クレーシーでの敗北により、フランス軍の関心はイングランドの長弓をいかに無力化
するかに集中することになった
そして、クレーシーで馬に射撃が集中した教訓から戦術上の最大の長所であると同時に
最大の弱点となる馬を取り除くことが検討されるようになった
そして、1351年のサン・ジョルジュ・ラ・ヴァラードでフランス軍は初めて
下馬騎兵を攻撃に投入し、1352年のモーロンでは下馬騎兵と乗馬騎兵を連携させて
イングランドの下馬騎兵の横隊と長弓射手の一部を撃破した
結局、イングランドが予め準備していた予備陣地からの斉射により攻撃は失敗したが、
フランス軍はこの戦術に自信を深め、1356年のポワチエの戦でより大規模に
行われることになる
フランスの騎兵達はスコットランドのスキルトロームを構成していた槍兵とは
比較にならない重装備であったため、この攻撃はもう少しで成功するところだった
フランスの下馬騎兵はイングランドの下馬騎兵と白兵戦を演じ、
フランス軍は予備兵力でイングランド軍を上回っていた
しかし、結果はダブリン・ムーアの再現でしかなかった
長弓戦術をうち負かすために必要であったのは堅い鎧ではなく、損害を受けても
最後まで停止せず緊密な隊形を保ったまま行われる攻撃前進であり、そのような
戦術行動を可能とする兵科をフランスは保有していなかった
フランス軍は、ポワチエの教訓を無駄にしなかった
野外決戦を回避して攻城戦を重視することと、イングランドの警備の手薄な
支配地域への掠奪だった
この状況は、アジャンクールで再びフランス騎兵が長弓戦術に壊滅的な敗北を喫する
1415年まで続くことになる
そんだけ