ヨーロッパの剣は…

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652遮る生垣も壕もない
 1544年のチェレゾーレの戦は、両軍の軍事改革の是非が問われる戦闘となった
 この戦場は、自然の遮蔽物や障害物が全く存在しないなだらかな平原であり、
その点で優勢な装甲槍騎兵を有するフランス軍にとってかなり有利な要因となった

 両軍はそれぞれ砲兵を随伴し、敵の隊列を打ち崩そうとしたが、この戦闘では
ほとんど成果を上げられなかった
 指揮官たちは、砲を敵の近くまで推進することの危険性を認識するようになり、
放列はかなり後方に展開していた
 また、どちらの軍の歩兵も最早立ち尽くして砲兵合戦を見物するようなことはなく、
僅かな丘や物陰を探し、必要なら穴を掘って身を隠そうと努めていた

 また、まだらかとはいえ高低差のある地形では、両軍の将兵は両翼に展開する
友軍の部隊の姿を見ることは出来ず、目前に敵の部隊が見えるだけだった
 これが、この戦闘で各部隊の協調がうまくいかなかった原因となった

 パヴィア戦後に起こった技術革新の一つである新型の歩兵方陣が初めて大規模な会戦
で試されることになった
 スイス槍兵が発明した方陣を手本とし、先任下士官が槍兵による正方形の方陣を組み
その外周にアルケブス兵が配置された
 アルケブス兵は前進してくる敵の隊列に対して射撃を浴びせた後、正方形の内部に
退いて防護を受けることになっていた
 このようにな兵科の異なる部隊を実際に運用することは困難だったが、
少なくとも皇帝軍もフランス軍もこの新型の方陣を支障なく機能させることに
成功していた


そんだけ