がいたとして共通の芸術的価値の主軸になるのはおそらく人であることのみ
そして表現の中で問われるのはいつの時代も我々人間の可能性なのだから。
772 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 15:47:52.73
>>770 人が世界を切り取る可能性。世界=人=芸術
お前にとっての世界が芸術になりえるんだよ。
だから切り取るための術以外は捨てろ。
>>769 そのエピソードから、どういう部分が目安にならないと判断したの?
774 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 17:18:03.53
>>771 まず「価値」の問題だが、作家/人間の「可能性」に価値を見るというのは何かとても資本主義的に感じる。
どこぞの画商のセールストークのようではないかwまあ作家を志しているのならそのような考え方もあるだろうが。
芸術の価値というのはもっと個人的なものではないだろうか。或る作品の前に立った時の、
否応無く胸をゆさぶられるような感覚、衝撃。その感覚の強さとバリエーションが、芸術の価値における「差異」を形成する。
それは一元的な数値に置き換えることは不可能だ。
不思議なのはそれが作品によっては多くの人と共有できるという事態だ。
この事態が、普遍的な「芸術」という概念を未だに有効にしている。
>>772については異論は無い、というか異論を差し挟むような発言でもあるまいw
作り手の生の言葉として受け取った。まあ、術に溺れず精進したまえw
775 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 17:20:44.12
>>773 ま、とりあえず映画を見てから話そうか。
776 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/25(火) 21:35:42.66
形と言葉が合わさると強い気がする
778 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/26(水) 13:44:22.85
てか映画観てどうのこうの行ってる時点でないわ。映画だぞ?フィクションだぞ?それこそ金儲けのストーリーだ
先を見る力がないのもかわいそうだが、せめて今を見ろよ今を
現実の出来事を撮影したドキュメンタリーフィルムだってあるし、逆に空想を表現した芸術作品もあるだろう
写実主義的な見地からのそういった映画批判は間違いじゃないのか
商業主義に偏った映画業界への批判なら分かるが
こまけえこたぁいいんだよ!でおk
781 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/26(水) 19:52:30.11
まあ見なきゃわからんと言われたら何も言えないわ、そうですか…。としか。…おしまい
>>771 婆さんが猿の絵に「修復」した教会のイコンだな
元の絵にはそれなりの宗教的な敬虔さがあったし、それがこの絵の「価値」
それがどうだ、本来俗世から最も遠くにあったはずなのに、
猿の絵が話題性だけが独り歩きして、別の「価値」を帯び始めた
ん?
価値はないよ?話題になっているだけで。
話題と価値を混同しているの?
×玉石混合
○玉石混交
785 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/27(木) 06:31:46.30
>>783 価値がないのではない。そもそも修復画だから価値どうのこうのの問題じゃない。
しかし人の心を動かしたのは事実で(行為、人物、作品を踏まえて)そこにある一種の価値はうまれたのだろう
つまりどのような作品、行為に関しても意味は出てきて価値はうまれる。ただそこに何の意図を持ち表現するかを見出せなければ芸術家として生存できないだろう(アウトサイダーアートは別)
そしてあれを誰かが意図的に行ったとしたらアートになると同時に犯罪行為にもなると言うこと。
786 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/27(木) 09:37:32.66
言い合ってるけど、さほど両者の考え方にはあまり違いがないように感じてしまうが、簡単にまとめるとどこで衝突してるの?
787 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/27(木) 14:10:19.01
現代アートのわからない排他的古典芸術論者の村上隆はスキルがない発言からだな
そもそも芸術家にイラストレーターのスキルを求めてスキルがないと言っているとしたら
古典芸術がなんたるかもわかっているかすら微妙だな
職人的スキルを欲しがるよな芸術論者は。
上手さなのよ価値観が。中国雑技団と変わらないのよ。
別に排他的古典芸術論者じゃないけど、俺も村上は上手くはないと思うけどな
一応ここで言う上手さってのは例えば線一本で一発で形をとってみせるような上手さの話ね
というか、それは村上自身も分かってる事でしょ、確か前に何かで言ってたような気もするし
村上が何度も何度も色とかを重ねて鑑賞に堪える画面を作っていくのは、その手の才能が自分には無いからだって
>>789 芸術においてそんなことはどうだっていいんだよ職人さん
やっぱり芸術と美術を混同してる人が多いのね日本は。
>>790 どうでもいいって・・・
それじゃあ芸術を語ることにおいて技術・技法の話には価値が無いとでも言うのか
>>789が言う村上がやってきた事全否定じゃないか
794 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/27(木) 22:20:26.99
>>789>>793 村上隆の言葉をそのまま真に受ける奴がいるとは・・・
彼は戦略家でもあるんだ。アニメ絵が苦手と言ってるだけで芸大で描いてる作品はもろ日本画
日本画ここにあり的な絵だからね、平山郁夫や千住博なんかより線の扱いはうまい
これは苦手と言うことでアニメ・オタク文化を持ちあげて自分のコンセプトを高めたいだけ
村上隆に関して技術技法はあってないようなもんほぼコンピューターで修正してプリントした形をシルクスクリーンですり重ねてるだけだからね
これもあえて日本画と言う生産性の低い表現から大量生産できるアニメに移行した経緯をコンセプト化したパフォーマンス的要素もあるのだろう
日本の絵描きの場合自分に才能がないとか言ってる奴ほど、しっかり技術を積み計算高い奴が多いね
>>794 五百羅漢の村上が描いた部分をみても上手いと思うなら、もう何も言わないよ
あれはわざと下手に描いたとかいうレベルじゃない、明らかに人体が描けない人の絵だよ
797 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/27(木) 23:59:07.02
>>796 へ?何言ってるの???
この形はただの模写だぞ?古典の日本画を現代の画面構成と色彩でリメイクしただけ
この絵を見て人体がどうのこうの言っちゃうのはホント素人同然の発想だわ。
君絵を描いてる人じゃないでしょ?そもそも芸大日本画の合格作品見てみ?
日本画の場合まぐれで受かる奴はほぼいない。ま〜君のいう人体が何を意味してるかが問題だが。
まさかアニメ萌えなデフォルメされた形を思いえがいていることなんかないよな?ww
それに良く考えてみ?村上画0から描いたとこだけ自由度が高いだろ?他は作業で、ある意味誰が描いても同じ
わざと練られた形を外すことで村上だけが唯一この作品を操れると言う意図も含まれてるね。そもそもうまさを超えたところに真理を置いてる
技術というものを日本人は手業としたがるが、西洋において技術とは方法論をも指す。
理念さえも技術的に導かれるものだというのを彼らは分かっているからだ。
村上隆はまちがいなくアーティストなんだよ。
>>797 なんか俺の勘違いだったみたい
ここで話してた上手いの基準って芸大云々よりもっと上のレベルの話かと思ってた
801 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/28(金) 00:38:29.13
>>800 うまいと言うのは美術業界ではほめ言葉ではない。むしろその逆。
そもそも芸術表現のうまいに上とか下とかはない。あくまで作品、コンセプトありきの匠さのみ
あえて言うなら君が上と思ってたのはむしろ下。
それはつまりレンブラントなんてゴミだってことでいいの?
