1503年、チェリニョーラにおいてゴンサロはフランスの騎兵と槍兵を破った
この時、ゴンサロは全兵力の6分の1に当たるアルケブス兵を保有していた
ゴンサロの戦術方針は、相も変わらず変わり映えしない徹底した防御戦闘だった
陣前に塹壕を堀り、掘った土で壕の背後に土塁壁を構築し、その頂部に保有する
2000名のアルケブス兵全員を配置していた
しかしながら、アルケブス兵に与えられていた任務は突撃破砕射撃ではなく
塹壕の手前に照準を合わせた砲兵の掩護だった
ゴンサロが、オーストリアのマクシミリアンが援軍として送ってきたドイツ人を主力
とするアルケブス兵(しかもまだ戦術的能力は実証されていない)より、子飼いの歴戦
の砲兵に信を置いていたのは明らかだった
スペイン軽騎兵の妨害により塹壕の存在を知らなかったフランス軍は、
決定的な一撃を狙って素速い突撃を仕掛けた
しかし、偶然(恐らく事故)に火薬庫の一つが爆発を起こし、それにつられて
砲兵が準備していたキルゾーンにフランス騎兵が到達するはるか前に斉射を
行ってしまい、決定的な瞬間に砲撃をするチャンスが永遠に失われてしまった
この結果、突然フランス騎兵を撃退する任務がアルケブスに降りかかることになった
経験を積んだドイツ人アルケブス兵は、スペイン全軍がパニックを起こしかけたにも
関わらず、隊列を崩さず黙々と射撃を行った
壕を渡れず、土塁に登ることもできずに混乱したフランス騎兵は、
近距離からアルケブスの斉射を浴びて壊乱し、続く槍兵の突撃も跳ね返されて
退却することになる
フランス軍の火器は、敵陣前で右往左往する友軍に阻まれてほとんど射撃できなかった
チェリニョーラの戦は、いまだ補助的な兵科と認識されていたアルケブス兵が
装甲槍騎兵を破った最初の戦例となった
しかし、別にアルケブスでなければならないわけではなかった
イングランドの長弓でも弩でも同様の働きをしたことは明らかだった
ゴンサロは、ただ壕を掘ることにより、攻城戦での防御戦闘に近い状況を
野戦場で再現しようとしたに過ぎなかったのである
そんだけ