ヨーロッパの剣は…

このエントリーをはてなブックマークに追加
634銃兵千兵
 一般に戦術は、軍事的要求のみならず、技術的な要求によって変化し、決定される
 アルケブスも、指揮官に多くの制限と制約を課すことになった
 15世紀以降、アルケブスの製造コストは低下し続け、やがて市場で十分な量の
弾薬を手に入れることが出来るようになり、量的な問題は解消されつつあった
 しかしながら、射程、命中精度、発射速度は解決できない問題が依然として
残っていた

 アルケブスは、弩や長弓と同じく、致命的な威力を維持できる有効射程は
120メートル程度だった
 更に鎧の進歩により、甲冑の最も重防御箇所に対する有効射程は
30メートル程度に過ぎなかった

 命中精度は、前線部隊にとって努力して達成するものではないと考えられていたし
もしかしたら命中精度について考えもしなかったかもしれない
 後のナポレオン時代のフランス国民軍の歩兵が「敵の白目を狙え」と教育され、
当時のイギリス軍歩兵の射撃準備命令が「狙え」ではなく「水平に構えよ」であった
ことは有名だが、アルケブスも素速い装填を可能とするため銃身内壁と銃弾の間隙は
わざと極端な許容誤差をもって作られていた
 アルケブスは、集弾性を最小とするのではなく、速射火器の利点を最大にするよう
設計された兵器だった

 射程と精度の問題を解決するために、銃身内壁にライフリングを刻み、
許容誤差を極小としたアルケブスが15世紀末には既に開発されていた
 しかし、先填式の銃身で、旋条の抵抗に逆らって弾を銃尾まで押し込むのは
非常な筋力が必要とされ、装填時間は普通のアルケブスの倍以上かかった
 結局、旋条アルケブスは狙撃兵や散兵といった特殊兵が使用する一発勝負の兵器
として少数が配備されたに過ぎなかった
 当時の戦術は常に正確さより量が常に重視されていた
 中間の立場、高次元のバランスなどという曖昧な言葉は存在しなかった


そんだけ