ヨーロッパの剣は…

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649槍の林、槍の丘
 それでもフランス騎兵の一部は皇帝軍の陣地地域を突破することに成功し、
突破口を拡大しつつあった
 皇帝軍は陣地脇を流れていた小川の堤沿いに後退し、非常な努力によって銃兵を
再編成して狭い防御地域を構成し、そこで最後の突撃を待ち構えた

 実際、濃霧は皇帝軍に有利に働くことになったと思われる
 優勢なフランス砲兵は、短視程で自軍の背中しか見えず、ついに発砲できなかった
 ビコッカで地獄を見ていたスイス槍兵は、全面攻撃をかければ成功していただろう
状況であったにもかかわらず、損害を恐れて不用意な突撃を躊躇していた
 そして、もしペスカラが戦場全体を眺望してスイス槍兵がいまだ健在であることを
知ったならば、貧弱な遮蔽物を捨てて後退していたかもしれなかった

 最終的に、皇帝軍の目前に拡がる藪に覆われた沼地で立ち往生したフランス騎兵は
小火器の複合射撃に晒されて壊乱、乗馬を失ったフランソワはスペインの槍兵に囲まれ、
ここで捕らえられることになる

 後に言われるように、この戦闘で重く威力のあるマスケットがその有効性を証明し、
歩兵の編成の変革と火器保有率の増加に繋がったとする主張には賛同できない
 真に着目すべきは、人工の障害物無しで銃兵が戦い、勝利したことにあった
 槍を持ったドイツ傭兵は、障害物に任されていた役割を演じて銃兵を守り、
時には敵を銃兵の射界に押しやり、銃兵が最大の損害を敵に与えられるようにした
 結局、この戦闘の戦術的教訓も、異なる兵科を協調させて敵を打ち破るという
変わり映えのしないものだったが、野戦築城からの脱却という点で、セジア川での戦
とともにテルシオが生まれる契機の一つとなった


そんだけ