ヨーロッパの剣は…

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640硝煙の丘
 両軍がチェリニョーラから教訓を得ていたことは1512年のラヴェンナで証明された
 スペイン・教皇連合(神聖同盟)軍は、フランス軍に包囲されたラヴェンナ市を
救援すべくロンコ川を挟んで市の南に布陣し、壕を掘って攻撃を待ち構えた
 神聖同盟の指揮官ペドロ・ナバロはチェリニョーラでゴンサロの副官として
アルケブスを指揮しており、アルケブスを中核とする防御戦術に習熟していた
 ナバロの目論み通り補給が細りつつあったフランス軍は、市の包囲を解き
同盟の陣地を攻撃すべく南下を開始した
 同盟の陣地は、背後を川で、前面を塹壕と土塁壁で固め、壕の防衛をアルケブス兵と
槍兵、砲兵で固めていた
 また、ナバロは大型の小火器を搭載した防護板付きの二輪車を幾つか配備していた
 この火器は重い銃身を支えるために二股の支えがついていたことから
「鉤付きのアルケブス」と呼ばれた大型アルケブスで、後のマスケットの直系の
先祖であった

 フランス軍は敵前でロンコ川を渡河したが、ナバロは砲兵による小規模な擾乱射撃
以外はフランス軍を攻撃しようとしなかった
 ナバロは、陣前出撃の危険性もあったろうが、自分の野戦要塞に対して大きな
自信を抱いていた

 フランス軍は、今度は闇雲に突撃しようとはせず壕の前に整列した
 大砲の先駆者であるフランス砲兵は、質量共に同盟軍砲兵を上回っており、
更にラヴェンナ市攻略のために随伴していた攻城砲も運んできていた
 同盟のアルケブスを使った近距離での戦闘を回避し、優勢な砲兵火力で勝負を
決しようとする意図は明白だった
 フランス軍は正面突撃のかわりに砲撃戦を開始し、これに同盟軍砲兵が応射した
ことにより、歴史上初の砲兵戦が約2時間続くことになる


そんだけ