ヨーロッパの剣は…

このエントリーをはてなブックマークに追加
655我は歩兵
 テルシオの成功による戦術面での行き詰まりを打破したグスタフ・アドルフは、
線状の隊形と騎兵の強襲任務の限定的な復活を果たし、戦場で実証した
 しかし、彼の戦術は絶え間ない規律と訓練を必要とし、巨大な常備軍を維持する
必要が生じ、更に巨大な常備軍は「あるものは使ってみたい」軍人の性を刺激して野心的な出兵を繰り返させ、いわゆる「戦略革命」をもたらした
 8年戦争でフリードリヒ大王の編み出した密集陣形は、より緻密な部隊展開
と規則正しい斉射を重視することにより、攻撃面で著しい成果をあげた
 ナポレオンは部隊の機動力を向上させ、大胆な機動戦により相対戦闘力上の
優位を現出させ、従来の戦術で戦う敵を圧倒した
 これらの一連の戦術改革の動きは、全て質の高い兵員への訓練と教育が前提と
なっており、ますます兵士への負担を強いることになった
 そして、戦闘で失った兵士はそう簡単に補充できるものではなかった
 ナポレオンもこのジレンマから逃れられなかった
 ナポレオン戦争初期、十分な訓練を受けた兵士を率いたナポレオンは、
比較的小規模の俊敏な部隊を編成し、多くの軍事的成果を収めた
 しかし、敵が彼の戦術を学び、更に古参兵たちが消耗すると、彼の戦術の優位は
失われるようになった
 補充された新兵たちでは彼の戦術には付いていけなかった
 結果、ナポレオンの軍隊は徴募された質の低い兵士で構成されるようになり、
テクニカルな部隊行動を諦め、機動力より火力を重視する大型で鈍重な隊列へと
先祖帰りすることになる
 悲惨な消耗戦の前兆であり、ナポレオンの天才的な指揮手腕をもってしても
どうにもならなかった
 これが、一般に「士気が高い」といわれたフランス国民兵の実態だった

 洗練された歩兵隊列はしかし、他の歩兵戦術を圧倒できるだけの能力があった
 アメリカ独立戦争において、植民地軍は散兵戦術でイギリス軍を翻弄したが、
それはイギリス軍が行進隊形や戦闘展開の時だけで、一度展開を終えたイギリス軍は
必ず植民地の義勇兵を撃破した

 歩兵が密集隊形を放棄し、散兵戦術へと移行するには19世紀の金属式薬莢の
登場を待たねばならなかったが、それはまた別の話


そんだけ