ヨーロッパの剣は…

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627銃卒ども
 火薬技術の発達による性能向上、工業化による砲と砲弾、火薬の大量生産により、
大砲は土木技術と連携して百年戦争後期及びレコンキスタの攻城戦で大きな
役割を果たすようになった
 特に、フランスは攻城戦において砲兵隊を、野戦において装甲槍騎兵とスイス槍兵を
中核とした軍を編成し、15世紀末にはヨーロッパ有数の陸軍国となった
 また、鋳造青銅製砲と鉄製の砲弾、軽量砲車、火薬の生産精度の向上は、
野戦における軽便な野砲の使用を一般的にし、1453年のギエンヌ地方での
反乱以降、フランス軍の野戦軍は少数ながら野砲を随伴するようになった
 もっとも、これらの砲の第一の任務は攻城戦における大型攻城砲の支援であり、
野戦での打撃力の中核は装甲槍騎兵、防御の中核が槍兵であることに変化はなかった
 イングランドの長弓を除き、野戦での投射兵器はいまだ補助的な役割しか
与えられていなかった

 実際のところは兎も角、野戦にまで進出した大砲に対し、
アルケブスはいまだ城壁に留まり続けていた
 確かにフス戦争は火器の開発と製造を刺激したが、野戦においての効果は
期待されていなかった
 その理由は、アルケブスの戦術的な限界にあったのではなく、単純に量の問題だった
 主に命中精度の問題から、アルケブスの運用法は短射程で濃密な弾幕を構成する
ことだったが、15世紀にはそれが可能なほどの量のアルケブスはまだ製造されて
いなかった
 アルケブスは発射速度が低く、しかも装填は立姿で行うのが普通だったため、
少数のグループでは遮蔽物のない野戦場では殆ど役に立たなかった
 陣地や障害物との連携は考慮されていただろうが、結局、量の問題を完全に
解決することはできず、それならば弩を使用すればよかった
 結局、大量に揃わなかった銃兵は、基本的に攻城戦における防御兵科として認められ、
実際にそれは成功していた
 アルケブスが野戦で硝煙を撒き散らすのは16世紀を待たねばならなかった


そんだけ