ヨーロッパの剣は…

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645神話の黄昏
 皇帝軍砲兵の防御射撃はスイス槍兵の隊列に大きな損害を与えたが、スイス槍兵は
恐るべき規律をもって整然と隊列を維持し壕に到達した
 壕は槍が届かない程深く、スイス槍兵の攻撃前進は停止した
 あまりに壕が深かったため皇帝軍の砲は俯角をとることができず、取り敢えず砲撃を
受ける心配はなかった
 スイス槍兵が塁壁をよじ登るために壕の底に集結した時、スペインのアルケブス兵が
壕の手前で展開し、スイス槍兵の密集した横列に向けて4回の斉射を浴びせた
 この殺戮にも関わらず、スイス槍兵の一部は塁壁を登ったがドイツ傭兵の逆襲により
追い返され、結局夥しい死傷者を残して後退した

 スイス槍兵は、15世紀と同様に騎兵が槍兵に対して戦う際の最高の戦術である
素早い突撃の歩兵版を火器に対して試み、失敗した
 その後もスイス傭兵はそれまでと変わらず重用されたが、もはや二度と大胆と放胆を
発揮することはなく、スイス槍兵の無敵神話は終息した
 そして、障害物を巡らせた陣地に組み込まれた火器が、極めて強力な防御兵器で
あることを完全に証明した戦闘となった

 イタリアでの一連の戦闘が編み出した火器を使用した戦術は、特筆されるような
革新的な面は一つもなかった
 成功した唯一の方法は失望するほど保守的なもので、火器を防護する野戦築城を
行うことだった
 堅固な防御のみが、小火器の射程の短さと不正確さ、限られた威力、低い発射速度を
埋め合わせた
 築城強度が不十分な場合、防御側に不手際がった場合は攻撃側が勝利するチャンスが
十分残されていた
 壕が無傷で防御部隊の統制がとれていれば、攻撃側はまず間違いなく敗北した
 そこは機動力が火力と防御力に完全に敗北した戦場だった

 火器が与えた命題に対する15世紀の軍隊の導き出した解答は防御至上主義だった
 頑ななまでに防御に徹することこそ戦闘に勝利する最も現実的な唯一の方法と
誰もが信じたのだった


そんだけ