803 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/28(金) 01:38:56.47
なんでレンブラントがゴミになるんだ?
彼が光を匠に操った最初の画家だと言うことは素人でも知っている
だが彼はもはや出がらしも残らないほど解析し尽くされ、
写実主義で名の売れた現代作家の多くはその技術を自分のものにしている。
これ以上語る必要はない西洋芸術史に残る偉大な画家であってそれ以上以下でもない
レンブラントに匹敵する才能を持った現代作家の多くって例えば誰?
805 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/28(金) 02:37:36.90
806 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/28(金) 02:40:42.41
才能とはいってないが?
レンブラントはあの時代に最初に光を匠に操ったから偉大なわけで現代には彼の影響を受けている画家は腐るほどいる。
その中で日本の写実主義で彼に匹敵するのは森本草介あたりかな
群像表現やドラマチックな演出なんかはレンブラントの方が上だが、自然光の操り方はレンブラントを超えてると言ってもいい
>>806 ということは、その森本草介はゴミってことでいいの?
809 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/28(金) 11:06:52.90
まるで中学生の喧嘩みたい…
芸術に造詣のある人間はある一面では洞察力があるけど
ある一面ではひどく幼稚なケースが多いからね
これだけ長文垂れ流せるんだし、こんなとこでダラダラ愚痴って消費するより、駄目もとでいいから論文でも書いてどっかに上げてた方が、多分ずっと有意義なんだろうけどな
やっぱ掲示板てのが本人的にやりやすいんでね?
質問なんですが、芸術をやる上で俗に言う「中二病」に通ずる情熱は
有効に働くことはありえるのでしょうか?
それが稚拙なものであるなら一介の中二病で終わらせることができますが、
もっと説得性だとか、オタクのマスターベーションで終わらせたくない何かを探し続けています。
たとえば私はドラゴンが大好きです。狂喜乱舞しながら抱き締めたいほどに。
そんなきっかけから深く空想上の生き物というものに思考を張り巡らせるようになりました。
やはり論外でしょうか?
私は自分を人並み以下の、それはそれはとても脆弱な人間だと認識しています。
身も心もですが、身の方はともかく心の弱さがコンプレックスとしてのしかかり、
そこに万物の強さを象徴する生命体に自分を重ね合わせたのかもしれません。
私は、護って頂きたくなったと同時に、何らかの形で認めてもらおうと叫んでいるのです。
それがある種の原動力になっているし、
自分の技能を活かして形にするしか生きていく術はないと悟りました。
816 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/29(土) 13:29:09.03
内的なものから出ててくる形だけで戦おうと思うなら相当の覚悟が必要です
ありきたりの装ったカッコよさだけを求めても間違いなく評価されない。
たとえ技術が突出したとしても5年以内に消える。
誰も見たことのないあなた自身のドラゴンをとことん追求するか(そもそもそれはほんとにドラゴンなのか?)
日本画のように型があるモノを引用するか、どちらにしろバカでは芸術はできません
後あなたが自分しかないと思われてるコンプレックスは誰でも持っているものなのでそれだけではコンセプトが弱すぎます
歴史や科学など色んなことを勉強し知識を付けこの世界、自分自身と向き合う土台作りを同時にやることが必要だと思います
そうでなければアウトサイダーアートになってしまうでしょう
818 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/09/29(土) 13:53:35.77
>>817 誘導なんてしてないない。ただ自分が思うことを言ったまで
>>814 情熱だけじゃ、いつか燃え尽きるよ
自分の着想を暖めつつも、基本的な表現手法なんかを学んでおかないとね
820 :
814:2012/09/30(日) 00:16:55.20
>>816 むず痒いところを突いていただいてありがとうございます。
厳密にはそれ以上の決定的な意味はあるにはあるんですが、言葉で説明する内容ではないのと、
それも少数ながら近しい感覚をもっている人間がいるって事は言えますね。
もっとも、世間からみても一介の気持ち悪いオタクジャンルにしか取れないはずであるし、
その薄っぺらさでは糧にすらならないのかという不安もあります。
たとえばグロとかエロだとか、そういう明快な方向性だとアート凡俗ともに無数にありますが、
そういった共通化が可能な要素であってほしいわけです。
いっぽうで理屈や体系を求めれば理論武装にしかならず、それを昇華できる段階には
全然達していないのが自分でもよくわかりますし、
少し前までただ純粋な欲求に従って描くだけで、思考はまったくなかった。
そして今にしてはじめて守破離という言葉を意識しはじめているのでした。
821 :
814:2012/09/30(日) 00:26:18.42
>>819 ご忠告ありがとうございます。
原点こそそうですが、今はもう少し発展させているつもりです。
822 :
814:2012/09/30(日) 00:53:35.68
それともうひとつ、上で話されているような村上隆はともかく、それに付随する
日本のアニメ、マンガ的な表現にはもはやなんの魅力も感じられないのですが
この一番の理由が技術の形骸と中身の薄さでした。
プロセスを理解してるから村上氏は評価されてるんですよね。よく知りませんが。
今の自分からみても、その多くがキャラクター中心であとはオマケのような学生の延長のようなノリの作品で
占められているようにしか見えなくて、物語が伴う以上、アニメやマンガも結局向こうのが巧いと考えるようになりました、
意見の合う父ともよくそういう話をしますが、
どれもこれも自分を伝えるためのツールに過ぎんと言っていました。
まずはだ、にちゃんに書くのをやめるんだ
11/11まで損保ジャパン東郷青児美術館でアンソール展なのにスルーですかい?
私はあの絵が暗くてユーモラスで大好きなのです。
新宿駅でポスター見かけたわ
ゾゾタウンの壁にかかってたりおちまさとが肖像画を描いてもらったりしててなんか知らんけど有名らしいコンラッド リーチというひとはウォーホルと何が違うんですか?
コンセプトや手法がまんまウォーホルにしかみえないのですが。
オフィシャルオンラインストアを観て来た
価格は妥当なのかも知れないけど、好きになれる絵は無かった
ウォーホルのパクリだけど、そんなのでも幾らかの需要はあるんだろう
日本に来てあれこれやったりyoshiki描いたりしてるようじゃ実際の所たいした評価は得られてないだろうな
参考までにartfactのランキングだとウォーホルは1位、コンラッド・リーチとやらはランキングに載ってすらいない
はっきり言ってしまえば単なるイラストレーターだよ
15 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2010/07/19(月) 19:49:00.13 ID:HorO6LZR0
>>11 見ている側からすると本当に不思議なんだよね
本人は描いていて楽しいんだろうか
普通何か違ったものを創ってやろうって気になるものだと思うんだけど
絵を描かせると知性が現れるっていうけど日本人の絵はどれも説明的でダイナミックな魅力が無い
キャンバスだけを見てる感じ
37 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2010/07/19(月) 20:05:10.91 ID:HorO6LZR0
>>33 創造性もそうだけど、美的センスも貧しいと思う
日本の絵には陰翳が無いよね
江戸時代とかの日本画は線の色や強弱で見事に表現していたけど、
今の絵は線画の癖に線が大事ってことを理解していない
102 ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη [sage] 2012/05/24(木) 20:02:49.26 ID:
>>91 どうやら、違うらしいんだよね。
もっと高次な美があるらしいんだ。
そこまでは日本人では行けないんだって。
用と美の民族だから、そこどまりなんだ。
144 ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη [sage] 2012/08/01(水) 16:02:05.95 ID:
>>102 イデオロギーの問題でしょ。
バックボーンとなる宗教や哲学が日本には根付いてないからね。
デザインってようは簡潔な思考でもあるわけだから
対象の持つ特性を自らの思想に当て嵌める事で象ったり、あるいは思想そのものをデザインしたり。
この人たちって西洋かぶれでいいの?
