ヨーロッパの剣は…

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654この悪魔的な発明
 16世紀初めに出現したピストル騎兵は、実戦での華々しい働きは殆どなかったが、
装甲槍騎兵の戦場における主権を終わらせ、16世紀末には消滅へと追い込むことに
なった
 装甲槍騎兵が担っていた強襲戦術は、1620年代にグスタフ・アドルフが編み出した
サーベル突撃、即ちピストルを発砲後、サーベルを抜いて斬り込む方法に取って代わられ、
この突撃戦術は形を変えつつ20世紀に至るまで騎兵の典型的な突撃スタイルとなった

 装甲槍騎兵の消滅はまた、歩兵戦術の技術的変化に大きな影響を及ぼした
 最も重要だったのは。強襲戦術の脅威が減少したことだった
 槍は全ての歩兵にとって騎兵に対する重要な防御手段であり、騎兵の脅威が
存在する限り槍対銃の比率を比較的高く保つ必要があった
 しかし、16世紀の後半になって騎兵の脅威が減少するに従い、歩兵が槍に頼ることが少なくなり、火器に一層依存することができるようになった
 一般に、歩兵への火器の依存が増大した原因は火器の性能向上という技術的要因に
よると言われているが、少なくともこの説に対する明確な証拠はない
 騎兵はより軽装になり、ピストルに依存することが多くなった
 それにより、歩兵が火器に依存することが可能となったのだ

 歩兵の隊列は箱形から横長へと変化し、槍に銃を守らせるのではなく、
銃に槍を守らせるようになった
 槍は装甲槍騎兵の破壊的な衝撃力を伴った突撃に対する主防御兵器から、
滅多に起こらない軽騎兵の襲撃や突発的に発生した近接戦闘に備える自衛兵器へと
その性格を変化することになったのだ
 この結果、16世紀後半には、槍兵の小さなブロックを中心に、袖のようにとりついた
銃兵のブロックが守るという新しい歩兵隊列が生み出された
 この部隊は、一つの複合隊形から新たな別の複合隊形へと変化できるよう訓練され、
必要なときには槍兵が銃兵を包み込むことが出来た
 従来の巨大で鈍重だが防御力の高い集団隊形にかわって、16世紀後半には
細長く線状の梯隊隊形が普及することになる
 反面、こうした複雑な部隊運動を要する隊形は、展開の最中に攻撃されれば
戦力を発揮できないという危険性を含有しており、指揮官たちもそれを十分承知していた
 結果、より訓練された兵士とより多くの士官、下士官の需要が増大し、
厳格な基本教練が重視されるようになった
 号令一下、一糸乱れず行動する兵士を見て、当時の人々は「ローマ風」と賞賛したが、
実際にはローマのレギオンとは全然関係なかったのだ

 これらの動きは、極言すればホイールロックピストルという比較的非力な兵器が
引き起こした変化だった
 そして、一度この新兵器が戦術の障壁を突き破ると、騎兵にとっても歩兵にとっても
戦術そのものが二度と後戻りできない程変化したのだった


そんだけ