ヨーロッパの剣は…

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624印地打ちたち
 いろいろご意見有り難う御座います
 まさか「そんだけ」が通り名として認められ、1週間足らずで騙りまで現れるとは
望外の至りであります
 ご期待に添えるよう頑張らせて頂きます

 初期の大砲は、野戦においては物理的にも精神的にも革命的な威力を発揮しなかった
 むしろ、大砲は攻城戦において手広く使用された
 一般的に攻城戦は持久戦となる傾向が強く、攻囲が長引けば敵の援軍や兵站の途絶
などに対処しなければならなかった
 このため、指揮官たちはこの状況を打破して短期間で要塞を落とせるならば
何でも試みようとしていた
 大砲は指揮官たちの要求に打ってつけだった訳ではなく、「取り敢えず試してみよう」
とういう程度であり、最初は景気がいいことを除いて目を見張る程の成果を
挙げることはなかった

 投射兵器としての大砲は、攻城戦において前代未聞の新兵器ではなかった
 ローマの戦争技術、特に攻城技術は完全に失われた訳ではなかった
 少なくとも、7世紀には攻城用のシーソー式大型投石機が登場し、
2台の巨大な牽引式投石機がそれぞれ百人の人力でリスボンに石弾を発射していた
 12世紀には精度向上のための改良が完了し、人力の代わりに鉛の錘が用いられ、
石弾は球形に加工されるようになった
 記録では最大1.4トンの石弾が発射されたと言われているが、
標準的な石弾は100キロ強程度だった
 これでも、ローマ軍が使用した石弾の10倍近い重さだった
 当然、城塞も投石機に対抗して強化されたが、同一箇所に石弾を集中させることが
出来るようになった投石機のほうが有利であった
 このため、投石機は大砲が一般化した15世紀になっても使われ続けた


そんだけ