830 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/04(日) 03:50:37.26
完全に西洋かぶれだな。今やいつでも海外に行けて、しかもネットではあちらの情報もこちらの情報も手軽に手にできる時代にフェノロサが来たときの思考で語ってるもん。自ら創造できない人の典型。
おまえだって西洋かぶれだろ。
なにをもっともらしく論じてんだ。
近代以降なんて全て追っかけなんだよ。
それでなにが悪い。
832 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/06(火) 15:01:58.83
>>831 時代錯誤もいいとこ。メディアがこれだけ多種多様になる中そんなもん追っかけてたらミイラになるぞ?
きっと地球上にお前ひとりになっても西洋かぶれな道を追っかけまくるんだろうな、芸術がわかるやさしい宇宙人が来るのを待つか?w
線画っていうと池田浩影はすごいな
過大評価も過小評価もしないで普通にしていればいいんじゃないかな
西洋かぶれはあたりまえ。
東洋の半分は西洋でできてるんだから。
837 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/07(水) 15:03:48.35
かぶれが当たり前とか言っちゃうやつの作品てただインテリ気取ってるバカ丸出しが多いよな
今ある現実はある。しかし先ゆく未来にまでかぶれを持ちこす必要はない。全否定したって芸術はなりたつ
全否定の理由が合目的的であるかどうかを自問せよ。
839 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/07(水) 17:13:41.95
>>838 自問して私はここに居る。受験でも西洋の基本的なものの見方は問われるが
大学に入りそのものの見方で作家活動を目指そうとする奴の方が現代でほとんどいない。
私の思うかぶれとは、自らの創造的行為に借り物の価値観や素材、材料をいかにももっともらしく評価の価値基準として盛り込みやり方で
その人の作家活動の根幹に西洋的様式があってもその後の創作活動にはかぶれとしては表に出てこない作品が本物だと思う
>>839 西洋かぶれの反対語は東洋かぶれでも自分かぶれでもないし、作品の本物偽物なんて区別は
存在すらしないもの。
841 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/07(水) 21:55:37.97
つまりcattは50代ぐらいの古典技法全盛期受験者ってことかな?あのころの教授は型物が多いから右ならへだったもんね。
若い人なら工芸や日本画寄りの人かな、あそこは今でも技術の模倣で食ってる人多いから
これはあくまで自分の見解だから辞書に乗ってる本物偽物という概念ではない。本物とはその人そのものに限りなく近くて偽物とは誰かが作った技法の反復で模写に近く中身の薄い表現かな個人的に。
西洋かぶれの反対語って、あえて言うなら国粋主義でしょ
あと本物偽物の区別って、例えるなら
>>826のウォーホルとコンラッド・リーチみたいな事でしょ
本物というのは他者の現在さ。
844 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 02:38:50.38
>>843 うまいこと言ってドヤ顔してるが、現在なんて未来の過去。今じゃない本物は先にあるんだよ先に
>>844 理解できないなら無理してレスしなくていい。
846 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 09:20:59.59
理解はしてるよ。でもそれを超えていける人が本物になれるって言ってるの。
芸術は誰でもできるし誰でも持っている。でも超えていける天才に誰でもなれるとは限らない。
芸術に関しては共通する唯一の答えはないわけで、天才と呼ばれる人が芸術家誰しもに届くとは限らない。特にかぶれの多くはカヤの外。
>>catt
言いたいことが本当にあるのなら他者に理解させる努力や工夫も必要だと思うけど。
このところなんか言葉のナゾナゾ遊びみたいになってるぞ。
848 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 12:33:22.68
せいぜい「構造主義風のいいまわしのまね」程度の文章しか書けないbtの評論くらいしか読んでいない
ここの住人に「芸術とは何か」を考える頭は無い。だからこのような幼稚な煽り合いになる。
本物がどうしたとか書いてる奴が最悪のようだな。
調子こいてしゃべってないでちょっとは本でも読んでみたらどうだ糞ガキwwww
849 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 14:30:36.33
本に芸術が何かか書いてあるとか言っちゃうのか・・・もはや作家として終わってるね。ありえない
もしくは芸術学科出身の現代アーティストとビジネストークしかしてないインテリ気取ってる無能君か
何度も言ってるじゃん、芸術とは人間そのものだって、その先の話をしろよ芸術は生きもので俺やお前でもあるんだから
850 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 14:49:20.16
おまえは感覚的な話しかできん。
何が「人間そのもの」だ、何が「その先」だ、何が「芸術は生きもので俺やお前」だw
お前自身にだって自分が言っている「意味」などわからんのだろう。
お前の言葉にあるのはフンイキだけだ。
それで他者に理解させる工夫などとよく言えたもんだ。笑かすなww
その上結局おまえが逃げ込む先は「作家意識」だw
そんなもんで人に伝わる作品がつくれるわーけーがー、無い。
あーだからここにいるんだっけなwすまんすまんww
本読めねえ人間には本に何が書いてあんのかわかるめえ。
人が言う事もわかるめえ。
だからお前は話しすんな。わかったかボケww
851 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 15:06:11.90
>>850 ???俺は
>>847とは関係ないぞ??
てかお前排他的芸術論者じゃん、お前は何も生み出せないから出てくんなよ
それと作家は自分の作品と向き合って初めて言葉が出てくるもんだが、何言ってんの?
お前に用はない、cattの足引っ張るなよ能なしじいさん
852 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 15:22:35.63
何が「排他的芸術論者」だwww
おれが言ってるのは「お前」が作家では無い、ということだ。
おまえの言葉が威勢がいいだけでボキャブラリーも3語くらいしかない、幼児語だと言ってるんだ、
わかるか?りーかーいーできるか?
「作家は自分の作品と向き合って初めて言葉が出てくるもんだ」かww
お前は一生そのしょぼい定型文から抜け出せずに死んでいくんだろうなw
死ぬまで人に伝わらないおまえの「作品とやら」と向き合ってな。
>>846 天才を「何かを越えたもの」というのであれば、その何かについて天才じゃない奴にも
理解できるものとして説明しなければならない。
自分が思うのは天才は「越える」のは「天才じゃない普通の世間」でしかないと思うぞ。
天才と言われるレオナルド・ダ・ビンチだってある意味科学かぶれだったし、印象派には
日本かぶれがだいぶいた。つまり「かぶれ」であることは作家の本物か否かの評価と余り関係ない。
中世の巨匠だって工房で師匠の技術を盗んでいたわけだし。
854 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 15:28:29.73
爺さん元気だな。顔真っ赤だぞ?血圧大丈夫か??
