ヨーロッパの剣は…

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636黒色火薬の戦術
 攻城戦における攻撃軍の優位は、野戦の戦略的意義に重大な影響を与えた
 城塞が大砲によって完全に無力化されたため、籠城より野戦に賭けるほうが
魅力的と考えられるようになり、結果、野戦戦術そのものが変容することになった
 その後、イタリア式築城術の登場により攻城戦が防御側に再び優位を取り戻した
ことにより、再び野戦を避けて要塞によって領土を防衛する昔ながらの手法が
復活することになる

 しかし、この揺り返しの中で発生した野戦戦術の変容が停滞することはなかった
 もっとも、この動きがそのまま近世の野戦戦術の雛形となった訳ではなかったが

 野戦の変化は、十分に吟味され検討され、演習で実験されたものではなかった
 特に劣勢な側は望んで野戦を選択した訳ではなかったため、殆ど間に合わせや応急処置
でなされることが多かった
 新しい野戦戦術は、基本的に14世紀のイングランドの長弓射手と15世紀の
ドイツの異端の市民兵が示した戦術の要素を抽出することによって創出された
 つまり、長弓と車両要塞の場合と同じように、火器を防御戦術に組み込むことによって
有効に使用しようとすることだった


そんだけ