ヨーロッパの剣は…

このエントリーをはてなブックマークに追加
502長弓射手君が射る
 1298年、フォルカークの戦において、スコットランドの英雄
ウィリアム・(リチャード・ギア)・ウォーレスは槍兵によるスキルトロールによる
防衛戦を採り、イングランド騎兵に対抗した
 しかし、騎兵が突入できないよう緊密な槍襖を構成したスキルトロームは
それ故に機動性に欠けており、エドワード1世が最終的な突撃の前に
自軍の長弓射手に命じたスキルトロールへの射撃により、
壊滅的な損害を蒙ることになった
 この戦闘において、長弓は機動性に欠ける敵に対していかに大きな威力を
発揮するかを証明した
 しかしながら、長弓射手がその高い発射速度を発揮するためには
一定の位置で動かない必要があり、騎兵の反撃を受ければ簡単に
殲滅される危険性があった(フォルカークの戦いでは、長弓の射撃の前に
スコットランド騎兵が駆逐されていた)

 クレイモアを放り投げてウォーレスの跡を継いだロバート・ザ・ブルースは、
1314年のバノックバーンの戦でスキルトロームを攻撃的に使用した
 この戦術は、スコットランド兵の練度と士気に依存していたが、
スコットランド軍が初めて積極的に決戦を挑める可能性を示唆していた
 前進するスキルトロームによって騎兵の突撃を粉砕されたエドワード2世は、
続いて長弓射手に射撃を命じた
 しかし、この長弓射手たちは護衛も自衛手段も与えられていなかったため、
スコットランド騎兵の突撃により撃破され、戦はスキルトロームと騎兵の
混戦の様相を呈し、ついにはエドワード2世の逃走を契機に
イングランド軍の潰走と終わっている
 イングランド軍の敗因は、長弓射手と他の兵科を連携させることが
できなかったことによる
 結果、1332年のダブリン・ムーアの戦まで、イングランド軍が
スコットランドに対して軍事的優位を回復することはなかった


そんだけ