ゴッホの映画でも見てなよ、好きなんでしょ?ね^^
肉体年齢は27歳(タニタ調べ)だからなw
856 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 15:50:44.28
>>853 作品ありきのかぶれは全否定はしていない、ただし芸術が何かを先人の言葉だけで論理だてるのは健康的じゃない
おそらく過去のどの巨匠も作品なしの言葉ではどの時代も生き抜けなかただろう。それを認識したうえでの言葉の探り合いこそ意味があるのではないかと思う
作家というものは多かれ少なかれ自分の言葉を持っているものだから
技術を盗んだり科学の知識を受けるのは自分の中でかぶれではなく、自らの理想を追求していったときに外すことができなかった真理があったからだろう
印象派の日本文化への想いはかぶれに近いが未知なる文化へのあこがれでもあったんじゃないかな。あの時代に海外に行くことは容易じゃなかったしね
そのまま自分の方法論で作品に転化してしまう時点で所謂「かぶれ」では泣く新たな挑戦ともとらえられるが
なんにしろかぶれるためのモノへの探求じゃなく作家自身にいかに価値があるかを証明するための言葉・心理として存在するんだろうね
>>856 言葉は他者であり、自分は現在である。
だから「本物」はおのれの作品の中に「他者の現在」を現れ出でさせようとするんだよ。
858 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 16:13:54.22
>>857 今わかった。cattの「他者」とは自分が思う「世界」と同じ意味か。それなら理解できるな
誤解してたのは先人たちの言葉=他者だと認識してたわ。
なるほど芸術=人=世界に他者・世界を繋ぐ言葉が必要ってことか、まぁ作品自体がないと始まらないだろうが
自分の中では私・他者=人間と捉えていて私のしていことは他者がいないと成立しえないものだから切り離しては考えてない
世界とつながる手段自体も今は言葉ありきの手段だがそれも変容する可能性を秘めているからね、直接イメージを交換できる日も来るかもしれないから
859 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 16:21:56.32
言い返せもしねえのか、まずしょぼい人間だなw
まああんま調子のんなよ、くずwww
>>858 他者というのは言葉であり世界であり、フロイトの言う無意識でありサルトルの言う実存です。
自分の思惟はすべて他者の言葉からできているし、また自分は他者との関わりの中でしか発現しない。
自分というのはそういう他者の歴史的な現在(時間性)なのであって、それをいかに
たとえばキャンバスに現せるかが「描く」ということだし、他のジャンルの芸術も同様でしょう。
クラシック音楽を聞いて、その旋律が描く「他者の現在」に触れる時、われわれは震えるのだから。
cattさんってどこ大出身?
862 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 16:39:18.37
個人的には他者という言葉はしっくりこないな。この現代で世界と切り離された自分を見つけることの方が難しい
どんどん他者との境界線がなくなってって世界と一体化している現代に過去の哲学者の言葉がそのもも当てはまるとは思わない
数学や物理学のような普遍性を持つ記号で証明できるならわかるが、哲学に普遍性はないというのが持論です。
人間自体も日々変容していくものだからその瞬間その瞬間の哲学・言葉と向き合わなければ前に進めないと思うね、
特にこれからはものすごいスピードで生き方そのものも変わるだろうし。今を作りそれを順応させることができるかどうかで生存できるかが決まると思うよ
ちなみに自分は藝大。反模範生だけどね^^
>>862 時代の変化の速度や規模が「昔とは比べ物にならない」という根拠は難しいね。
過去の哲学は、それぞれ大きな歴史の転換点にあったと思うよ。
私はムサビ
みんな議論が好きね
じゃあ自分はムササビでいいや
866 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 18:04:10.23
>>863 そうかな?これだけ科学技術が発展してこうやって名前の顔もわからない人たち同士で
意味があるかないかわからない論争をしているのも劇的変化の一つじゃないか?
Face book か何かではもっと緊密に他人とかかわれるしね。
宗教にしてもそうだなips細胞や将来ガンになるかどうかや未熟児かどうかもわかるようになって
この段階で永遠に生命医学の発展が止まるとも思えない中、人は神がつくったという概念を超えるときがいつかは来る
過去の哲学・宗教は生存・戦争や未知なるウイルスとの戦いから生まれたのであってそれをある程度淘汰できる時代がきたなら
哲学そのものの意味が変わって来ているのだと思う。少し飛躍した話になるが人間そのものの規定がいくらでも動かせる時代になって
そもそも画面の相手「私」が他者・人間と識別できない時代が来たとしても相も変わらずこうやってチャットし合うかい?
>>866 >この段階で永遠に生命医学の発展が止まるとも思えない中、人は神がつくったという概念を超えるときがいつかは来る
ひとは神が作ったものではないし、生命医学や科学技術なんて所詮見えるものへの説明付けだから
いかようにも変わる。逆にいまだに人類には「時間とは何か」すら満足な説明ができていない。
それにこうやって掲示板で書き込むことも他人との、ましてや自分との対話ですらない。
ぜんぶ「他者の時間」への近づこうとするあえぎなんだよ。
868 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 18:28:50.60
>>867 自分も無宗教だが、現に宗教間の問題でクローン人間の禁止など科学の発展に足かせがあるのも事実
そこで言う>「他者の時間」
とはこの世界を作った、もしくはそのもの、いいかえれば神のような相まみえない存在の有する時間でいいのかな?
でもそこが自由だからこそ発想や理想が生まれるんじゃないかとも思う。
この世界の自分自身の位置と時間が未来過去ともにわかってしまったら創造すると言う行為は難しくなるだろうしね
自分はふてぶてしくもあなたの言う喘ぎをその他者とやらに直接届けてやろうと目論んでいるけどねw
>>868 他者というのは、必死で追い求めても見えたり見えなかったりするものだよ。
しかしまた、われわれは他者のうちでしかありえない。
他者がかいま見えたその瞬間、われわれは存在のうちで震えることができるけど
それを決してもののように掴むことができない。
だからたとえば美術作家はせっせと筆を動かすんだけどねw
870 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/08(木) 19:11:20.28
んだな。せっせと喘ぐわw
「これはパイプではない」ってヤツかね?
872 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/24(土) 06:36:49.08
CATTはたいしたこといってない
他の変に顔が赤いのが見えてるレスでうまくCATTが頭よく見えてるだけ
そう思った、ンガヒイッ
お、おう…
>>872 じゃ、一般人のレベルで翻訳しておくれ
気張って芸術論なんか読まなくても、絵を観て心が震えた経験があれば好いのさ
だけどさ、
こういう議論っていうのは、鑑賞者側の理屈だけで凝り固まってるんだよね、批評家の真似事でしかない。
しかし批評家の銅像というのはこれまで建ったためしがない。世代を超えて読み継がれる批評なんて無い。
特に、制作者が集まるこの板ではあまり有用な議論ではないね。
んじゃ絵描きの銅像ってあるのかな?
