リレー小説!!北朝鮮vs日韓米連合軍

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602都内で暴動発生
―――神田駿河台―――

「悪辣暴虐非道なる米帝の跳梁を許すな!」

それはいつもと同じ様に、青ヘルとタオルを身に付けた
運動家が一方的に叫び、そして興味のない一般人はそこに
何も存在しないかの如く通り過ぎる―――といった、いつもの
現象にしかならない筈だった。

………しかし、この時は違っていた。


―――数日前―――

「同志諸君!我々は今こそ日本国人民の
 為に立ち上がるべきだと思わないか!?」

戦争が始まり、かつては「平和ボケ」と揶揄される存在ですらあった
多くの日本人は、目の前に迫った危機によって、かつての闘争心を
呼び覚まされていた。だが、そうした現実を全くと言って良い程認識
出来ず―――あるいは認識している故にであろうか?―――この期に
及んで、反戦活動を行おうという人間は少なからず存在した。

「既に中国の同志達は悪しき帝国主義を打倒する為に立ち上がった!
 我ら日本人民も、軍国主義によって世界支配を企てる米帝に対して
 闘争を仕掛けるべきではないか!?」

アメリカや自国の武力を否定するかと思えば、自分達の暴力は正義と
言い張り、些細な内部対立で殺し合いをする―――そんな連中である。
日に日に存在感を失いつつある自分達の境遇に、焦りを感じてきていた。
その鬱憤が耐え難い物となり、今にも噴き出そうとしていた。いや……
もはや噴き出していた……。先程から気炎を上げるこの男も、その一人
である。一度爆発した感情はもはや止まる所を知らず、その場にいる
他の人物にも感染しつつあった。

「米帝の侵略的行為にも関わらず、日本人民はファシストの洗脳により
 真実から目を背けさせられている!我々は今こそ進歩的思想に則って、
 軍国主義に染まりつつある祖国を救わねばならない!」

「その通りだ!」という仲間達の賛同に気を良くしたその男は、自分の
考えを長々と語りだした。普通の感覚の人間ならば、頭痛を催すであろう
内容(及び語り口)であったが、元々「そういう感覚」の持ち主だけが
その場にいたので、彼らは皆陶然とした表情で聞き入っていた。

その男の演説によると、彼らは数日後を期して大規模なデモを行い、政府
及び米国の非人道的行為を人民に対し正しく伝えると共に、徴兵や動員の
拒否を訴える、という事であった。

………これが彼らにとって大いなる災厄となろうとは、彼らは気付くはずも無かった………。
603名無し三等兵:2001/07/07(土) 05:30
―――再び神田駿河台―――

「米国の走狗と化した政府は、侵略戦争の真実を隠蔽し、ファシズムへ
 突き進もうとしている!我々は断固として、これを撃滅、粉砕する!
 帝国主義に染まった政府の元で、今幾多の生命が失われている。これは
 悪しき侵略戦争の報いである!自衛隊と称する、米帝の侵略に荷担する
 ファシスト共は、自らの権力を肥大化し、今やシビリアンコントロールは
 崩壊した!いま立ち上がらねば、日本人民は、永遠にファシズムの奴隷に
 されてしまいます!今こそ、帝国主義を打倒すべきです!我々に残された
 時間はもはや有りません!ファシズムを粉砕し、人民の勝利の大爆発を
 勝ち取るのは、今において他ないのです!」

その様子はまさに、気違いが大声で狂言を弄している、と言う他ない物であった。
そう、この場、神田においてはよく見られる「精神異常者の戯言」であったが、
この日、辺りは異常な気配に包まれていた。


遠巻きに見ている群集の目に、言い様の無い狂気が宿っている―――それに気付いた時には、
もはや全てが遅かった。

「売国奴め!」

誰かが叫ぶ。
そして、群集は野獣の群れと化した。

「糞野郎!俺の息子を侮辱する奴は許さん!!」
「朝鮮の手先め、いい気になるんじゃない!」
「お前らのような奴のせいでこんな事になったんだ!!」
「死ね!くそったれ!」

口々に罵る声は街宣用のスピーカーの音をも打ち消し、怒号となって渦巻いていた。

「落ち着いて下さい!冷静に話し合いましょう!」

先程までの威勢も無く情けない声で保身を図ろうとするが、その様子を目に、あるいは
耳にした人間にとって、それはより怒りを燃え上がらせるだけの物であった。

「卑怯者がっ!!!」
「クズめ!」

悪鬼の表情で、群集は襲い掛かった。その中には無差別テロで家族を亡くした者も居た。
多かれ少なかれ、やり場の無い感情を抱えているのは皆同じであった。それが暴発したのだ。
また、その対象がこうした連中であった事は、彼らにとっては不運極まりなかった。
例えそれが身から出た錆であろうと。

運動家達は群集を止めようとするものの、叶う筈も無かった。
殴られ、蹴飛ばされ、地面に転がされて踏みつけられる。
彼らの悲鳴を聞く者はいなかった。
その場に居たのは、敵を殲滅する意思に満ちた凶暴な野獣と、哀れな獲物である。
気絶し、あるいは打ち所の悪かったために即時に死体となっても、攻撃が止む事は無かった。
骨が砕け、柔らかい肉の塊となるまで―――運の悪い物は肉片となるまで―――容赦の無い
攻撃が加えられた。


しばらくして警察が駆けつけたが、逮捕、拘束された者は(無論、その場に居た全員を
逮捕出来る筈が無かった)いつの間にか有耶無耶の内に「証拠不十分」として釈放された。

この事件で死亡した運動家の遺族は何処かへと引っ越してしまい、その後の消息は不明だという。