10世紀、ヨーロッパで携行投射兵器としての弩が再び戦場に復活した
1096年からの第1次十字軍の頃には、記録や絵画に頻繁に登場している
弩が普及した最大の理由は、近距離ならば鎖帷子の鎧を
貫くことが出来たからであった
弩は、十字軍の戦闘においてしばしば主役を演じ、13世紀には
投射兵器の主力となった
弩兵は、1199年のシャリューの攻城戦でリチャード獅子心王を射殺し、
1250年のマンスラの戦でサラセン騎兵の突撃を破砕して橋頭堡を確保し、
欠くことのできない兵科としての地位を確保した
野戦において、弩を用いて装甲槍騎兵の突撃を喰い止めた戦例は少ない
騎兵は弩の脅威に完全被甲と重装甲化で対抗した
そして、その鎧を貫くためにより強力な弩が開発され、14世紀には絶頂に達した
それまで木製や腱製の弓が鋼鉄製に変わり、強くなった弦を引くために
精巧な仕掛けが施されるようになり、理想的な環境では毎分最大4本の発射速度を
期待できた
しかしながら、弩が騎兵との競争に勝利することはなかった
弩が精度と威力を期待できたのはせいぜい150メートル程度だったが、
装甲槍騎兵の突進はトロットで毎分250メートル、ギャロップなら
その倍近くに達したからだ
結果、弩兵は突撃する騎兵に対して一斉射しかできなかった
このため、一度騎兵が突撃を開始すれば、弩兵に喰い止めるためには、
圧倒的な大兵力の弩兵と騎兵の足を止める障害物が必要だった
一般には、騎兵が突撃の態勢を整えるのを見た弩兵は後退しか生き残る道は
なかった
そんだけ