>>878 あるみたいですよ。
というか、創作者の実践経験から得た本音の語り合いを見たいですわ。
話題をかき回して申し訳ないけれども。
>>877 自分も若い頃の創作の経験を引きずっているだけだが、
とことん探求した画家については揺るぎないものになってるな
だからという訳じゃないが、
タレントがへらへらしながら「語る」番組を見てると殺意を覚える
まぁ気持ちはわかるけどさ、
そういうことって問題になれなくない?
作る側の本音というのは作品にしか無いからなあ
たとえばある絵描きが「これこれこういう絵を描きたかった」というのは本音じゃない。
本音なら作品に既に描かれているはず。
「描けない苦悩」とかについての作家のおしゃべりというのは本質的にはおまけであり不要なもの。
「まず最初に私は受容者であり、第二に作り手である。彫刻とは、受容者そのものなのだ」 ガブリエル・オロスコ(GABRIEL OROZOC)
「私の作品は思索を暴露すること。そうして、内的世界を通じて秘儀的な身ぶりを投影するのが楽しい」 森万理子(MARIKO MORI)
「人が自分たちのことを何と呼ぼうと気にしない。自分のつくりたい作品さえできればいい」 アトリエ・ファン・リースホウト(ATELIER VAN LIESHOUT)
「社会生活と権力の複雑さをテーマにしようとやってきたが、ヴィジュアル作品に関する限りは、難解過ぎないようにしている。作品には人々の姿を描きたい」 バーバラ・クルーガー(BARBARA KRUGER)
「アートを、格式ばった問いかけの道具に制限するのはおかしい。アートは断言するのではなく、選択肢を表すものだ。理想主義者と言われるかもしれないが、アートは批評する道具であるべきだと思う」 ヘンリック・プレンゲ・ヤコブセン(HENRIK PLENGE JAKOBSEN)
アーティストたちの生の言葉。簡潔だし、言葉に重みがあるよね。
なんて言うか、このスレを開く前はこんな言葉達が所狭しと踊っているのかと期待したので、
cattさんたちの議論はとても参考になるけど、上記の様な展開もちょっとやってほしい。
セザンヌやマチスの言葉を引用するならまだしも、そのへんの作家の言葉は
真に受けるべきではありません。w
そ、そうですかね…。
cattさんは権威が好きなんですか?
権威というか、cattはデュシャン以降の現代美術全否定でしょ
それでいながらその源流とも言うべきセザンヌを引き合いに出す辺りがcattの微笑ましい所ではある
こういう良き理解者がいれば好いんだよ
いつまでか知らないが、私は書き続けるだろう
人間は生きている限り、
自分の信じ愛するものを
力をつくして大切にするほかないのだから
吉田秀和 「たとえ世界が不条理だったとしても」より
>>886 権威じゃなくて歴史を乗り越えてきた強靭さです。
現代作家で作品は美術館なりが保存するとしてもその言葉が100年残る人が
どれほどいるのだろう。と疑うのです。
>>887 w
普遍性なら、運慶やミケランジェロのクオリティに、セザンヌやマティスは追いついているでしょうか。
人間は、経済や文化は発達させて来たけれど、芸術においては退化し続けているかも知れないですね。
千年愛されるシンプルで繊細な木彫なんて、この先に生まれるでしょうか?
>>884は取り消してもいいから、私はこのことが言いたいですね。
>>890 芸術に対する評価・評論は、ただそのときどきの見てくれに対するおしゃべりでしかありません。
そんなものは作るものにとってはまったく無用な邪魔なものです。
作るものはつねに自分の向かい合う自分と戦っていて、それは言葉以前のものです。
だからこそ運慶やミケランジェロは残りえているのでしょう。
892 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/25(日) 18:11:19.89
>>892 それは美術としての評価ではなくて「描く」という作業についての評価なw
894 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/25(日) 18:25:56.07
>>893 いやいや、あれはい1ミリも評価するに値しないだろ。「描く」と言う作業とは表現ときっても切り離せないもんだうが
この表現自体に強靭さがあるとでも言うのか?それとも誰からも相手にされない技術なし発想なし根性なし3流美大卒の馴れ合いか?
>>894 描く行為は表現とは別物。描くことは見ることだし、見ることは描くこと。
それは反復によって差異を味わうことだ。
美術の表現というのは、ある驚きに対して作家みずからが立ち向かいそれを獲得しようとする
志向の定着だから「描く」ことは必須なのだけど「それだけ」ではない。
さっきの絵について言えば、彼は「画面」への執着とそこに定着される「あるもの」を
楽しんで追い込んでいるように見える。それは忘れてはならない喜びだよなとふと思っただけのこと。
896 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/25(日) 18:49:56.62
>>894 まじで描くここと表現することが別と思ってるのか???
見ることと描くことは表裏一体だがそれを支えてるのはその人自身の表現に対する追求、想いだろ
つまりそいつ自身の力量は技術・素材・支持体選びからすでに始まっているのであって全て表現に収めるための仕事だ
色はまだしもあの線、形の扱い方イメージに対する観察眼のひどさと言ったらどうしようもないレベル。
あれを喜びと取らえるのはあんたの周りにそれまがいの表現がはびこってるからだろ?どんな御託並べても目が腐ってたら終わりだな
>>896 他者の観察眼なんて推量しようがないよw
898 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/25(日) 19:03:33.38
>>897 は????あの線を見てわからないのか・・・やっぱ目が腐ってるな。
表現というのは他者の表現に触れることによってしか見いだせない。
美術家というのはだれよりも他人の作品の表現を眺め尽くしているもののことだ。
彼は美術家ではない。表現云々で評価しようがない。だからそれはさておき
「描く=紙を支配するおのれの喜びの維持」という技術だけを取り上げただけだよ。
900 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/25(日) 19:59:15.85
>>899 もうめちゃくちゃだな。他者は世界そのもの。自己に内在するイメージも他者なんだよ。
全ての表現は世界がある限り無意識のうちにその上に乗っかっている、作家はそれをより分かりやすく伝えるために作品に還元する。その作品が稚拙であろうと全て土台は同じだ
それに表現者としての価値を話してるのに美術家ではない?は?何言ってんだ?
彼は彼なりに描画材料・支持体・モチーフを選んで表現してるんだろ?
まずそこが気にならないレベルで作品の向き合うのは素人同然。そしてcatt自身も表現を探求する人であるか大きな疑問がでる
まず日本の美術教育の敗者であることは推測できるがな。
素人、という語を使うことからしてすでにあなたの意見は素人だ。
このスレを汚さないでねw
902 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/25(日) 20:53:14.04
痛いとこは全部スル―ですか?作家・実際に生のアーティストとかかわっている評論家以外の鑑賞者を素人と言ってるだけで何言ってんだか
>>902教科書棒読みのレスにいちいち答えていてもつまらんからなw
「生のアーティストと関わっている評論家」もアーティストも鑑賞者の一部で、
べつに「それ以外」と分けられない。
アーティスト(作り手)は作ることによってアーティストだし、作ることにおいて「素人」
という概念は今やあんまり意味がない。むしろ「見る」ことにおいてある。
リチャード・ロングとかボイスとか理解できればの話だけど。
904 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/25(日) 21:29:25.49
また他人の言葉で逃げるんですか?
