ヨーロッパの剣は…

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648狩猟場の霧
 1525年のパヴィアにおいて、小火器はこれまでで最も決定的な役割を
演じることになった
 パヴィアを包囲攻撃しようとしたフランス軍の宿営地を、ペスカラ侯指揮下の
皇帝軍が3週間にわたって逆包囲し、夜襲を繰り返した
 フランス王フランソワ1世は、皇帝軍の侵入を防ぐために可能な限りの戦力を結集し、
払暁の濃霧の中を反撃に出た
 皇帝軍は野戦築城を行うだけの時間も資材もなく、大砲は既に失われていたため、
銃兵たちは低木林や生垣の中にあらゆる種類の遮蔽物を探す羽目になった
 結果、皇帝軍は小グループに分かれて戦場一帯に分散し、明確な戦線を
構築することなくフランス騎兵の突撃に晒されることになる

 このように従来の防御における基本的要件を皇帝軍がほとんど欠いていたにも
かかわらず、最終的にフランス軍の攻撃は破砕され、最終的にフランソワ自身が
捕虜となった

 原因の一つとして、戦闘の終始を通じて濃霧が戦場を支配していたことが挙げられる
 視界の極端な制限はフランス軍の協調的な行動を不可能とし、フランス軍は全線に
わたって小部隊ごとに行動した
 少なくとも、槍対槍、皇帝軍のドイツ傭兵とフランス軍のスイス槍兵との戦闘は
ほぼ互角だった
 しかし、フランス騎兵は突発的な遭遇戦に近い状況で近距離での不意急襲的な射撃に
対応できなかった
 このような至近距離の火力戦で、貫通力の優れたマスケットは完全被甲鎧を
着用していた騎兵に致命的な威力を示すことになった


そんだけ