海軍中将 大西瀧治郎 について

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51音速雷撃隊
レスどうも>毀誉褒貶殿
確かに私も「それ」については良く思索する。
果たして「自身がその立場になった際に死を潔く覚悟できるか」
ということについて。
一般に人は「死」をその日常生活の中で意識することは稀であろうと思う。
私は幼少の頃肺炎で医者に見離されたり、高校生のころ結核(耐ストマイ)の恐怖
に対峙したり、長年の趣味のオートバイで死を目前に実感したり、と
「死」について鑑みる折は人より多かろうと思っているけれども、
その上で考えて。
慈しんでくれた父、母、兄弟、自分のこれまでの人生に縁の有った人たち、
生まれ育った故郷、そういうものを統括した自国の為に、
出撃せよという任務が課せられれば自分は潔く迷う事無く出撃出来ると思う。
が、しかし「自身が下した業務上の命令に対してみずから腹を切れるか」
という事を考えると考え入ってしまう。
おそらくは私自身としてはとても切腹は出来ない。
こめかみに南部14式の銃口を宛て、引き金を引くという自決になろうと思う。
冷静に熟考しても、とても大西中将の様な壮烈な末期を決する自信は無い。
あえて腹を切ったのは大西中将自信の漢のけじめのつけかたであろう。
もっと楽な死に方はいくらでも在るのだから。
私にはここまでの気概と覚悟は持てそうに無い。
正にあっぱれな帝国指揮官であったと思う。
富永恭二中将の話は存じませんでした。提示有り難うございます。
しかしながら富永中将に対して侮蔑や軽蔑の念もそれほど沸きません。
戦時の被害者であり、彼にも大切な家族がおり、戦争さえ無ければ不名誉を受ける事無く、
平和で幸せな生活を営んでいたのでは無いだろうか?と考えると・・・。
これら踏まえて考えると、大西中将の死に様は「他者(上記に挙げた自国という定義)
に対する大きな愛情とサムライの精神を受け継ぐ日本男児」であろうと感じています。
私はとても腹切は出来ない。