ラヴェンナの戦は、様々な教訓と課題を残した
スイス槍兵は、野戦築城の利点を奇襲によって無効化しようとした
1513年のノヴァラの戦で、長年の雇用者であったフランスを捨ててスペインに
雇われていたスイス槍兵は、フランス軍がまだ壕を掘らないうちにその宿営地を襲撃した
スイス槍兵はフランス砲兵の突撃破砕射撃による損害を無視して強襲を実施し、
ドイツ傭兵を襲い大砲とアルケブス兵を一掃した
フランスの指揮官フルーランジュ元帥は、予備のドイツ傭兵に砲兵とアルケブス兵
800名を増強して方陣を組ませてスイス槍兵の襲撃から持ち堪えようとしたが、
砲火の中を突撃してきたスイス槍兵はドイツ傭兵を文字通り皆殺しにし、
その後アルケブス兵を敗走させ、フランス陣内を蹂躙した
野戦築城に頼ることの出来ない流動的な状況では火器は全く脆弱な存在だった
1515年、マリニャーノでスイス槍兵は再び築城に対する対抗手段として奇襲を
試みた
しかし、フランス軍はすでに陣地を壕で取り囲んでおり、その中でスイス槍兵を
迎撃することが出来た
スイス槍兵の夜襲は察知され、フランス砲兵による防御射撃を浴びることになる
スイス槍兵は砲火を冒して襲撃を試みたが、フランス装甲槍騎兵の側面攻撃により
前進速度が鈍り、失敗を悟ったスイス槍兵は整然と戦場を退去した
1522年、ビコッカでスイス槍兵は自分たちの戦術に疑念を抱いていないことを
証明した
再びフランスと契約を結んでいたスイス槍兵は、フランス軍指揮官ロートレック元帥の
期待を裏切って皇帝軍の陣地に強襲をかけた
皇帝軍指揮官で老練な傭兵隊長として知られていたプロスペル・コロンナは
沈下した道路沿いに陣地を占領し、道路を更に掘り下げて壕として補強していた
ロートレックは、もともとラヴェンナと同様に慎重な準備砲撃の後に、ペドロ・ナバロ
(彼はフランスに寝返っていた)指揮下の土工技術者の支援を受けた襲撃を
計画していたが、スイス槍兵は待機することを拒んだ
築城物を発見したスイス槍兵は、ほとんど本能的に攻撃前進を開始したのだった
そんだけ