もちろん見ることにおいて素人だから表現者としての自覚がない稚拙だと言ってる
それを評価したあんたの言葉が
>彼は「画面」への執着とそこに定着される「あるもの」を
楽しんで追い込んでいるように見える。それは忘れてはならない喜びだよなとふと思った
>「描く=紙を支配するおのれの喜びの維持」という技術だけを取り上げた
これってオナニー絵画万歳・ヘンリーダーガ―万歳でいいの?それじゃそもそも芸術とは何かなんて語る必要ないじゃん。
誰か(他者)に届けようとして生まれた作品じゃないんだから他人の作品自体も理解できるはずがない、嫌、理解する必要がない
>>904 オナニー絵画以外の絵画などない。
意味を届けるだけの絵画などただの交通標識。
906 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/25(日) 21:40:27.12
>>905 そうかそうか、んじゃこのレスもオナニーってわけか。ご苦労なこった
意味を届けるんじゃない。己を届けるんだよ。後からその人・その人の作品自体が人・芸術にとっての交通標識になるんだろうがそんなことはどうでもいいこと
オナニーだけして現実と向き合わず戦わない奴の多くの絵は糞を拭く紙にもならん。
>>906 >意味を届けるんじゃない。己を届けるんだよ。後からその人・その人の作品自体が
>人・芸術にとっての交通標識になるんだろうがそんなことはどうでもいいこと
>オナニーだけして現実と向き合わず戦わない奴の多くの絵は糞を拭く紙にもならん。
比喩的に言えば、それは他人のオナニーを手伝ってるだけだな。w
908 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/25(日) 22:32:44.77
>>907 カッコつけてるつもりか?芸術が全てオナニーだとして行き付く先はなんだ?デュシャンのまねごとか?寒いぞ。
>>908 芸術が目指すのは人間だよ。
ヘーゲルが疎外で言い当て、ラカンがフロイトの無意識のうちに見たものだ。
デュシャンはべつに成功してるとは思わないけど、何を言おうとしているのかという
そのゆくえは指し示した。
どんな芸術でも、それが生まれた文化という厚い鎧を着ている。
その鎧の重さに気が付くのは、たとえば日本画を見たゴーギャンやゴッホのように
「日本文化に対しての素人」だけだった。
哲学が、比喩的につねに「意識」の初心者であるべきだと言われるように、絵描きはつねに
見ることの初心者であるべきだ。
「汝自身を知れ」という言葉だけが、文化を越えて存在し続けるのさ。
910 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/25(日) 23:22:15.52
>>909 前にも言ったが芸術が人そのものを目指すのは同意だが、時代により人そのもの・文化自体も変わっていく
だからこそむせかえるような意志と情熱をもちそれでも最高にクールな頭で一瞬一瞬世界・芸術・人間自体と向き合わなくてはならない
それこそ芸術・人の美しさであって次なる命をはぐくみ輝かせるための唯一の方法だ。
他人の言葉をかりて、できたつもりで自分は手を汚さないようなただのインテリは自ら輝くことはない、私は自ら葛藤して得た言葉のみを信じる。
cattの言っていることのすべてに賛同できるな。
さっきまでの愚か者はcattに言論を評価されたくて、だだこねてたんだろうな。
さすがにそう思われてしかたないほどcattは料簡が深いな。
913 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/26(月) 00:42:24.61
何言ってんだか。頭悪いな
cattが3流大卒のインテリ気取ってるオナニー信者ってことがわかったでけだ
そして表現者と言うより美大以外の芸術学科あたりを出ている似非表現者である可能性も出てきた
人間とは無限の可能性である。
915 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/26(月) 00:47:49.59
無限ではない。終わりも作れる可能性であるだけ。
>>913 おまえの思い込みだろw
ともかく学校のお印でその人間を評価したい内情はわかったww
おまえこうかいしてるだろ?
918 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/26(月) 16:02:58.28
東大出てても芸術に関しては3流だからなw
919 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/26(月) 16:17:00.71
日本においては東京芸術大学以外価値ないからな、他は廃校でいい
大学に一流もFランもないです。
偏差値やデッサン力という単純な物差しで人間まで計ろうとするのが2ちゃん脳というやつでしょう。
大事なのは、自分の母校や経歴を愛する事じゃないですか。
美術系には自己愛強い人が多いけど、作品を作るにはまず自分が好きじゃないと始まりません。
921 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/26(月) 16:37:45.85
芸大落ちた奴は日本で芸術やる資格なしの烙印おされるからな〜
実際私大で博士卒より藝大院卒のが顔が利く
大学というのは一つの山に向かうための門だよ。
どこから入ろうと同じ山に登るんだがどこまで行けるかは全く別問題。
芸大って世界ランク入ってたっけ?
923 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/26(月) 17:13:58.21
ここ100年で藝大以外の大学出身で世界で活躍したアーティストって何人いる?
平面だと棟方、池田満寿夫、草間、奈良とかあとは・・?
最近草間彌生が人気だけど、彼女は工業高校卒だな。
925 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/26(月) 17:27:11.62
親が芸術やるの反対したらしいね、最後の年だけ日本画やったらしい
金持ちなんだろうな、すぐ海外に行ってるし
小学校中退の東大教授もいて、その人はとても有名な人です。
学歴が必要なのは、官僚の世界でしょう。縁故やコネで採用するんだから。
美術の世界には学歴なんか要らないですよ。
927 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/26(月) 17:46:23.76
2浪ぐらいまでは芸大は受験した方がいい、基礎力を付けるためにもね、後入った後の人間関係の厚さが全然違うし
私大も成績上位者作品に賞金が出て展覧会とか学部生であるの?
928 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/26(月) 17:48:31.82
芸大は芸大or院卒しか教授にはなれないな、他大出身の客員教授いるけど
美術業界も半分以上コネだよ、公募展なんかも審査員の教授が自分の大学の学部生選んでるし
東京近辺の予備校講師も藝大だけだしな、私大出身者はどうやって生計立てるの?やっぱ美術系以外の仕事すんの?
お前ら自分で才能あると思う?世界に名を残せる才能
何つうか酷い流れだな
933 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/27(火) 13:53:51.75
こういう本音の板が
世の中すべての人に目に留まれば
ネロは居なくなる
アンダーソンくん?
935 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/28(水) 00:04:24.15
結局大切なのはそいつ自身が何を残せるか。そして今そのために何をしているのか
芸術が何かかは後から付いてくるぐらいがちょうどいい。
芸術がどういうものか枠を作っているうちは何も残せないと思うよ?
スレタイに難がある
937 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/28(水) 15:05:48.15
スポーツとはなんだろう
なにも競技で勝敗を争う事だけがスポーツではない。大リーグも地元の草野球も等しくスポーツだ
競歩というスポーツがある。歩く事さえスポーツなのだ
忙しい通勤、急いで歩道を渡る人々、「競技」という枠に固着せず考えれば彼らも「スポーツ」をしているではないか
体を動かすこと、それがスポーツだ。人は皆生きている限り体を動かす。寝ている時でさえ心筋を動かし続ける
スポーツとは「生きること」そのものではないだろうか
どんな分野も、ある程度枠がないとこんな風に暴走するだけだよ?
