朝鮮戦争の時の韓国軍

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30名無し三等兵
何年か前にフェリーに乗って韓国ビンボー旅行したとき
船中で初老の韓国人と知り合い、戦争の話を聞いた。
この人は横浜で生まれ育ったそうだ。1950年9月のマッカサー
反攻時に帰国し、僅か数週間の訓練で最前線に投入された。
かなり後から編成された部隊で、鉄帽・軍靴は支給されず、
地下タビ・戦闘帽姿だったとか。軍隊内では日本からの
帰国者に対し大変な差別感情があって、
「貴様ら,今まで日本人の味方しゃーがって!
今度は中国人の味方になるのかっ!」言われ続けたそうである。
将校も元日本軍人派と元、蒋介石国民党軍出身者派に
分かれており、何かと対立していたとの事。
この人は結局中国軍の斥候部隊に捕まり(1950年12月頃)
そのまま終戦まで北朝鮮の捕虜収容所に押し込まれていた。
ここは大変冬の寒さが厳しく、本人は何とかしのいだが、ハワイとか
カリフォルニア出身の米兵は餓えと寒さでバタバタ死んでいったそうだ。
中国軍も北朝鮮軍も白人米兵は白兵戦に弱いので
馬鹿にしていたらしいが、黒人を恐れる風潮があったらしい。