ヨーロッパの剣は…

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585我が名はレギオン
 マケドニアスタイルの軍隊はしかし、世界帝国規模の巨大な経済力の支援がなければ
維持できるものではなかった
 ローマは、突撃のスピードに頼ったギリシア式ファランクスが、それ故に攻撃に純化し、
鈍重で防勢での脆さを露呈したことをカルタゴとの戦争で学び、
マケドニアと違うアプローチを試みた

 ギリシア式ファランクスが全速突撃に全てを賭けたのは、それが敵の隊列を崩す
効果的な方法だったからだが、レギオンでは歩兵が投擲する投槍に代わった

 一度崩れると手の施しようがない過度の密集隊形を放棄し、ある程度の間隔を確保した
緩い隊形を選択した
 この隊形はファランクスよりも崩れ易かったが、3重の横陣を編成することにより
後列の素速い増援と、消耗した前列の速やかな後退と再編成を可能とし、
継戦能力が著しく向上した
 ローマの関わった戦闘が比較的長時間続き、最終的にローマのスタミナ勝ちの様相を
呈するケースが多いのはこれが理由だった

 また、高級指揮官を隊列から引き離し、比較的安全な後方の司令部に座らせ、
指揮官に白兵戦の熱狂のかわりに冷静に戦場を分析させる空間と時間を与えた

 槍の投擲により敵の隊列を乱し、短剣を抜いて斬り込む勇壮な戦闘スタイルは
乱戦に陥って隊形が乱れ戦線と統制することが困難になる危険性が付きまとっていた
 このため、レギオンはモラルと規律、戦闘能力の高いローマ市民を
どれだけ供給できるかと、経験豊富な前線指揮官である百人隊長の指揮能力に
大きく依存する戦術であり、あれ程猛威を振るいながら最後には消滅してしまった
一因となった


そんだけ