リレー小説!!北朝鮮vs日韓米連合軍

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197第40普連の苦闘
なぜだか少なくなってしまったデモ隊を尻目に、40普連は第1,2中隊と重迫撃砲中隊、
一部の補給部隊を引き連れて出動した。当初は3号線と都市高速を使用して芦屋まで
展開する予定であったが、どちらとも警察の厳しい警備にもかかわらず、郊外へ移動
しようとするもの、八幡・若松方面からのパニックに陥った群集によって、100両を超える
車両の移動は不可能に思えた。交通マナーの悪さでは九州全土に悪名を響かせる
北九州・筑豊ナンバーの車両群は、反対車線の逆送をあちこちで行い、限りない数の
衝突事故を引き起こしていた。

現在第4師団で福岡に展開しているもののうち、ほぼ全力が残っているのは
40普連のみである。しかも弾薬を積んだ車両が一部テロでやられ、けして十分な
体制で望んでいるわけではなかった。必要になるはずの戦車なぞ,大分から今出撃
したばかりであった。装甲車両といえるのは、大分から一足先に届いた60式装甲車と
拝眉が始まったばかりの96式装甲車が8両ずつ、60式自走無反動砲が4門に過ぎなかった。
また、対戦車装備もほとんどが春日や熊本にあるため、対戦車戦闘は望むべくもなかった。
 しかしこの状況でも、是非とも遠賀川は押さえておかなければならない目標であった。
また、ヘリボーンの拠点として芦屋基地も確保しておく必要がある。

部隊は北九州市北部を通ることをあきらめ、小倉南区の322号線から小倉中間中間線、
木屋瀬から北に向かうコースを選んだ。山間でもあり、大部隊の移動には向いていないが、
3号線の状況はもっと酷い。2時間近くかかるが、こちらのほうがましであった。
北九州市の南側は国定公園に指定されている丘陵地帯であり、筑豊地区は
盆地と山地で形成されている。敵が関門を押さえるのであれば、必然的に
遠賀川下流付近を渡るしかない。敵が遠賀大橋を押さえる前に、守備を固めなければならない。
1日持ちこたえれば本州から応援が駆けつけてくる手はずにはなっていた。
しかし、現実はそううまくいくわけではないことを、後に血でもって体験することになる