1302年、フィリップ4世率いるフランス軍は、フランドル反乱軍に包囲された要塞を救うべくクルトレーに進出した
フランドル軍はフランス軍の3〜4倍の兵力を擁していたが、
当時、装甲槍騎兵10名は10倍の槍兵に匹敵すると言われており、
騎兵戦力で質量ともに圧倒的な優位に立っていたフィリップ4世は
状況を悲観してはいなかった
突撃を開始したフランス騎兵は、フランドル軍が事前に行った河川工事で
泥濘化した地盤に足を取られ、突撃に必要なスピードを発揮できないまま
待ち構える槍兵の隊列に突っ込むことになり、大損害を受けることになった
フランス軍が後退を始めた時、それまで動かなかったフランドル槍兵の隊列は
追撃に転じた
これは、隊列が敵の攻撃によってだけではなく、兵の士気と旺盛な敢闘精神、
目の前の勝利によっても崩れ得ることの証明だった
追撃により乱れたフランドル軍の隊列は、フランス軍の反撃により完全に崩れ、
予備兵力の投入がなければもう少しで勝利を失う所だった
結局、フランス軍は1000名近い騎兵を喪い、勝ち誇ったフランドル槍兵たちは
死者の拍車を略奪した
「金の拍車の戦」は、平民の槍兵が貴族の騎兵を打ち破った歴史的な事件として
有名になったが、実際には防御に徹した槍兵がいかに強力か、攻撃に転じた槍兵が
いかに脆弱化を示唆した戦闘だった
そして、栄光のフランドル槍兵は自ら導き出した教訓がいかに恐るべきもので
あるかを再び証明しようとしていた
そんだけ