オーディオの専門家が「良いスピーカーはスピーカーの存在を感じさせない」と言ったが、
良い芸術作品というのは、作品じゃなくなるんだよね。
作家の感動がそのまま見る者の感動として伝わる。
catt、ちょっと調子に乗りすぎだぞw
その場合芸術作品に例えるべきは音楽の方であってスピーカーじゃないだろ
>>940 違うよ。作品はスピーカーのほう。
あなたのいう「音楽」というのがこの場合「芸術」。
つまり作品が芸術なんじゃなくて作品を通した作者と見るものの間にあるもの。
悪い悪いw、そうだな
正確に言えば芸術作品には音楽とスピーカーの両方が必要だ、そしてこれは切り離す事ができない
そうである以上芸術が永続的に知覚できるものとして在るためには作品で無くなる事などはないな
>>942 いや、見ているものの視界にあるその作品が、ということ。
944 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/28(水) 21:03:30.80
スピ−カ−が芸術作品か。
そういえば、へちまでスピ−カ−を作った奴がいたな
945 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/28(水) 22:28:38.89
cattあんたは結局何がしたい?糞みたいな大学にあんたみたいな自分は芸術家ぶって語る教授おるけどお前そいつらにそっくりだわ
自ら打ち出す作品はしょぼいのに、わかったよなことだけねちねちと大層に言うんだよね。周りがバカだから得意がってさ、アホ美大はお気の毒だわ
そもそもスピーカーありきの音楽てなんやねん。詐欺師の手口やな
>>945 スピーカーが無いと音楽が耳(感覚器)に届かないんだよ。
絵や彫刻作品がないと作家の見たものは見たものの眼に再現されないだろ?
これである。
947 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/28(水) 23:09:07.49
珍しく良いとこ突いてると思ったぞ
948 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/28(水) 23:12:10.73
え??生で聞けばいいじゃん?必須なのは楽器だろ。何言ってんの?
楽器(演奏)の再現が、スピーカーつまり聴覚への伝達器を通して再現される。
絵描きの再現は、あくまでその作品(画集やwebだと再現が鈍る)。
音楽は、絵画のように表現の定着ではなくて、その場での生成を楽しむものだから
若干意味は変わるがやはり良いスピーカー(再現力の高いもの)で聴くと
そのスピーカーの存在を忘れさせまるで演奏をその場で聴いているように思わせる。
絵描きや彫刻家の作品は、本質的に描かれたそれ。画集やwebで見てもあまり意味がない。
立体作品や絵の具の質感まで画集やwebで見届けることはできないからな。
950 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/29(木) 00:03:38.82
演奏だってそうだろ。そいつがどんな表情どんな体勢、指のタッチや息遣いで弾いてるのか気にしないよじゃやっぱただのインテリ消費者やな。
人を愛せない奴はホントの意味で芸術を理解できないし表現もできない
>>950 ずれてるぞ。
演奏はその身振りが描く音の世界が芸術であって息遣いは関係ない。
952 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/29(木) 00:25:56.20
cattちゃんよ〜息してる人間と対峙しろってことだよ。
>>952 じゃああなたはセザンヌやピカソと対峙しないのかい?
954 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/29(木) 00:31:51.35
ピカソとセザンヌだけが人間じゃないよ。
過去の美術作家や音楽家と対峙できないほうが問題だろw
956 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/29(木) 00:40:26.99
そんなもん誰でもできるがな。スピーカー買えばいいんでしょ?^^
息してるお前はどうなんだよてことだよ?死人は何も言っちゃくれないよ。都合よく解釈して自分に浸ってても何も生まれん。
ちがうな。
cattは真の人間との対話を言っている。
誰でもいいからおしゃべりすることじゃない。
わかるよ、優れた知性の持ち主であり、この国では面倒だ。
お前に返答するようにな。
>>956 おちつけ。
話題は「良いスピーカーはスピーカーの存在を感じさせない」と
「良い芸術作品というのは、作品じゃなくなる」の並列解釈だ。
上段のこの「スピーカー」というのは音楽表現を伝える装置だが、それが「良く」なると
音楽そのもの・演奏そのものと直接触れ合える、つまり(音質的な意味で)
スピーカーが消えるということだ。
視覚的な芸術の場合は、絵なり彫刻なりがこのスピーカーの位置にある。
雑誌に掲載された絵の画像よりも画集の美術印刷の絵の画像のほうが作者に近づける。
しかし、直接作品に向かい合うことよりもそれは鈍い(視覚品質的な意味で)
これを先に進めると、芸術作品というのは、作家の見たものや聴いたものへの
入り口でありスピーカーだ。
ここから下段の「良い芸術作品というのは、作品じゃなくなる」、つまり
作品を通して鑑賞者は作家の「見たもの聴いたもの」に到達できるのだと言っている。
絵だの音楽だのは、結局作家の搾りかすでしかない。
本質的にはそれを見聞きする「作家と鑑賞者」の関係性のうちにしか無いものなんだよ。
たとえばおれが、でかいペインティングナイフで赤い絵の具をがさっとすくって
壁に投げつける。そしてそれを指して「これは赤いバラだ」と言う。
何人かはそれを赤いバラであると認識するし、何人かはしない。
この投げつけられた赤い絵の具は、スピーカーなんだよ。
なるほどな。
そのとき赤い絵ノ具ではなくなるわけだ。
赤い絵ノ具でないものになるとき、
価値が起こされたわけだ。
ツイッター諏訪敦さんにフォローされて恥ずかしいわ
わたしヘタクソなのにじっくり絵を見られていやん
藝大でもあれだけ描ける人なかなかいないからなあ
上手い人って他誰がいるっけ
おしゃれで上手い人
会田さん、寺田さん、ほか知らないや
963 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/29(木) 10:41:50.98
あ〜後俺かな
>>959 あれ?
作者の意図というのは作品にしかないんじゃなかったっけ?
「これは赤いバラだ」といのは単に作者の一解釈でしかないでしょ。
cattさんがそんなプラトニストだとしたら少しがっかり。
>>964 作品の意図というのは作者と鑑賞者で作られるんだよ。
赤いバラだと作者が言って(作者側の意図)もそれを赤いバラだと認識しない鑑賞者もいる。
ここで問題にしているのは「赤いバラだ」と告げるスピーカーとしての「作品」のこと。
>>965 たとえば「赤いバラ」ではなくて「赤いタコだ」だと認識する鑑賞者がいるとする。
時としてそのような他者の認識が作者に作品の新しい側面を気づかせてくれることもある。
cattさんのいうフロイトの無意識みたいなものだね。
つまり「赤いバラ」であり「赤いタコ」である赤い絵の具が透明になることはありえない。
作者の意図が作品にしかないように、見るものの解釈もまた作品にしかない。
作者の生い立ちや苦労を作品に読み込むようになっちゃうと、それは
ちょっと違うぞとしか言い様がない。
「無意識」というのはフロイトの仮説でしかない。あのおっさんは夢の分析から
無意識なるものを目指したけど、それは前意識でしかないし、哲学的には
一瞥された知覚領野での前認識に充ち満ちた霧だ。
楽器ができたから音楽が生まれたんじゃなくて、音楽が先にあったから楽器ができた。
原始、それは歌であり物音であっただろう。
同様に絵の具や粘土や刃物ができる前から絵画はあり彫刻はあっただろう。
そしてその原始の芸術は、表現者が表現したいそれを相手(自分)に伝えるために
やはり「これは赤いバラだ」と言った(描いた・演奏した)だろう。
スピーカーというのはそういう意味。
で、「一瞥された知覚領野での前認識に充ち満ちた霧」の中から表現を取りだそうとするのが
作者の意図であり、見るものの意図は「それは何か」に終始する。
作品を通してその「何か」に到達しようとするそのさまをを芸術という。
>>967 「無意識」は以前cattさんが比喩的に用いていたからここでも比喩的に引用しただけよ。
言いたいのは作品というものが作者の一解釈に安易に還元されない得体の知れない側面を常にもっているということ。
しかも良い作品ほどそういうものだと思う。
だからつまらない作品だったらともかく、良い作品が透明になることはありえない。
>>969 えーとその「透明」というのが分からないんだけどそれは「消える」を
指しているのかな?
