ヨーロッパの剣は…

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557おフランス騎士の逆襲
 1415年、フランス軍は、アジャンクールにおいてもう一度イングランドの
長弓射手を打ち破ることを試みた
 ポワチエのように、騎兵の突撃のみに全てを賭けたのではなかった
 数の優位をいかし、イングランド軍の陣地正面を下馬騎兵で拘束しつつ、
イングランド陣の側面からの騎兵突撃により長弓射手を殲滅しようと目論んでいた
 このため、イングランドの長弓戦術が陣地として好んだ小高い丘がわざと放置されたが、
 ヘンリー5世はその丘に見向きもせず、両側面を森林で挟まれた狭く泥濘化した平地に
布陣した
 この時点で、フランス軍がイングランド軍を側面攻撃により撃破できる機会は失われた
 しかし、フランス軍はイングランドの長弓の前に全力攻撃を掛ける愚を十分に
承知しており、両軍は約1000メートルの距離を保って対峙することになった
 両軍が相手の攻撃を期待し、その攻撃を粉砕することにより勝利を得ようと
考えていたことは明らかだった

 先に動いたのは若いヘンリー5世だった
 しかし、全力突撃したわけではなく、全軍をゆっくりと前進させ
フランス軍の200メートル以下の距離まで接近させた
 この時、長弓射手たちは長弓と矢の他に両端を尖らせた杭を担いでいた
 彼らはそれを自分の前の地面に突き立てると、フランス陣地に射撃を開始した
 フランス軍とて拱手していたわけではなかった
 大急ぎで突撃準備が整えられ、長弓の最初の斉射を盾で受け止めた直後には
突撃を開始した

 結局、突撃は成功しなかった
 泥濘化した地盤、応急の植杭陣地、イングランドの下馬騎兵が突撃のスピードを殺し、
狭い戦闘正面がフランス軍の戦力発揮を阻害したことは明らかだった

 結局、フランス騎兵は多大な出血を払いながらもイングランドの長弓戦術を
克服することはできなかった
 しかし、当時の中世ヨーロッパでイングランドだけが長弓射手という特殊な兵科を
組織化できたこと、長弓戦術が防御に特化した戦術であること、そして、
イングランドの長弓射手自身がやがて消滅したことを考えると、
装甲槍騎兵の戦術的有効性が失われた訳ではなかった


そんだけ