陸奥爆沈は日本の運命を変えた

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1新説
陸奥爆沈(昭和18年9月)は大戦中の一椿事としか
みなされていない風である。
「たかが」1戦艦の沈没で大勢に影響はなかった
と軽く考えていないか。

18年9月は日米の航空機動部隊が双方戦力不備で、
かつ戦どころを得ていなかった。
したがって、陸奥喪失は即座に戦線に影響を与える
ことはなかった。
しかし肝心なのはレイテ海戦である。
あのとき栗田艦隊に陸奥が加わっておれば、
シブヤン海で武蔵喪失があったにせよ、
なお大和、長門、陸奥、金剛、榛名は健在であった。
史実は、これから陸奥を欠いていた編成であった。
5:4の戦力差である。
栗田提督の肉感をして、健在な水上打撃力を信じる力を
与えられていたらレイテ湾突入はありえたとは想像できないか。
私はそこで、栗田艦隊が敵艦隊を撃滅しレイテから米軍を一掃
できたという理想は求めない。
むしろ、連合艦隊の事実上の壊滅が明白になったと想像する。
むろん相応の敵艦隊への打撃は得たであろうが。

日本海軍は連合艦隊の壊滅と共に終戦工作へと傾斜したかもしれない。
沖縄戦を待たずに和平、休戦工作を働きかける。
米軍が答えるか否かはここでは問わない。
しかし沖縄戦以前での終戦の可能性を得たのではないかという
想像は成り立つのではないか。

とすれば今ごろ北方問題もないし、沖縄、朝鮮問題も
今よりは緩和されているかもしれない。
さまざまな好結果を戦後にもたらしたと思うが、如何?