>>970 作品を知覚する「過程」がなくなるってことだね。
それと芸術を語るときになにかと「表現」という言葉を使うのにはなんか抵抗があるなあ。
日本人特有かも?と思ったりする。
英語だとrepresent(表象)とexpressがあって、expressはけっこう近代的な意味に限定して使うよね。
日本人はその両方を曖昧にして表現と言う。するとみんな近代的な表現主義者になっちゃう。
>>971 自分が言うのはそういう意味じゃない。
見えなくなるのではなくて見えているものが指し示すものが置き換わるということ。
>>972 expressだよ。つまり意図そのものの「押し出し」。
シニフィアンに対するシニフィエは意図ではなく意図が目指す内容であり、それは
意図は「何か」を目指して作品に固定され、それを通してしか内容に届かない。
優れた作品は、意図を越えてないようそのものを見るもの聴くものに届ける。
その時作品(スピーカー)は「消える(解消される)んだよ。
たとえば良い音楽家の演奏を目の前で聴いている時に、とつぜん音楽そのものが
消えうせて音楽家と感動そのものを共に持つ瞬間がある。というと分かるだろうか。
>>973 えー、そうなんだ?
私はどちらかというと逆だなあ。
良い作品を見ているとき、消え失せるのはむしろ作者。
この作品を最も深く理解しているのはこの世で自分だけだという気持ちになる(笑
>>974 作品と向かい合う時に作者などは最初からいない。
そこには作品しかない。だから「身振り」や「生い立ち」など不要だと言ってる。
「作品」というのは、決して「作品」としては見えないし聞こえない。
ある絵の前に立った時に、その隅々までを一度に見ることは人間には生理的に
不可能だ。視覚には中心視と周辺視というものがあって中心視(ピントが合わせられる範囲)は
わずか2度ほどの視角しかない。「見回す」ことによってしか「そこに何が描かれているか」を
確認することはできないし、「そこに何が描かれているか」と作者の「意図」はぜんぜんべつのもの。
>>968 何かを奏でたい、何かを描きたい・・・・・・
そういった欲求がヒトをして道具を生み出させたんだろうね
その「何か」に限りなく近いモノを求めてね
>>973 それって要するに「過程」がなくなって「結果」が残るって言ってるようにしか聞こえないんだけど。
でも芸術作品は過程を経験することの中にしか存在しないと思う。
それがイデアのような何かに変換されてはい終わり、なんてことにはならない。
だからあれプラトニストだったの?って思った。
>>975 そうだよね。それはそう思うよ。
>>977 イデアおようななにかではなくて、そこにそれが生まれ出ずる瞬間に立ち会うんだよ。
だから芸術の鑑賞というのは知識ではなく体験としてつねにあるのさ。
そうそう。
過程というのはメディウムの経験ということ。
つまり、芸術の場合、メディウムはいつまでたっても透明にならない。
メディウムの中にとどまることが芸術の経験だから。
10代の頃に美術館でセザンヌのセントヴィクトワール山の前に立った時、自分の前で
その絵が消えうせて、セザンヌの眺めた山が見えた。ああいう視覚体験って忘れられない。
>>980 ああ、好い体験だね
自分も20代に大原のポロック「カットアウト」を観て、絵の中に吸い込まれていく様な体験を覚えた
>>981 巨匠の作品は、そういう意味で実物と向かい合うことが大事だね。
画集やwebでは得られない体験になる。
983 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/29(木) 21:56:39.94
俺は小さいころ自分が描いた鳥が絵の中で動きだし飛びまわるのを見てビックリしたかな
他者の表現から芸術を見つめるのもいいが世界そのものと対峙する方がはるかに真の芸術と向き合える
本当に新しい表現は絵の中にはない。
うん、何事も謙虚に向き合う事だ
cattはポロックを巨匠だと思ってるの? cattが立ってるのはそちら側じゃないと思ってたんだけど
986 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/29(木) 22:41:05.43
だからcattはインテリ似非表現者や。ただ崇め流布するだけの人。
ポロックが巨匠かどうかと今の話題はあまり関係ない。
>>982からは明らかにポロックを巨匠と見ているようだけど違うの?
例えば
>>981がラッセンの絵を観て…とかだったら、巨匠の作品は…なんて答えないでしょ?
>>988 話題の筋から離れてるぞ。
誰かが誰かを巨匠と思ったら、それはその誰かにとっての巨匠ではあるだろうさ。
>>988 いずれにしてもポロックは巨匠だけどね、何か?
991 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/29(木) 23:10:49.62
くるしいのがれ。もう認めろ芸術できる人ってすごいな〜それをわかる俺もすごいな〜だろ?
芸術家というのは芸術という罰を背負わされた者のことだ。
得意がることなどできない。
993 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/29(木) 23:15:58.70
罪wwww本人には苦しみの方が多いかも知れんが俺は希望だと思うな、そう思わんとやってられん。
994 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/29(木) 23:17:14.15
罰w
罪じゃないw
996 :
ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη:2012/11/29(木) 23:19:48.44
報われるかもしれない一瞬のが尊いんや。だから希望
>>989 ポロックをどう見るかとcattのこれまでの話はけして無関係ではないよ
これは突き詰めていくと抽象表現主義やミニマリズムにも通じていく
ただこの件でcattと議論しても平行線で終わるのは目に見えてるからする気もないけど
ポロックに対して巨匠の作品ときたもんだから思わずビックリしちゃって
別に変な意味じゃなく純粋な興味で訊いてみただけだよ、cattはポロックをどう見てるのかさ
>>997 個人的興味としてはポロックはどうでもいいかな。
まあ、そうだろうなw
巨匠なんて言うからビックリしたよ
1000 :
981:2012/11/29(木) 23:52:49.86
>>997 誰が巨匠なんて、たいした意味はないよ
その人にとってどれだけのインパクトを与え得るかどうかでしょ
件の絵を観るまでポロックなんて名前くらいしか知らなかったし、
その時はモネの睡蓮を観に行った訳だが、それはたいした事なかった
だからといって、モネについての評価は揺るがないけどね、ま、当たり外れだ
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